大切にされてないと感じる事柄に、私は非常に敏感だ。特に近しい人にされると、一人でウエーンと泣いている。
理由はわかっていて、両親の影響だと思う。私は親が好きだった。
幼い頃、いとこからピンクのフリフリのワンピースをもらった事がある。すごく可愛くて、嬉しくて、着てポーズを取ったり踊ったりしていた。それを見た母親が、「田舎臭い。全然可愛くない」と言った。はずかしくて、傷ついて、そこから女の子の服を避けるようになった。地味な服ばかり選ぶので、小学生のときいじめられて、母親に「なんでお前は地味な服ばかり着るのだ。だからいじめられるんだ」と怒られた。その頃はもう、なぜ自分が地味な服を着るようになったのか分からなくなっていた。私が人を好きになったり、興味を持ったりすると必ず否定された。決まって「くだらない、バカみたい、恥ずかしい奴」と言われた。他にも、安い壺を守って私を落とした話、腹を殴って静かにさせてた話を笑いながらされ、私も怒らず愛想笑いで答えていた。好かれたかった。
心もなかったが、物質的な愛情表現もなかった。うちは貧乏なんだと言い聞かせられる一方、高級バッグやゴルフの会員権を巡り夫婦喧嘩をするのを横で聞いていた。
大切にされてないのは分かっていた。でも、親から愛されているという実感を得たかった。しかし期待と裏腹に傷付く事ばかりで、両親がそれに快感を得てるようにすら思えた。
今は、親元を離れた。好き勝手にロリ服を着て、ジャニーズを愛でている。我慢してた好きなことをやるのはとても気持ちがいい。
彼氏もいる。しかし、彼氏は私を大切にしてくれない。無意識にそういう人を選んだ。私を大切にしてくれる人は、居心地が悪く、気持ちが悪かった。彼氏が私をないがしろにしない、それを確認して幼少期の傷の代償にしたいのかもしれない。てか、そうだね完璧。
大切に育てられている子供を見ると憎たらしい気持ちが湧き上がってくる。傷つけたくなる。だから、わかる。両親も大切に育てられてない。
私もこの穴を直すことができない限り、同じことを自分の子供にするだろう。
直せる気はしない。
69: ジャンピングパワーボム(新疆ウイグル自治区)@\(^o^)/ 2014/11/21(金) 00:00:12.33 ID:uks0+VLI0.net
う~んぐぅの音もでねぇ
インナーチャイルド 本当のあなたを取り戻す方法 ジョン ブラッドショー
子どもを生きればおとなになれる―「インナーアダルト」の育て方 クラウディア ブラック
2番目と3番目を治せるのはこの2冊 後は分からない。
しかし制度としては、政治家は選挙で選べるけど、官僚は選挙では選べない。
だから、選挙で政治家が変わったところで、日本の政治は変わらない。
しかも、官僚は一流大学からストレートにその省庁に入っているし、
給料もそれなりにもらっているので、苦労や挫折を知らない超リア充。
だから苦労や挫折をしている人の気持ちを知ることができないし、
「かわいそうだね」と思うだけ。もしくは「自己責任だろ」と切り捨てる。
意外にも、自分で認めているとあまり悔しくない。今後もどんどんこの手法を使っていこうと思いました。
ウスノロなおれは今までこのトラバに気がつかなかった。
まあどうせこれも反応したらすぐ消すつもりなんだろ?…と思ったが、もう飽きてチェックしていないかもしれない。
あるいは、手動ではない可能性もある。その場合は消えるんだろうな。ちょっと興味があるのでトラックバックしてみる。
あ、魚拓はこれな。
http://megalodon.jp/2014-1121-2137-55/anond.hatelabo.jp/20141121194213
何かの司会をやっていて、急にフリートークで繋いでって言われて困ったことがないだろうか?
大事な時期に仲間が沈滞ムードになってて当たり障りのないフリートークで空気を和らげたいと思ったことは?
後輩達を教育している時に、息抜きにちょいと小粋なフリートークでも挟もうとしたことは?
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こうした経験は誰もがあるはずで、その度にフリートーク能力のなさを痛感するのではなかろうか。
実際のところフリートークは難しく、フリートークが得意な人などごくまれである。
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フリートークが苦手な人でも無理にごまかす方法はある。持ちネタをさまざまな状況に備えてストックしておけばいいのだ。
身の回りの人達がどう対処しているか考えてみてほしい。いつも決まった話をする人が多いだろう。
「またあの話か」なんて陰口はよく耳にする。一応場つなぎにはなるが良い評判は得られない。
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器用な人なら、常に新しいネタを仕入れ、膨大な引き出しを構築して、そこからフリートークできる人もいる。
しかしこれは大変な努力と才能が必要なことである。さまざまな状況に備えてネタを常にアップデートするのは大変骨の折れる作業だし、
それらを頭にインプットしてすぐ引き出せるようにしておくのは大変な記憶力と機転の良さを要する。
いわゆる知識人は、この程度のことを難なくこなせるように見えるが、それは長年携わる自分の専門分野だからやれているだけだ。
自分の専門分野でもないのにこれをやるとなると、やはり大変なことなのである。
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じゃあどうすれば簡単にフリートークができるのかというと、もちろんそんな方法はないw
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ただ、フリートークが苦手な人の特徴はハッキリしている。「話の入り口」がものすごく狭い。
フリートークに長けた人ほど、どこからでも話を膨らませることができる。つまり、話の入り口が豊富だ。
仲間内のおしゃべりは得意でもフリートークは苦手という人は、話の入り口を見つけるのが苦手なのである。
日常会話というのは、仲間内で決まった流れをなぞっているだけで、話の入り口を見つける必要はほとんどない。
それがフリートークになると常に新しい話の入り口を見つけて、ポンポンとテンポよく繋げていかないといけない。
だから、おしゃべりが得意な人は山のようにいても、フリートークが得意な人はまずお目にかかることがないのである。
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よく10代の若者から「何を話したらいいか分からない」という声を聞く。相手が恋人だろうと不特定多数だろうと同じことだ。
どんな些細なことでも面白く膨らませるような思考回路がないのである。一旦つまらないと思ったものはもう一顧だにしない。それがいけない。
幸せの青い鳥という話があるだろう。身近なところに幸せはある。だから身近なものにも目を向けようという教訓である。
人間中心主義のキリスト教では「隣人を愛せよ」と言うけど、我々は「隣物・隣事を愛せよ」と言ったほうがいいだろう。
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逆に小説家というのは、例外なく「どこからでも語れる人」だ。どこからでも語れないと小説なんて書けない。
小説家というのはね、文章力はピカイチでなくてもいいんだ。だけど、語り(または登場人物への「語らせ」)の力は圧倒的に必要。
ぐにゃぐにゃと軟体動物のように自在にどこからでもどんな順番でも語れて、それでいてしっかりと伝えたいことを伝える力。それが必須なんだ。
だから小説家に人見知りやあがり症やコミュ障っぽい人はいても、フリートークがまるで出来ないという人は居ないんだ。
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じゃあ小説家デビューしてフリートーク上達しよっと。そう思うだろうか?そこまでしたいと思える人はまずいないだろう。
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肝心なのは職業ではなくて習慣だよ。どこからでも話の入り口にする思考習慣をつけよう。
女も男も、見ず知らずの赤の他人や、仕事上だけの付き合いの人にいきなり感情的になることは無いよね。
職場などで理屈で相手を納得させられない時に、感情的に振る舞うのは、男女ともに同程度かなとボクも思う。
つまり相手に自分の感情を見せても良い状況になると、途端に女性の方が
泣いたり怒ったり、ヒステリックになったりしている気がするのだなぁ。
小学生の時、仲良しだった幼馴染みのおばあちゃんがやっている習字教室に通っていたんだけど
幼馴染み 幼馴染み妹
私
という並び方で
やっぱり自分の孫を優先して見るし
幼馴染みとその妹は習字教室終わった後におばあちゃんに台所で筆をお湯で洗ってもらえたけど
私は洗ってもらえなかったので
そそくさとしまってばいばいして先に帰っていた
幼馴染みはお母さんが軽で迎えに来る
誰もいない家に帰って
鍵を開けて
お風呂場で筆を洗ったのを思い出したら少し泣けた
友人たちが何かというと男女同権無理かも云々のフェミニズム的なものを論じていてイライラする。何が弱者男性だ。ふざけるな。
夫婦レベルの男女関係において、精神論でどっちがどっちを経済的に支えるかという問題で、生物学的な問題を落として語ってるものは全部クソだと思う。持続可能な発展を見ていない。クソ。
まず子供を持つかどうかというところで納得のいくまで議論して、子供を持つつもりならそれをどのタイミングにするかを固める、というハード面を固めてから、格の違いとか精神面、ソフト面を論じるべきだと思う。
(まあ、ハード面をかちっと固めるというのは、それすなわちソフト面の激突でもあるんだけど。)
俺が生物学的な問題をまず検討すべきだと思うのは、それが一番タイムリミットの厳しい課題であるからだ。
まず女性側にとって、年齢が上になると妊娠はしにくくなるし、妊娠・出産時の母体のリスクも漸増する。
また、高齢出産は生まれてくる子供にも少しずつ染色体異常のリスクをかける。妊娠・出産に関しては、十数年にわたって議論を重ねて理想的な結論が出た時に実施するということは難しい。
理想を目指してディスカッションを重ねるうちに、手の中で氷を転がすようにして未来は失われていく。有意義な結論一つ残してそれらは行き止まりだ。
夫婦になる目的は何も子供を持つことだけではない。子を持たないというのも一つの選択肢だ。
しかし、何分タイムリミットのある問題だ。今はいいとなっても、後々欲しくなった時に、相手のために我慢した!ともう戻らない時を揺さぶるような喧嘩をするのはあんまりよろしくないだろう。少なくとも、消極的に選択して後悔の残らない道とは言えないのではないだろうか。
でも、養子をとるというのは
「何らかの事情で実の親から引き離された子供を家族に組み入れる」
ということだ。
実の親から離れなければいけない事情、親に対する思い、それを養い親であるあなたにぶつけてもいいのかという迷い、それらを含んで、その子のそういう気持ちも大事にしながら、それでも家族になるということだ。妊娠・出産というハードルを避けるための安易なブレイクスルーなどには、決してなりはしない。
では子供を欲しいとなった時には、必ず女性側に働けない期間は出てくる。それをどう織り込んで、働いて支えるかという論じてないのでは片手落ちだと思う。格とか気持ちとか、社会制度とかそういうことじゃないんだ。
私は自分より上の人間が家庭内にいるのは勝とう勝とうとして自分が全く休まらなくなる。一緒に生活する人間に負けるなんて嫌だ。
実際、自分より上の人間と付き合ったことがあるがテスト成績とかで負けてるのがくやしくて仕方なくなり、付き合って遊ぶ前に勉強してしまう。よって別れるか、もしくは自分のほうが追い抜いてしまう。
もちろん追いつけずに終わることもある。つかれる。
家庭内で勝ち負けなんて考えたくないですし。
結婚生活はたのしいし好き放題遊べる子無し生活は快適だからそれでいいんだけどね。自分にとっては同じレベルの人間じゃないとだめだった、それだけだ。