2014-10-30

えっちした事を「喰った」と表現するのはどうなのか?

誰かとえっちした事を「〇〇を喰った」と表現する男性現在とりわけ散見される。

何が問題なのかというと、この表現は「〇〇という人間を食べる」としてカニバリズムに当たる事である

昨今のカニバリズムとして、日本人おかしな誤解をしている。

例えば、パリ人肉事件佐川一政の件である

端的に言えば、佐川自分彼女を捕食的な意味合いで「喰った」わけである

この「喰った」という表現表現として至極適当である

というのも昔「喰う」という表現は、例えば「人喰い鮫」のように人や物を文字通り食べる、

すなわち「〇〇が人肉を食べる」といった意味合いにきわめて近い。

しかしながら、現在の「喰った」はカニバリズム的な「喰った」という表現ではなく、

どちらかといえば、「ご飯を食べた」と同種の表現であろう。

ここにニュアンスの違いを感じるのである

この表現おかしな所はないのだろうか。

この表現を目にする度に変な気持ちになってしまうのだ。

人によっては、文字通り人(の肉)を食べたという意味合いに感じてしまう。

要は「ハシ」と発音して、人によっては「橋」だったり「端」だったり「箸」だと考えると同じである

こうした誤解を解くには、えっちした事を「喰った」以外の表現にするしかないと思う。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん