2014-10-08

無断RT禁止問題に思う現代の闇

つい最近無断RT禁止をTwitterで行っている人達批判的に扱われる騒動があった。

「なんだこいつRT嫌ならツイッターすんなヴォケ」みたいなただ感情的なだけの反応が数多く、

当事者ではない私としても甚だ残念な気持ちになったものだ。

事を遡るに10年、「無断リンク禁止問題」が大きな話題になったこともあった。

今回の騒動はこの問題といくつかの点で相似している。

まず当人一般的ルール自覚があること、次に当人はその上でマイルールを制定したこと、

そして周囲の人々がこれらの点を十分に理解しないまま批判していること、以上である

まずルール自覚に関してだが、これは当然のことなである。一般にリンク自由にしてもよい、

RT自由にしてよい、ということを理解しているからこそ、注意書きが書き加えられている。

それをどう曲解したのか「無断リンクする奴とかマジ最低、無断リンクすんなボケ」という意味

捉えて叩いている。この問題根本現代社会特有理解の至らなさにあるように思えてならない。

ダミー論証という言葉をご存じか?批判とは理解の上に成りたつべものだ。それを

理解なしに批判してしまうのがダミー論証。しばしば悪意でねじ曲げて相手が言ってもないよう

なことで非難する。2chが生み出した1つの文化と言っても過言では無い。

こうした問題を防ぐためにも、皆さんにはまず無断RTが良いのか悪いのか、そのことから意識

離していただきたい。視野が狭いままでは水かけ論になるだけ。まず、対立構造から離陸すること。

無断RTに限ったことではないが、すぐムキになって対立争いに巻き込まれるのが我々の悪いところ。

恋人が「距離を置こう」というのは相手に無関心だからではない。関心があるからこそ一度離れよう

提言している。しかしこと社会問題になると構成人員の何割の人間が「距離を置こう」と言える

だろうか?それが言える人間割合が稀少な現代社会はまさにどこかで歯車を狂わせてしまったに

違いない。お互いのためにも「距離を置こう」としれっと言える人間を育成すべきだ。

近代から現代にいたる人類歴史は、単なる合理的分業の範囲を逸脱して、ただ雇用創出のため

だけに過剰なまでに個性尊重価値観多様化されてきた歴史とも言えるのだが、

その過程コスモポリタニズム世界観、平たく言えば全世界的な視野の広さが

失われてきたのではないか?はっきり言えば世界が平作状況に陥っている。スイスフランと円が

世界基軸通貨と言われた時代終焉を遂げた。ヒトという種の存続のためパラダイム

コペルニクス的に展開すべき時期に来ている。そのためには旧来のIT技術ではダメなのである

確かにインターネッツがあれば、色んな情報へのアクセス性は高まるしかし限度もあることを

直視すぺき。現に多様な価値観をロクに可視化できてない事実当方は深刻に受け止めるべき。

そして今こそAR技術ウェアラブルコンピューティング国家レベルで総力をあげて振興すべき。

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