逆転させたのは、「相手の身になれ」という意味だろう。
ただし、逆転させると全く違う問題になる事があるので注意が必要。
例えば、人間とクジラの立場を逆転させた映画とか作って捕鯨を批判したとしたら、それは単なるナンセンスホラーであって問題を正しく捉えていないだろう。
まあ、それはそれとして、私はこの映画の問題点はイジメを描いたことだと思う。
それを意図的かどうか知らないが、同性愛を認めない価値観とワンセットとして扱っていることに問題がある。
例えば(←コレ重要だからね)、万引き犯を明らかにやり過ぎなくらいボコボコにリンチして自殺に追い込む映画があったとする。
そこで「万引き犯を許容しないのは悪だ」という印象付けしたら、そりゃおかしいだろ?
それはボコボコにリンチするのが問題なのであって、万引きの問題はまた別だからだ。
同性愛者を認めないことと、認めない対象をイジメることは全く別の問題と考えなければならない。
はてながいわゆる粘着増田の投稿削除等を発表してからそろそろ1週間。
この間の動静を見る限り、増田の批判精神が顕著に損なわれることはなかったようで、まずは安心している。
一方で、はてブユーザーの間では、気に食わない記事に対し、通報をちらつかせて削除を迫るような流れも出来つつあるように思う。
例えば、以下に引用するブコメからは、通報を背景とした削除要求の萌芽を見てとることができよう。
feita
ここに引用されているツイート後も私とよしきさんのやり取りは続いており、記事投稿者が私を貶めるために一部のみを抜粋した恣意的な引用であると判断します。投稿者には記事の削除を要求します。
そして残念なことに、一部増田ははてなに通知されれば記事が削除される恐れが全くないとは言えない。
そのため、仮に脅迫まがいの削除要求がなされたとしてもこれを完全に無視しさることは心情的に難しいのではないかと思われる。
よって、通報を背景とした削除要求の流れが加速すれば、記事削除等のリスクを抱える増田は批判を手控えるという事態に陥る可能性も十分に存する。
現状において増田の批判精神が顕著に損なわれてはいないとしても、状況は未だ予断を許さないものと言うべきである。
健全な批判は正当な言論であるから、継続的に行おうが非難される筋合いのものではないし、相手が嫌がろうがやめる必要もない。無論法律やはてな利用規約にも抵触しない。
健全な批判とは、基本的には以下の条件をみたす批判である(あくまでも「基本的には」である。以下に述べるところをふまえたうえで、具体的状況に応じた判断をしていただきたい)。
第1の点については、むしろ批判内容の妥当性との関係で問題になるものではないか、と思われるかもしれない(言うまでもなく批判の健全性と批判内容の妥当性とは別の問題である)。
しかし、例えば事実無根の横領容疑を捏造して政治家を批判する行為を想像してもらえば分かるとおり、虚偽の事実に基づく批判は、場合によっては批判の健全性の観点からも問題となり得るものである。
常に真実の事実に基づいて批判することは難しいとしても、健全な批判を行おうとする者は可能な限り真実を追求する姿勢を持たねばならない。
第2の点については、多言を要しないだろう。
現代社会においては、ある個人に関する情報をどのように扱うか、ということについて、当該個人の判断がかなり尊重される。
したがって、必要もなく氏名や住所等の個人情報に触れることは、その扱いに関する当該個人の判断を害することとなりかねず、批判の健全性が損なわれうるのである。
第3の点については、単なるキレイゴトだ、と思われるかもしれない。
しかし、「罵倒・人格攻撃をしない」というのは批判の健全性を向上させるうえで簡易でしかも効果的な方法である。
最も重要なポイントは、主語を「人」でなく「論」にすること。この区別に頓着しない方が、増田には比較的多いように思われる。
可能であれば、一般に悪口と分類されるような表現を別の穏当な表現に置き換えるとなお良い。
こうした形式面にわずかに注意を払うだけで、批判の健全性は格段に向上する。
具体例を挙げておく。
「君はクズだ」→「君の考え方は不誠実だ」
いや、会社ってそもそもほとんどの場が裏方でそれ以上裏に隠れる所無いのに
それ以上隠れるとしたら何もヤってないってことですやん。
http://anond.hatelabo.jp/20140731074259
その時代の作品群を代表するキーワードを除いたとき、どれだけの作品が残るかを時代別に比較して、
80年代、90年代より00年代10年代の作品はどれだけ少なくなっているか、というところまでやらないと
テレビのトップニュースで報道されるような犯罪してる人だって結婚してたり、子どもがいたりするのになんで自分にはそういう人がいないんだろう。
悪いことしていない。
普通に自分なりに一生懸命働いていて、人付き合いが苦手だけど愛想笑いして、気持ち悪いと思われないように、下心なんて微塵も感じさせず、誰のことも誘わず、親身にならず、でも困っている人には優しく、できる限り手助けして、でも下心なんてないよっていう自分の気持ちを押し殺すのに精一杯で、だからこそ挙動不審なんだけれど、下心なんてあるけれどそういう自分の不潔さも嫌いで、そんな自分になりたくてなっていて
でも恋人もいない。
前の職場で知り合いお互い付き合ってる人がいたがそれでも付き合った。
じゃなきゃ7年も付き合えないと思うし。
別れの原因は言葉にするの難しいけど、将来を考えられなかったって事かな。
なんと言うか家事や掃除に対する感覚がなんかすれ違ってて将来が見えなかったんだよね。
(彼女)例えば食べ終わったら取り敢えずシンクにお皿を置いてしばらく放置→(俺)だったら置くついでに洗えばいいでしょ、みたいな感じ。
通じるかな。
まあ伝わりづらいから彼女には好きな女が出来たって事にしたけど。
30過ぎて結婚しないなんて酷いとか言われたけど、結婚ってそういう物ではないと思う。
かわいそうだからという感情だけで結婚される彼女もかわいそうだと思う。
付き合い始めたときは本当に大好きだったんだけど、
別れるときは、相手の気持ちが醒めてた、と思う。
優しいから何も言ってくれなかったけど。
ただ、あの人は子供を欲しがってた。
仕事もしっかりしているし、見た目30代だし、ハンサムで優しいから、
けど、気になる、子供を生んであげられないのなら
実際はそう若くはないあの人の時間をむやみに占めたら悪かった。
でも大好きだった、3年間幸せなことのが多かった。
慰謝料渡したほうがいいかな、と思って
そっと距離をおくのが一番の礼儀だと思ってる。
けど会えば目で追いかけてしまう、あなたの幸せを心から祈ってる。
素敵な彼女でいられなくて、ごめんなさい。
作家でSFを語ってる時点でわかってねえというか脳が文系なんだよ
著作時期の科学発展度合いとその時期にどういう文化が広がっていたか
あとどんな未来を予測していたかと著者の科学に関する経歴や素質を鑑みた上で内容を細かに考察するなら
読む対象が小学生の落書きだとしてもSFを解しているって言えるだろう
そういった点をなにも考えずに上辺だけでSF読んでたらハヤカワが印刷した文字一文字逃さず読み尽くしてたとしてもSF解したとは言えねえし言わせねえよ
今まで迷ったことはあったけど、それは複数の選択肢でどれにするのかという悩みであって、今とは違う。
今はどう生きればいいのかわからない
あまりに突然で、朝見送ったときはつわりはあったけれども、元気だったのに、死んだ。
薄目を開いてこっちを見ている。
泣き叫ぶことしかできなかった。
本当に、何もかも信じられなかった。
妻が死んだことも、自分がなんでここで泣いているのかもわからなかった。
嘘であって欲しかった。
本当に嘘であって欲しかった。
妻は子供が生まれるのを心底楽しみにしていた。
ありがちなのかもしれないけれども、生まれる前から男の子でも女の子でもいいように二つ名前を考えた。
あと、男の子だったら春馬は?
と妻。
でも春馬はちょっとなー。
なんかいまどきっぽいし。
伊織は?
と俺。
伊織なんて変な名前なんて言ってたくせに、翌日には男の子だったら伊織ねなんて言ってくるから、こっちはたまったもんじゃない。
ベビーカーもいるよね、アプリコットってメーカーがいいらしいよ、あと他にもベビーベッドとかいろいろ買わなきゃね。
あんたに似たらキツネみたいになりそうだから嫌やわーとクスクス笑いながら言った。
そのあとのお通夜と告別式の準備も、非日常すぎて全く現実感がわかなった。
多くの人たちが来てくれた。
妻の友人や会社の同僚、上司、俺の友達が泣いているのを見て、やっぱり現実なんだと自分も泣いた。
なによりもそんなみんなを前にして、何も反応しない妻は、生きているみたいなのに、やっぱり死んでいた。
いつもみたいに、半目を開けた間抜けな顔だった。
一週間、仕事を休み、事故の時に居合わせた医師の方にお礼を言いにいき、少しでも事故の内容を詳しく知るために警察に行った。
でも、ただただ、つらい現実を知るだけだった。
妻が死んでから、仕事が忙しくて、こんな時に何やってんだろうと思いながら、働いて、とりあえず、今日一段落したからこれを書いている。
ただ、そこにいてくれることが、どれだけ自分のことを支えてくれいてだろうと、今さらながら思う。
とびきり美人でもない。
帰ってきても横になりながらテレビ見てる。
口を開いたら憎まれ口ばっかりだし、自分勝手なところもあった。
でも、普段は当たり前すぎてわからないその存在が、いてくれるだけなのに、その存在は間違いなく俺に生きる意味を与えてくれていた。
俺が世の中にいていいということを、家族以外で唯一肯定してくれていた人だと、今はそう思う。
当たり前の存在だった妻は、そこにいない。
もう、どうやって生きていけばいいのかわからない。