2014-07-06

http://anond.hatelabo.jp/20140706141031

精神的自由についてだけど、教養の少ない状態っていうのは、自分経験によってしかものごとを見られない、極めて不自由な状態なのね。自分自身意志に従って行為していると自分で思っていても、その判断基準は、偶然自分が通ってきた経験によって大部分規定されている。

ものごとについて一つの視点からしか見られないってことは、「立場が違う他人にとってそれはどういう意味を持っているのか」ということを考えにくくするし、全てのものごとを自分にとっての損得や好悪で判断しがちになる。自分に縛られた状態だな。

この「他人」っていうのは同時代の人々だけでなく、過去未来も含む。特に、今ある世の中の仕組みや、産み出された作品っていうのには、それを作り出した人々がいるわけで、それを作り出した過去の文脈からものごとを眺められると、自分視点だけで見ていてはわからなかったことがわかるようになったりもする。

専門を学んでゆくことでその分野についてのパースペクティブは得られるけれど、日常生活社会を成り立たせているのはひとつの専門分野のアウトプットだけじゃないからね。

もちろん、人間、完全に他人視点を獲得するなんてことはできないんだけれど、少なくとも自分を縛っているものが何かについて自覚的できれば、その外側に踏み出して眺めてみるって努力もできるだろう。そうする時、少しづつ自由になってゆく感覚があるよ。

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