2014-02-20

http://anond.hatelabo.jp/20140220012107

「己の心と正面から向き合い戦う」

はて。そのようなことが一般的に可能なのでしょうか。

かつて(せめて治療のためだけにでも)それを試みたフロイトたちは今の惨状なわけですが。

世紀をまたいで残ったのは電マと性癖診断遊びと証拠不十分に終わった性的虐待裁判だけです。

正面とはどこにあるのでしょうか。観測者問題というのは、すくなくともこの部分では比喩として適当なほどに、存在します。

あるいは最近言葉で言えば「認知バイアス」と呼んだほうが適当かもしれません。

で、もし幸運にも戦えたケースだったとして。あなたの言うように「余力」の振り向け先を選べたとして。

それが信仰であってもいいのではないですか?

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Blog拝見しました。

噛みあってるようであわねーなー、布教伝承の話全然しないしなー、もしかしてなー、と思ったらやっぱり神道の人だった。

こういう話し方じゃなく民俗民族方面で話せばよかった。

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ええい。思いついたから聞いちゃうが、

授業でお守りを切らせようとした教授の一件についてはどう思ってるわけ?

http://anond.hatelabo.jp/20131030094105

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個人的かつすごい乱暴、そして失礼極まりない妄想を言うと、

ヒトには「意味」という宿業が備わってしまっているので、その宿業を適宜ぶち込むためのゴミ箱概念として「宗教」って便利だし必然じゃねーの、という感じ。

別の言い方をすると。ヒトは因果応報の病にある、つまり元増田 id:oramuda のように善行には善果が発生する、と。

それは一部正しい場合もあるが、例外も多数存在する。巨視的になればなおさら。ならばその因果ミッシングリンクを仮想の因と果でうめることは、便利だし必然じゃねーの。おれが何でこんな思いを。祭祀を万全に行わなかった祟りだ。おれはこんなに頑張っているのに何故報われない。極楽に行ける。我らは生きている。なぜか。第一原因があるから

そんな感じ。

というわけでおれはビーバーの作ったダムを愛でるように宗教も愛でていきたい。

記事への反応 -
  • 3つ。 ・一時的なもので十分だ。傷を癒すに事足りればいい。 ・その癒えない傷は“杞憂”だ。仮に空が落ちてくる事を心配するとしても、それは一人の悩み事ではなくて世界全体の...

    • 一人で悲しむべき問題ではない。 おいおいおいおい。語るに落ちたな。宗教できちまったじゃねーか。 悲しみを共有させる、喪を司るのは何だ。

      • 一人で悲しむべき問題ではないならすなわち皆で悲しむべき問題だという事でもない。そもそも共有しなければならないわけでもない。 表現を変えるならば、悲しまなくていい問題だ。 ...

        • なんかもーさー。ダウトが多すぎて個別の反証になっちゃって恐縮なんだけど。 そもそも共有しなければならないわけでもない。 表現を変えるならば、悲しまなくていい問題だ。 そ...

          • では、ここで冒頭の主張に立ち返る。 “戦う相手は他でもない自分であって、「運命や人の力の及ばないものに対して己は無力である」と折れそうになる自らの心と戦わねばならない。...

            • 「己の心と正面から向き合い戦う」 はて。そのようなことが一般的に可能なのでしょうか。 かつて(せめて治療のためだけにでも)それを試みたフロイトたちは今の惨状なわけですが。...

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