初めに断わっておく。今の上司は尊敬してるし、甘えるときも甘えられるときもあるし、非常に良好な関係で仕事してると思う。その上でのギャップ。
非常にいい会社でさ。社員がどうしたいかっていうのとても親身になって聞いてくれるし、ほんとにそれを目指して頑張ろうよっていう空気もちゃんとある。
でもさ、「どうしたい」の部分が、成し遂げたい何かがある人と、生き方を手に入れたい自分とでどうしても合わないんだなって思った。
自分はさ、別にこう、成し遂げたい事とかないのよ。自分の望む生き方しててそれで一生終えればそれで幸せだな~とか思うわけ。でも、上司のボキャブラリーに置き換えると、「そのライフスタイルを手に入れるには年収がいくらで貯金がいくらで…」ってどうしても目標達成アプローチというか成し遂げたいなにかを持ってる人の発想で道筋ができていくみたい。数値目標みたいなのが無いと、生きる方向性が分からなくなるんだろうな。(逆にその人に言わせれば、俺は目標に対する執着心が薄いそうだ。そりゃそうだ。)結果、望みの生き方を手に入れるために望み通りじゃない生き方をする、みたいな意味不明なことになる。
と、ここまで書いて昔見たコピペを思い出した。いままさにこの状態かもしれない。
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。
すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えた。旅行者が
「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、
女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、
歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、
きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、
漁をするべきだ。 それであまった魚は売る。
お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。
そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。
その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、
漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」