ミストバーンと暁美ほむらと鷹野三四という愛着障害者が物語における敵になる理由 - tyokorataの日記
http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20140209/1392025251
邪悪とか漆黒の意思とかそういうちゃちなもんじゃねえ……もっとドス黒い吐き気を感じるッ!
ブコメを見てみるとあの人の事をどんな奴なのか知らない人もいるようで纏めてみる。
名前の由来はジョジョ第五部のゲスこと「チョコラータ」が元ネタだって昔バカッターで言ってた。
原作ジョジョを知らない人に説明すると虐殺を楽しむクズ野郎であって、こいつの数ページにわたって無駄無駄ラッシュがかまされタコ殴りにされるというキャラ。
でも結局は自分に自信がない現れらしい。
口を開けば母親への恨みをしょっちゅう吐いてる。あの人と少しでも絡んだ人なら「母親を憎んでいる人」という事はよくわかるんじゃないかな。
ぶっちゃけまどかマギカ(特にほむら)に執着してるのも、その碌でもない母親を投影してるらしい。溜まったもんじゃないけどな。
そのせいでミソジニーもこじらせてる。昔の作品に拘るけど「強い男、弱い女」がいいらしい。
今までよくTogetterとかで炎上しなかったなこの人……。
最初に言っておくけど、あいつの見てるほむらは原作のほむらじゃない。
「ゼロ年代セカイ系的な糞ヒロイン」としてのテンプレを詰め込んだモノらしい。
だから叛逆で見せたマミさんや杏子に対する捨てきれない情とか、さやかやなぎさを蘇生させた部分があるという「功利」はない。
からくりサーカスやフェイスレスみたいに改心して反省して後悔のままくたばらないと許せないらしい。
その一方でまどマギ以外の虚淵作品にはどうもそれほど執着してないらしい。
Phantomや鬼哭街、沙耶の唄やFate/Zeroとかもそれほど執着してない。男が活躍するから。
サイコパスの槙島の方がよっぽど「愛着障害者」だと思うんだが、多分あいつクレイジーサイコホモだし。
でも狡噛からある種の友情みたいなもの向けられてるからどうでもいいらしい。
それが多分見てないか、ぶっちゃけあいつが見てるのは「俺の理解出来るもの」であってそうしたものから逸脱してる作風にも興味ないんだと思う。
ちなみに彼にとって虚淵は藤田和日郎先生に似てるらしいが、俺は全く思わんけどな。
少年漫画は大なり小なり「悪い奴は反省させるか後悔させるかして負けなければいけない」という要素があるのもわかるし、荒木飛呂彦先生や藤田先生がそういう人なのは分かる。
別にそういう作風が好きでもいいさ。問題はそれを虚淵に押し付けるのを当然だと思ってるからその妄言に吐き気を催すわけで。
母親ほどではないけど父親やお姉さんにも複雑らしい。
姉だか忘れたけど(もしかしたら母親かもしれないけど)「ナウシカ原作は気持ち悪い。アニメの方が好き」という家族の意見に対してキモオタ的な蔑視のコメントを吐いてたと思う。
他に好きな作品はジョジョ・ダイの大冒険・藤田和日郎作品・荒川弘作品・トライガン・ヒラコー作品あたりはよく引き合いにしてるね。
あの人どうも最近の作品についてこれない節があって、作品の引用は70年代~90年代が多い。
別にジョジョネタや懐古ネタだけに特化してれば結構面白い人だと思う。そこは彼の強みだと思うし、ほんと勿体ない。
問題は嫌いなキャラはかなり多い。
まどマギキャラ全般(特にほむら)・ドラゴンボールの悟空はしょっちゅう叩いてるし、絶対に彼らを認める発言はしないどころかジョジョや藤田作品の下衆キャラと同類扱い。
エヴァのアスカを初めとした暴力ヒロイン全般・母性キャラ全般もしょっちゅう叩いてる。怖いらしい。
嫌いなものに対して絶対に認める事とかしない。(例に出すなら、彼がほむらや悟空に抱いてる「憎悪」はエターナル東方が艦これに対して抱いてるような「憎悪」に近い)
しかもエヴァ時代のノリをまどマギに投影しちゃってて、しかも虚淵とかシャフトとかと全く無関係の「俺が好きな作品の方が作風は上なんだ!」「虚淵先生だって俺の好きな昔の少年漫画と同じなんだ!」って偏執性がある。
虚淵が昔の少年漫画好きなのはわからんけど(多分好きだと思うがわからん) それが作風に投影されてるかっていうとね。
「悪いことした奴は苦しむか反省しなきゃいけない」という倫理に囚われてるんだと思う。
そういう善悪も結局は流動的なのにね。
『ドラゴンボール』の悟空と碇ゲンドウの共通性について - tyokorataの日記
http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20100512/1273598659
こんな記事描いてたけど、こういう時期はまだ楽しめてたよ。
あんまゲンドウの事触れてないけど、少なくとも悟空のキャラ性はあながちブレてなかった。
問題は彼の思考は90年代くらいで止まっちゃってる所でね。
ただ今思えばあのマンガの「正義」「邪悪」の倫理が彼が頭おかしくした原因なんだと思う。
まどマギ10話ですごい勢いでぶちギレたらしくて、その日に「ほむらはキュゥべえの同類だった」とか言い出してすごい剣幕でほむら叩き出してなんだったんだと思った。
賛否分かれるのは分かるけど俺はあの話すごい好きだったし、何言ってんだこいつと思ったよ。
しかもどんどん「邪悪なほむら」像が蔓延して行って、「まどかがほむらをキモがってる」とかそういう前提でね。
ほむら=フェイスレスという説 - tyokorataの日記 - はてなダイアリー
http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20110313/1300032043
いやほんとこの人何言ってんだろ。
つーかこの人まどかも嫌いなはずだけど、エレオノールと一緒にしていいのだろうか。
だからほむらは「反省するか倒されるしかない」と思ってるのかもしれんけど、それキャルとルイリーと沙耶と切嗣と槙島とシドさんの前でも言えんの?
別にほむら叩いてもいいんだけど、あの人のほむら像って「自分の中で知ってる作品で培われたもの」だからな。
叛逆ほむらが民間人に直接的な危害を加えることしなかったし使い魔にもさせなかったこととか都合の悪いものを無視してるでしょ。
そして織莉子さん(スピンオフ「おりこマギカ」の主人公)を引き合いにしてほむらdis(笑)か、織莉子さんも可愛そうだな。
>ジョジョや少年漫画に埋め込まれた意図や作者の描いた哲学を掘りだすことがモットーです
要するにtyokorataに感じる「吐き気」は「邪悪」なんかそんなものでもない。
ですよ。
> 自分しかここにいないのよ! その自分も好きだと感じた事ないのよ!
ほんと、この人はまどかマギカに触れておかしくなったと思うのでそういう意味ではすごい同情してます。
別にほむらがどうとかじゃなくて、彼の言う「暁美ほむら」への自己投影がうんざりするというだけです。
「碇シンジは俺なんだ!」的なそういうノリなのかもしれませんけども、あれは自己投影するようなキャラでもないし、
そもそも「自己投影しやすく屈折したほむら」なんですよね。ヘイト創作でキャラをゆがめる手法そのもの。
他の漫画は見れてるけど、まどかマギカに関しては間違いなくあの人作品を見てないし、自分しか見ていない。
もうちょっと他人を認めてもいいのに。
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こんな長文で絡んでくおまえも相当だと思うぞ☆(ゝω・)v