極限状態っって、殺しの時点で極限だ、って言ってるんだけど、読み取れなかったかな?
食料として育てる時点で極限状態でしょ?
そこからそれ以上ひどいとかどうとか、それほど変わらないでしょう、というだけの話。
貴方がもし、後1年後に屠殺されることに決まったけど、殺され方どうしたい?その1年間、どう過ごしたい?
って聞かれたらどうする?
殺され方やそれまでの生活どうこうの問題じゃないよね?
まず第一に、1年後に殺される事が一番の問題だよね?
理解できないかな?
うぬ、どこまでが批判の対象なんだろう?
例えば実際屠殺してる現場を見たことある人はどれだけ居るんだろう?
魚とかだと、生きてる物を、その場で血抜きとかするわけだけど、
血抜きだよ?血抜き。
その辺は何も感じないんだろうか?
何が違うんだろうか。
(単に企業としてのイメージ陥落に加え、この様な講義に対応し続けること、ヘタすると訴訟とかまで相手にしないといけないことも含める。)
実際、たばこを一気に格段増税したり、法的に禁止できないのって其の部分が大きいんだけどね。
最初から脳死状態みたいので何も感じない様にさせといたら問題ないのかな?
食用動物屠殺スル時も、安楽死とかじゃなくて普通に殺すんだけども。
魚のおどり喰いとか、自分がされたと思うと恐ろしいわな。
全部動物食べない、ってんならまだ言い分分かるんだけどもね。1つでも食べたら文句は言えないよ。
同じ布団で横で泣いてても気づかれずに寝られると腹が立つわけでもなく、余計に涙を流すわけでもなく、ただただ虚しい。
渡邊芳之先生ynabe39の「普通に考えて菅さんや鳩山さんや安倍さんや石破さんよりあなたのほうが賢いなんてことありそうもないじゃないですか。」
健常者のインターネットの使い方はなぜ間違っているか。それは属人性を強める方向にしか進むことができないから。
俺たちっていうのは一旦自分のことを置いておいていろんなことを喋るの。自分についてのことは自分の中で乗り越えてからインターネットにやってくるの。
だから俺たちは公の議論ができるの。そこでは偉いも偉くないも強いも弱いも無いの。
男性がサッカーを見て、「○○は下手クソだ」と言うと女性は「自分はできないくせに」と言うが、これが男性からすると不思議でならない。
「俺がこんな一流プロ選手みたいにサッカーをできないのは当たり前なのに何でそれを言うのだ・・・?」となる。
渡邊芳之の言ってることも同じ!人々は別に自分と政治家を比較して「馬鹿だ」って言ってるわけじゃない。
boruemon
ワイナベ先生は、立場が異なる相手への意見は全て相手の改宗が目的である、という事を繰り返し主張している
(ファクトを共有した上での議論を求める考えの存在を認めない)ので、あらゆる突っ込みは時間の無駄。 2014/01/26
http://b.hatena.ne.jp/boruemon/20140126#bookmark-179285778
片方は「公の議論」、つまり、同じ立場で対等に話し合おうとしてるのに、もう片方は「自分の部屋」で議論しようとしてんの。
「俺の真意はこうなんだよ!」「俺は悪くない!」「ここは俺のホームなんだから!お前の発言はノーカンだから!」
とか喚く一方で、対話する相手と対等なテーブルに着こうとしない。いつまでも自分の陣地に引きこもって、公の場に出て来ない。
古参ネット民は、自分のパーソナルな情報を極力捨てて、情報のやり取りをしようとしてる。
けど健常者は、「ボクのパーソナリティはこうです!」ということばかりを主張して、情報を全く出してこない。
「僕のファンは何人居ます」「僕の年収は○○万円です」「僕は」「僕は」
「いやいや、あなたの属性とかはどうでもいいので、意見を言ってください。主張してください。情報をください。まずは同じテーブルに着いてください。」
健常者は1回「自分」から離れろよ!自分の部屋から出て来い!「公」に来い!
貴様らは2ちゃんねらーよりも陰湿である。自分のパーソナリティの七光りで他者の口をふさごうとしてる。そんなのはインターネットの本質じゃない。
なんで健常者は炎上するかというと、パーソナリティの力にあぐらをかいて、文章がスカスカだからだ。文中に情報を入れようとしないからだ。だからいろんな人にいろんな解釈をされてしまう。
アホなんだよ!自分の言いたいことはハッキリと文章に詰め込め!お前の個人情報はばっさりカットしろ!
実は、そういう自己アピールを捨てた文章から、人間が見えてくることってある。無機質な「情報」から人間が見えてくることってある。
俺はそれが見たいんだよ!1回対等なテーブルで向き合ったり、テーブルの上でやり合ってる奴らを見たりして、そこで「人間」を発見したいんだ!
テーブルにもつかずに、飾り窓から手を振って誘惑するみたいな感じで、「私はこうよ~」なんてやられても白けるだけなんだよ!
話が逸れた。俺は言いたいのは、渡邊芳之は間違ってる。「できない奴が文句言うな」っていうのは、それが正しいこともあるけど、
そればっかり適用しちゃうと、人々が何も言えなくなる。批評の営みが途絶える。
健全な世界って、もし日本にすごくアホな首相が誕生したとき、小学生が笑って「○○首相って馬鹿だね。僕が首相になってもああはならない」って軽く言える世界じゃないのか。
小学生が「でも、僕が首相の立場になってもああはできないよ。もっと酷くなる(笑)」とか謙遜してる方が気持ち悪いだろ。
一般人が、自分のことは一旦置いておいて、公でのプロの態度や行為を評価できるのが健全な世界なのでは?
その一般人に対して「お前は首相より学歴あるのか?」とか聞くことの方がよっぽどフェアじゃない。アンフェアだ。
渡邊芳之のことは良く知らなかったけど、今回の一連の発言で、「この人はすっごく権威におもねる人なんだ」という印象になった。これは意外だった。
もっと反体制派の人かと思ってた。ともかく、渡邊芳之のこの言説には反対です。
http://anond.hatelabo.jp/20140117034425
それの違いがあるのは極限での話な。
殺しは殺し。
殺すと殺さないの間にはその違いとは比べ物にならないほどの差がある。
逆に、お前がそれを盾にしたいなら、カモの脳を先に停止させてしまって何も感じない状態にしていたら何も問題ない、ってことだな?
つまり、お前は、「コントロール可能かどうか」だけが首輪を付けるかどうかの差、だと言いたいわけ?
それとも、「人間」か「犬」かは区別するべきだ、と言いたいわけ?
どっちなんだ?
こちらは、最初から、「人間」と「犬」は別物。だからこそ首輪つけて「ペット」としても認められてる、と言いたいだけ。
ただ、それは、人間にしたら駄目なことだし、やられたくもないこと
つまり、少なくとも人間と同じレベルでは扱ってないし、犬側に嬉しいことではない。つまり虐待。ただそれだけだ。
ただの所有物だろ。
カモやアヒルを普通に育てて殺すのと、脂肪肝にするの、どう違うのか?
日本でも、高級牛はビールを飲ませて脂肪だらけにする、等、のことをやってるが、それはいいのか?
ペットも同じこと。
フェミニズムやそのアンチでもなんでもいいんだけど、社会学や哲学といった人文科学を自分のルサンチマンの解消のために用いるのはかっこわるいしそれを専攻している人間から見ると方便として人文科学を用いているのがバレバレだぞ。
それが正しいってことだな。というかむしろそうしなきゃいけないわけだ。
お前は自分の子供を他の人間が、檻に入れて大事に豪華なご飯を与え続けてたとして、
それを虐待だとは思わないのか?
それなら別に食べても問題ないんじゃないのか?
人間と同等なのかそうでないのか、お前の都合の良い時は同じ生物だ、と叫び、別の時には人間とは別だ、と叫ぶ。
その辺、お前の都合の良いように変えるなよ、って話なんだけど。
どこが都合がわるいのか教えて欲しい。
それらを正しいんでしょ?と言って使うのはアホすぎ。
ただそれだけなんだけど。
それを理解できないお前はアホすぎ。
そのアホすぎが最近は広く面に出るようになったのがバカッターなんだが。
よ、バカッター予備軍。
あと一言言っておくが近代以前は養子関係が入り乱れているからあんまきにすんなよ。
多分5代くらいは遡れるが、それ以前は上で書いている人がいる通り系図が無いと(系図が残るぐらいの家:豪農・神官・僧侶・下級藩士くらいじゃないと)難しいからな。
はてサヨの皆さんはお気付きだろうか?
反戦という要素を政治のための交渉カードと捉えるのならば、間違いなく反戦を手札としているのは開戦という決定権を持つ保守派であるということを