2013-11-27

「2年目のジンクス」を経験して得たこと

 2年目のジンクス――。スポーツ芸能界で華々しいデビューを飾った人物が翌年、嘘のように活躍しなくなる様子を表した慣用句だ。そして、今年の私がまさにそうだった。

現在、私は大学サークル活動でマスコミ系のサークル所属している。元々、文章を書くのが好きで入ったサークルだ。1年の頃はちゃんとした文章が書けるか不安でたまらなかった。しかし、取材対象について自分なりに準備をし、それが先輩方から褒められ自信につながった。取材を重ねていくうちに、もっと良い文、良い写真サークルが運営するWebサイトの読者に発信していこうと、参考になる記事があればその都度収集して、今後に活かそうとしていた。それが1年生の頃の自分だった。

 だが、2年生になると状況が変わる。編集長代替わりし、新しい体制になった。この体制が私の苦しむシーズンの始まりとは知らずに。今までどおり私は自分なりに準備をした。2年目にもなり、今までの活動をベースもっと深く掘り下げた文を書こう。そう意気込んでいた。しかし、新しい編集長の下した答えに唖然とした。「この文は酷い。あなたの文章は中立的すぎる」。1年間の全てが否定された気分だった。確かにウチのサークル大学部活動を応援する一助を担うサークルだ。でも、1年間自分はそのスタンスで書き続けてきた。第一、その編集長の書く文章も良い物とは思えなかったし、同学年の中でも、その人のやり方に不満を持つものが少なくなかった。憮然とした感情うごめく中、私は文章のスタンスを変えざるを得なかった。もちろん、1年間染み付いたスタンスが数ヶ月そこらで変わるわけはない。文章を書いては貶されの日々で、次第に読んでもらう対象が読者のための文章ではなく、編集長に怒られない文章を書く事が目的にすり替わっていった。当然、面白くなかった。以前のような準備もしなくなったし、担当する部会の次期チーフも当然のごとく、もう一人の友人(編集長彼氏)に任命された。

 情熱を失った自分が悪い。頭ではわかっていた。しかし、一番は自分が読んでもらう対象を見失ったことだと思う。もっと大学によった文章を書こうと気を使いすぎて、読者に何を伝えたいのかが分からなくなってしまった。自分来年3年目を迎え、最高学年になる。このままズルズルと行くのか、持ち直すのかは分からない。ただ、ひとつ言えるのは、今年経験したことは必ず、自分のこれから仕事、後進の育成に活かしていかなければならないということだ。

  • マスコミ系の文章だからなのか独特の言葉の言い回しが気持ち悪いな。罵倒ではなく純粋に吐き気がする。誌面でやっててくれ。

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