2013-10-28

アラサーメンヘラの現状

土曜日大学時代の友人の結婚式に行ってきた。これで自分以外の女性は全員結婚した。

一方の自分はといえば、一番初めに結婚した友人の結婚式前後して精神疾患にかかってしまった。

適応障害の診断に始まり抗鬱剤を飲みつつステージ4まで肝がんが進んだ父親の世話をしていた頃の私は、かなりしんどそうに見えたらしい。実際私は女性にもかかわらず、友人の結婚式リクルートスーツで参列しようとして友人に諭されてようやくブローチをつけていたぐらいだった。

その後父親が死んでから躁転自分で何をしているのか何が起こっているのかわからないまま、気がついたら数年前に卒業した大学の近くにある精神病院閉鎖病棟で手足を縛られた状態で横たわっていた。数週間して個室に移ったあとも自由な外出もままならず、病棟廊下を死んだような顔で歩き回っている人たちの輪に加わっていた。

その後、半年ほど引きこもり、その間に私の病状を心配した家族から長年住んでいた家から引っ越したのちに、半年ほど精神科デイケアに通った。

そのころから、もう自分普通人間(いわゆる健常者)では、なくなってしまったと思うようになった。実際そのころはストレス精神病薬の副作用による食欲亢進のお陰でBMIが30位上になっていたし、今は父親の遺産社会で働いていた頃に入っていた保険からでた入院保険金で生活出来ているけれど、いつかは障害年金生活保護生活することになるのかなとぼんやり思い始めていた。実際私が通っていたデイケアの利用者の大半は障害年金生活保護生活しており、丸々と太っている人たちが大半だった。

いつだったか、ふとその話を母親にした時に、「そんなことがこれからも出来ると思うな。外に出て働け。働くことができなくても復職のために準備をしろ」と言われ、簿記1級の受験のために資格予備校に通った時期もあった。2級受験から5年以上立っていた上に、精神病薬を飲みながらだったから、受験直前期になってやっぱり無理だと思い、受験料だけ払って受けなかったけれども。

簿記1級を諦め、パートで1年働いている間に肥満外来に通って、なんとかBMI健康的な水準に戻した。その後契約社員ではあるけれども、中堅企業採用されてフルタイムで働いている。

でも、肥満だった証のだるだるの皮膚を見るたびに、閉鎖病棟にいた現実を思い返すたびに、もう私は普通ではないと思ってしまう。みんな普通に結婚して、子供も産んでいるのに、小学校の頃から結婚して家庭を作るんだ~などとのほほんと考えていた自分ができない立場になってしまった。

職場恋愛をしようとしても、会社には病気のことを隠しているのでできない。外部で婚活しようとしても、妊娠するためには断薬する必要があること、断薬すればまた躁転するかもしれないことを条件に結婚してくれる相手などいやしない。それに楽器演奏と月1のお笑いライブ趣味にしている今が一番ラクだと思っている自分もいる。

けれど、このままは嫌だ、自分にもパートナーがほしい、早く親元から離れたいと思っている自分もいる。でもパートナーは作れないだろうな、ある程度貯金がたまったら一人暮らしして、いきなり紐なしバンジーしたくなっても周りに心配かけないように物品の処分や死後の手続きについて書き置きしておかないと…

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