それで思い出したことを書く。
私自身子供の頃アニメや絵本でよく見ていたし、子供相手の職業についてからは子供の好きなキャラクターとして認識していたアンパンマン。
何故だか子供たちはあの丸顔パンのキャラクターが大好きで、一番最初に好きになるキャラクターがアンパンマンだという子は少なくない。
だから当然、アンパンマンマーチやアンパンマン体操などの歌も私は知識として知っていた。
そう思っていたが、それが全く違う意味に取った時がある。
電気も水道も止まり、ガスはプロパンだったけれども怖くて使えない。寒さに震えながら避難所で寝た。
明日から職場や家の片づけをしなくちゃ。大変だけど週明けの月曜日まで終わるかな。
そう思っていたが、12日の早朝に状況は一変する。
原発から10キロもない避難所にいた私は同僚と一緒に追われるように避難した。
大渋滞の中やっとのことでついた避難所も20キロ圏内にあり、原発が爆発したというニュースを聞き、そこからも逃げた。
真っ暗で波打った道路に疲れ切りながら車を運転している中、カーラジオは絶望的なニュースしか伝えてこない。
もうニュースを聞いていたくなくて、でもラジオを聞かずにはいられなくて、その時聞いたニュース以外の番組でアンパンマンマーチを流していた。
『そうだ うれしいんだ いきるよろこび』
歌詞が追い詰められた心に沁みた。
ヨウ素剤まで配られそれを飲み、原発が爆発したと聞かされ、それ以外の何の情報も持たなかった私は深刻なレベルでの被曝を疑っていた。
明日ではないかもしれないけれど、放射線を浴びた影響で私はじわじわ弱っていくのかもしれない。死ぬのかもしれない。
そんな心にあの歌詞は私も生きているのだと思い知らされた。
津波で行方不明になった知り合いのこと、ラジオで聞こえてくる沿岸部に数百の遺体があるというニュース、少しだけ見れたテレビから流れていた真っ赤に燃えているコンビナート…多分、たくさんの人が死んだ。
でも私は生きているし、生きていたい。
私は泣きながら車を運転し続け、丸二日かけて実家に帰った。
アンパンマンマーチにこれほど心を揺さぶられたことはなかったと思う。
それにあの曲調はとても明るくて、全部壊れてしまった日常も思い出されて、頑張らなくちゃいけないのだと思い知らされた。
あの時、大げさに言ってしまえばあの曲は私に希望と生きる意欲をくれた。
後になってから、余震におびえる子供たちのために放送されていたのだということも知ったけれど、大人の私にもアンパンマンは希望をくれた。
やなせ先生のご冥福をお祈りします。
http://anond.hatelabo.jp/20131015214419
本当に伝えたい言葉は簡単な言葉であるべきだと思う。 アンパンマンマーチは老若男女、誰でも理解できる内容だし、だからこそ深いんだと思った。 辛い体験をしたからこそ見えてくる...