現代の若者は飲食店の冷蔵庫に入った写真を公開して馬鹿だバカだと叱られているが、昔は大学や山荘に立てこもって仲間を暴行したりして警察に突入されて、それをテレビで全国中継されていたのだから、大幅な洗練と進歩があったと言える。
http://twitter.com/masah/status/371855268063084544
学生運動もコンビニの冷蔵庫に入るのも同じ「自作自演の通過儀礼」であるとみなす考え方は、大枠は外していないと思う。問題はその自作自演の通過儀礼を行う層の学歴の低下だが、これには「大卒就職活動の激化」と、それに歩を合わせた「家庭的小規模産業の衰退」を原因として見て取ることができるのではないかと思う。
どういうことか。
まず、現代の大卒就職活動はじつに「通過儀礼」としてうまく働いている。「日常=大学生活」を離れ、「危険な場所=面接会場」に赴き、「宝=内定」を得て帰還すれば「大人=社会人」として認められる、という一連のプロセスは、多くの民族に見られる通過儀礼の構造そのものだ。これが多くの学生に普及した結果同年代の学力上位半分(大学進学者)にとって過剰な自作自演の通過儀礼は必要ではなくなった。これがひとつ。
もうひとつは、生活の隅々にまでロードサイドの大企業が進出した結果、これまで多くの低学歴な若者の雇用を吸収していた「家庭的小規模産業の衰退」を招いてしまった。彼らを雇い教育するのは血縁あるいは地縁でつながった「知り合いのおっさん」ではなく、本部から派遣されてきた「よく知らない兄ちゃん」に変わったのである。その結果「大人」であることの説得力は遥かに低下し、「ポカをやっておっさんにドヤされ、許される」という職業人としての通過儀礼もうまく提供されなくなった。よって彼らは「仲間内に過激なネタを提供する」という自作自演の通過儀礼に走らざるをえなかったのである。
この分析がある程度正しいとするなら解決策は一つしかない。すなわち、「職業教育の復権」である。学力階層の低い若者には、早いうちから「大人」に混じって働く機会を与え、あるいはまとまったスキルを与えてマックジョブ的な雇用ではなく「大人」の職場に吸収されるようにすることによって、彼らが「大人」になるのを待つしかない。
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「ローソンのアイス用冷蔵庫に入る男→契約解約及び当該店舗の休業を決定!」
http://matome.naver.jp/odai/2137384951250882101
もちろん話はそう単純なことばかりではない。この事例では馬鹿をやった若者は店長の息子だった。これは「家庭的小規模産業に吸収されたとしても、ちゃんと条件が揃わなければ通過儀礼は発動しない」ということをはっきりと指している。
加えて、大学生のアルバイトについてはここで述べた議論以外の対策が必要になる。
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ここで展開されている議論というのはすなわち、「社会全体が彼らにとっての教育の場となれ」ということである。むろん佐々木俊尚氏自身が著書で書いているように、国民国家が崩壊に向かっている現在ではそのようなことは不可能である。