状況はともかく、アレな人だらけの親戚の中で自分だけ…というのは全く同じだ。
やることなすこと全く理解されないんだよねえ。28くらいのときに親戚の家に行って、暇だから論文読んでたら、伯父に「お前…勉強とかまだやってるんだな…」ってしみじみ言われたりした。
はじめに、
「創価学会の人であれば、どんなに口汚く罵っても許される」
はさすがに言い過ぎました。
カタカナで「ソウカ」と書かれたことでそう反射的に思いました。
ごめんなさい。
創価学会については、
少なくとも伊集院さんを、さん付けて呼ばないなんてあり得ない、
と思ってる人は世の中の圧倒的小数なわけで、
今は「あり得ない」っていうほどの熱はありません。
ただ、実際には「ああ、この人はさん付けで呼ばないんだ」
って心の底でひっかかたり、一線ひこうかなくらいのものだと思います。
これは、素直に驚きました。
私は仕事してて、さん付けしないのが当たり前の場所で働いたことがありません。
だから、余計に「名付け」に敏感になるのかもしれません。
ここは、さっきのとおり、「ああ、この人はさん付けで呼ばないんだ」な感じです。
「押しつけ」については、やっぱり自覚できません。
この自覚できないところが、無自覚に押しつけてるところなのかもしれません。
書いていて思い出したのが、
伊集院さんがなぜ奥さんの美佳さんを選んだのかって話です。
美佳さんを選んだ理由の一つとして、
「好きなことが一緒じゃないこと」
っていうのがありました。
「好きなことが一緒だと、はじめは良いのだけれど、
突き詰めていけばいくほど、好きなことが一緒であればあれほど、
決裂したときに、決定的な決裂になる」
私の好きなことが「伊集院光」なので、
こんなに一生懸命になったり、敏感になったりするのかなって思います。
ある程度は考え方や思考が一緒であって欲しい。
この思いが強すぎるんですね。
エントリを書くうちに、
おう、お互いその一部だからな!
違うなら、どこがどう違って、ホントは何が言いたかったのか言ってくれよ。
実際、誰もが的を得てないことを言ってる、ってことは言いたいことが伝わってない、ってことでしょ?
ここまで来たからには、それを知りたいよ?
その頃私が探し求めていた、水色と白で、幅の広いボーダーのみのシンプルなデザインのいわゆる「縞パン」
何店舗か回って探したけど結局見つけられなかった。
数か月前、とあるターミナル駅の近くのカフェで独身の友達と、女子会と称してお茶を飲んでいた時のこと。
前の歩道を、天使のように可愛い小っちゃい女の子が、とても綺麗なお母さんの手を引きながら歩いていた。ふと、その子の表情が、パッと輝いて、「おとうさん!」と言いながら前のほうに駆けて行って、そこにいたお父さんがその子を抱っこして高い高いしていた。
もう37歳になる自分には、ひょっとしたら得られないであろうそんな微笑ましい風景を見て、心なごみながらもまた少しの羨望を抱いたのは一瞬。その刹那の後、私の心は真っ黒になった。
高い高いしていたお父さんは、私の元上司だった。
社内きってのエリート。40代前半にして、トラブルさえなければ役員になるのはほぼ確実とまで言われている切れ者。私が彼の部下だった6年ほど前、独身だった彼に誘われて、何度か2人だけで飲みに行ったものだ。
「社内では後の問題があるから恋愛とかしない」が口癖だったくせに、2人だけだと甘えん坊で、私のことを綺麗とかしっかり者とかいつも褒めてくれていた。でも結局何もないまま、私はまだ独身。
彼が結婚すると聞いた時は軽くショックで、もう少し私の方から強く行っていれば付き合ったりできたのかなとか、でもやっぱり遊ばれちゃってたかなとか、奥さんはどんな人かなとか、くよくよと思い悩んだこともあった。でもそんなことは記憶の底に沈めてこれまで忘れていたのに。
ああ、自分にはこんな幸せが巡りくるだろうかと思ったその幸せ感と軽い羨望が、満面の笑みを浮かべながら女の子を高い高いする彼を見たとたん、胸を衝くどす黒い嫉妬に変化して、走馬灯のように彼との時間が蘇った。
たぶん彼には何の咎もないし、まして彼の奥さんや娘さんには何のかかわりもない、単なる私の一人芝居。なのに、あの時の私の黒い感情は、私の人格を支配した。一緒にいた友達が「顔が怖いよ」と言ってくれたのに、私は破滅的な道を選んでしまった。
彼をあの綺麗な奥さんから、一瞬でもいいから奪ってやる。あの満面の笑みを、一瞬でもいいから私だけに向けさせてやる。あの場所は、あの笑顔は私のものになるはずだったんだ。
そう覚悟を決めてからは、あっけないほど簡単だった。絶対に秘密ですからね、とお願いしたら、控えめに喜びながら、彼は、私を、抱いてくれた。奥さんとは子供が生まれてからもう2年も関係がないそうだ。私からの誘いは、渡りに船だったらしい。彼のセックスはとても丁寧で、まじめな人柄をそのまま反映しているかのようだ。この素晴らしい男が満面の笑みで私を抱きしめ、私の中で、私だけの中で、こんなに喜んであられもない姿をさらけ出し、優れた遺伝子を私に注いでくれていると思うと、私は誰にも言えない高ぶりを感じる。もちろんピルは飲んでいるけれども。何より、綺麗な奥さんよりも、可愛い子供よりも、私と過ごす時間が欲しいと彼が思ってくれるのは、だれにも言えないけれど、やはり優越感だ。
わかっている。これは単なる勘違いで、彼にとっては、口が堅くて、都合がいい時に抱けるだけの、ただの性欲処理なのだ。でも、彼に抱かれているその時間にだけは、この優れた男は、私だけのものなのだ。
私の心の中に、あの時感じたのとは違う種類の、黒い感情が、彼に抱かれるたび、溜まってしまっている。私は、彼を破滅させるボタンを握っている。この関係を誰かに口にするだけでいいのだ。そしてこのボタンを押したら、彼は、奥さんにも会社にも愛想を尽かされて、私だけのものになるかもしれない、と。
でもたぶん私にはそれはできない。それができないからこそ、彼は私を抱き続けるのだ。
どこかに私を娶ってくれる男、いないかなぁ。
そもそも、本気で日本の左翼たちがレイシズムやヘイトスピーチを憎んでる訳ないだろう。本当に彼らがレイシズムを憎んでいたのなら、毎日変態新聞の騒動の時、何らかの行動を起こしていたはずだ。
随分前の話だが、その界隈では著名という劇作家が某大学で公開講座みたいなのをやってた
テーマは、大衆も専門家も「ストーリー」との親和性の呪縛から逃れるのは難しい、というもので、古今東西いろんな物語が存在するが、人が好む王道パターンは大体決まっていて、それに合致するかどうかは政治の世界にも当てはまる、というもの
覚えてる範囲では、嫌われる政治家には大体の共通点とパターンがあり、大まかに分けて「ストーリーにおける悪役・悪玉的な個性の持ち主」か「キャラクター自体が破綻している人」のどちらかに分類されるそうな
典型例として前者は小沢一郎、後者は鳩山由紀夫(名前を出した時聴衆も「あーなるほど(笑)」とちょっと苦笑していた)
もっとも、どんなストーリーにも悪役に共感を覚えてる人はいるもので、そういう人達が小沢一郎を今も健気に支持し続けているが、存在自体がストーリーを破綻させるような個性の持ち主である鳩山由紀夫には、大衆は不快感しか覚えないんだとか
・主義主張が脈絡無くいきなり変わる(読み手が納得するようなエピソードや演出があるなら変わっても良いが)
・困難な状況に直面しても挫折も成長もしない(行動に対して結果を用意するというストーリー構成の原則を無視している)
・行為に対する相応のペナルティが発生しない(今も日本有数の大富豪)
この辺が駄目なんだそうな
後半は、映画監督や小説家、劇作家と護憲思想との親和性の高さに関する分析
まずは憲法改正に否定的な思想を持つ上記の職種の有名人を羅列していき(今をときめく某アニメ映画監督の名前もあった)、彼らには世界がどのように見えているのかを分析するというもの
これも大まかにしか覚えてないが、こんな感じらしい
・民族としての日本人、もしくは日本国を主人公と位置づけている
・主人公は弱いまま勝利しなければならない。強くなったら勝つのは当たり前なので駄目(反自衛隊的な思想との親和性)
・武力や暴力によって問題を解決するのは駄目。知恵や人徳といった非暴力的な要素で克服しなければならない(それが物語における作家の腕の見せ所なので)
・主人公は過去の過ちに悩み、けじめをつけなければならない。悩みもなく失敗もしていない主人公には魅力が無い(戦争責任や慰安婦問題との親和性)
他にも色々あったけど、こんな感じだった
で、彼らがアメリカの横暴には敏感で、中国・北朝鮮・韓国等の不条理に鈍感な理由としては、
・アメリカは最初から強者であり、また主人公を過去に打ちのめしている存在。これは物語においては主人公がいつか倒すべき敵であり、悪逆非道な存在でなければならない
・中国・北朝鮮・韓国はかつて日本が自らの過ちにより傷付けた相手であり、そういう相手と和解をしないまま主人公はストーリーを完結させることは出来ない(この劇作家も弟子がそういう粗筋を提出した際は必ず注意するという)
・そんな敵が主人公と手を組んでいる状況(日米同盟など)は、ストーリー的には「主人公を騙して利用しようとしている卑劣な敵」に合致するので、アメリカに批判的になりがち
・そして前項のように主人公は弱い(強大な力を持っていないという意味)ので、打ちのめされた相手はさらに弱くなければならない
・中国、北朝鮮、韓国が日本に敵対的なのは「ストーリー的には」「しっくりくる」ので、言動の理不尽さもあまり気にならない
・そんな「主人公より弱い被害者」が、主人公(日本)や敵(アメリカ)より強大で非道な存在であるのは「ストーリー的には」「しっくりこない」ので、無意識あるいは本能的に思考から排除してしまう傾向がある
というような話を、古典文学から最近の漫画、アニメを引き合いに出しつつ、約4時間かけてやっていたが、あっという間の時間だった
もともとはそんなに嫌いではなかった。
ドラマではちょこちょこ見てたし、それでヘタクソとかも思ったことはない。
夜の遅い時間のバラエティもたまに見てたけど別にどうということもない。
音楽番組はそもそも見ないので歌ってるのを見たのはほとんどない。
ところがだ。
夏休みの子どもの宿題のひとつが「指定された嵐の歌を覚えてくる」なのだ。
8月終盤の林間学校で全員で歌うのがその理由。
仕方なくCDを借りてきた。
聞いた。
びっくりするぐらい苦痛だった。
今まで自分に他人の歌が上手いだとか下手だとか思う事なんてできないと思ってたけど
こういうのをヘタクソっていうんじゃないか?と初めて思った。
なんでこんなものを聞かされなくてはならないんだ?
本当にこの歌いいと多くのひとが思ってるの?
自分の耳どうかした?
もちろん歌には好みがある。
でも宿題として押し付けられるならもっといいものがあるのではないかと。
同じ歌でも上手い人がカバーしたお手本を用意するとか。
といってもやるのは子ども。
本人はなんとも思ってないようだし、そのままにしておく。
しかし、普通のことすらまともにできないやつらを教員はもて囃す、
そんな学校に通っていました。
はいはい、としか言いようが無いが、どこ行っても「貴方」側から見れば全てその様に写ったと思いますよ。
今もそうでしょうけどね。
今、政治論争で根拠もなく原発廃止を訴えてるのは単なるバカどもだから仕方ない。
子供に金ばらまいた民主党と同じレベルの"馬鹿な国民"に分かりやすい制度で票を稼ごうとしてるだけ。
具体的な数字が一切ない。
単に表に出て来ないだけかと思ってたら、少し突っ込まれてる所でホントに何も出て来ない。びっくりする。
さらに、政治でもなんでも無い所で、歌手とか有名人が言ってるのはもっと馬鹿。
あいつらはホントに何も分かってないのに、ただ声がでかいってだけで良い事言ってますよ、ってやりたけだけで。
どちらの言いたいことも分かるけど、
実際、何度説明があろうが、別に大した金額じゃないっしょ、ふふん、って
で、親がしっかり考えれば、て言うんだけど、
考えられるレベルの親であれば大概そんな奨学金必要なかったりするんだな。
まあ、ちょっと前まで、学校教師が自分たちは奨学金貰ってここまで来た、そして教師をやってて
今まで原発によるエネルギー安定を受けて発展した経済の利益を受けた結果が今の世代なわけで、
そんな世代が原発に頼って生活してる人たちを攻撃している様にどうしても違和感を感じる。
容認派とか推進派とかいろいろレッテルをつけてるけど、原発に頼らない生活が成り立たない人たちなんだよね。
原発みたいな大きなシステムがあればそこに付随するライフサイクルがあるのは当たり前で、
そのサイクルの中にいる人たちがシステムを支えて今までの安定があったのでしょう?
私たちには原発に頼ってる人って見えるけど、もともとはこの支えてた人たちかもしれないのにね。
そんな人たちを要らなくなったからって放り出すわけ?
原発がまだ必要だっていう人たちは、原発がなくなったらどうなるのか先が見えてない人ってこと。
ということは電力会社は十分なフォローができてないってことだと自分は考える。
社会システムとして利用していたならば、電力会社が足りていないフォローは社会が担うべき仕事なんじゃない?
そういった考えが抜けてるから攻撃できるんだよ。
原発推進派は悪の考えに染まって周りが見えてないんじゃないの?
一長一短というのではなく頑張ってよかった探しをすると一つぐらいはとりえのある候補者がいなくもないという具合だ。
全国の方もなあ。
僕は来るべき脱原発の日のため猛烈な技術開発が必要だと思うから、その資金を失わないよう今は原発を再稼働するべきだと思っている。
石油や天然ガスに311以前よりもっと依存したいのであれば、自衛隊に猛烈に金を突っ込んで輸送路の安全を確保する必要があると思っている。
じゃあ自民党かっていうと、幼女を守れない内容の児童ポルノ法やTPPでフェアユース無しに非親告罪化される著作権はまずすぎる。なぜならそんな雰囲気のヤンキー喧嘩祭りウェーイ状態の日本では僕が生きていけず死んでしまうからだ。
憲法をまるで理解せずにぐちゃぐちゃにいじってドヤ顔されてせっかく戦争で負けて手に入れた全体主義でない憲法をなくしてしまうなんて日本は馬鹿馬鹿しくて生きていけない。
じゃあ共産党とかその他で良い政党があるかといえば、ない。経済軍事エネルギーで全然ダメだ。
まあこんなのはいつもいつもわかってるんで、今回も一番マシというかとりえの多いとこに嫌なところに目をつぶって入れる。
これはよく分かるし、別に何も悪いことではないと思うよ。
「世間一般」ってことで言いたかったのは、少なくとも伊集院さんを、さん付けて呼ばないなんてあり得ない、
と思ってる人は世の中の圧倒的小数なわけで、
仕事してても何かの集まりでも何でも殆どの人はさん付けなんてしないでしょう?
で、そういう人達と、全てとお友達にはなれませんね、って言ってたら物凄く狭い世界にならないか?って話。
それでもいいし、というならもう何も言わないけどさ。
個人的にそのような思い入れがあって選民意識があるのは別に誰も文句言わないよ。
でも、それを持つことで他を受け入れずに視野を狭くしてるなら残念じゃね?って話。
こちらは別に「さん」付けすることを何とも思ってないし、伊集院を尊敬してるんだな、って素直に思うだけで。
だから普通にそういう人達とも友だちだと思ってたし、相手がこちらが「さん」付けしないからって文句を言ってくるわけでもなかったし。
選民意識を持ってようが信仰してようが、それによって自分の範囲を狭めてない人も居るよ、という話。
そうですよ?でもそれを他人に押し付けてる所が問題で、あなたとソウカと一緒だ、と言ってるわけです。
勝手にやってる分には何も問題ありません。
「創価学会の人であれば、どんなに口汚く罵っても許される」
こんな事ひとことも言ってないけど、敢えて言えば、ソウカのことは、
申し込みして、振り込まれるようなたぐいのものじゃないぞ。
ちゃんと、説明会があって、説明をされて、それから申し込みをして、それから、審査だから。
何をどうやったら、返済の説明もされてるのに、知らなかったがまかり通るのか、むしろそれを詳しく説明してくれ。
ところが18歳かどうかに関係なく日本国民の多数はそのくらいアホなのですよ。
あなたとあなたの周囲がそうじゃなかったとすれば、それは親または周囲の大人の教養がそれなりだったからで、
大半の日本人はそうではないのです。
いったい、誰のためにお金を借りていたのだろう?
http://tom-w.hatenablog.com/entry/2013/07/20/082115
普通の高校生なら奨学金申請要項をチラ見するくらいで借金であることはわかるだろうし、
私が申請したときも大学卒業後に数百万円の借金、約15年の返済期間が待っていることを認識していた。
これをもって「私が出来たからあなたも出来なきゃおかしい」というワタミ思考だと反応されると正直辛い。
「メシ喰うな」とか「飛び降りろ」などと同じレベルの要求なのだろうか。
ちなみに私は偏差値52の高校から地方Fラン大学へ進学しました。
とにかく、
これには全く同意できないし、
仮に18歳の子に判断能力が無いのであれば親が教えてあげるしかない。
でも、親もまさか自分の子が18歳にもなってそこまでアホだとは思わないのかな。
とはいえ、既に「困っている子たち」がたくさんいるのであれば何らかの対策を考えていくことは無意味だとは思わない。
これら奨学金の問題(といっていいのか)の根本は高等教育にお金が掛かり過ぎることなのかもしれない。
たぶんみんな本当に大変なんだと思う。
なんとかしなきゃとも思う。
しかし、やはり18歳で、
その伝わらないことを楽しんだり、ムキになったりするのが、
この「はてな匿名ダイアリー」か。
だから、その「さん」付けしないひとを見聞きして、
私がどう思うのも勝手なのです。
「伊集院光さんのラジオの聴取者であること」から出発しています。
ちなみに、いち視聴者の人が「伊集院」と呼ぼうが、いっこうに構いません。
「それほど文句言わない」というのが、どの程度が分かりません。
「お友達になれない」や「お近づきになりたくない」がそれほどを指すのでしょうか。
「それほど文句」言うというのは、私としては罵詈雑言の類だと思っていました。
伊集院よりは、ん?って思う人居るかもしれないけど。
私は安倍首相を安倍と言える人に対して、「「ん?」って思う人」なんだと思います。
一国の主席宰相を格下に見て、平然と言ってのける人を見ると眉をひそめます。
ただの視聴者に対しては、そこまで思いませんが、
聴取者であるならば、私の中では話が違うのです。
そんな「選民意識」に浸るというのも、ラジオの魅力のひとつだと思うのですが。
「友達になれない」をそのように解するのであれば、そのままでかまいません。
はっきり言ってそれは"その程度"のことだ。
その「その程度のこと」が私の中で、多分に感じ入るところがあるということです。
言い直すと、
・伊集院さんのことを格下である(尊敬、敬愛が欠如している)とみなしている。
・「さん」付けなどの「名付け」の効果を理解していない。
この2点に関しては、言えるのではないでしょうか。
そして、この2点を私が人を見るときの重要な観点として見ているのだと思います。
「押しつけ」ているのであれば、
「「さん」付けで呼べ!」と語気を荒げたり、口汚く罵ったりしていると思うのですが。
「押しつけ」ということの認識についても、隔たりがあるのかもしれませんね。
何をもって、「ソウカと同じレベルだよ」と言っているのかうまく伝わってこないので、
私の伊集院さんに対する思いが、思想信条にかかわる心の根っこにあるからです。
その意味で、創価学会の人が思う「池田大作という人物に対する思い入れ」に近いと感じ、
例示に使いました。
「創価学会の人であれば、どんなに口汚く罵っても許される」
って使ったのではないですよね?