俺から見るとあんたも相当極端だし、危ない人に見えるけどなぁ。
結局お花畑のレイシズムでしょ。左翼的主張こそ普通とナチュラルに言ってしまうあたり。
少なくとも知識階級で「原発はなくなってほしい」という人は、新聞社と教師だけでしょ。ある程度の知識階級はそんな原始的なアホ言わないよ。
福島原発の事故ってさ、まぁ、実際水素爆発おきたんだろうけどさぁ、その後の
汚染水だの、地下水だのってはったりつーか、予算をかすめ取るために既得権者が
次から次に大騒ぎしてんじゃねぇの??
ってつい疑っちゃう。僕の悪い癖。
>一部上場
の「一部」ってのは「東証(東京証券取引所)一部」のことであって、「株式の一部」の意味での“一部”ではない。
じゃあその東証一部ってのはなんなのか…は、ググれ。
そのことの是非はさておいて、そういう運動に熱心な人には貴方が再三書いてる
>できれば
がない。
(もしくは限りなく少ない)
考えてること思ってることは貴方と同じなのだろうが、できれば、ではなく
「何としても」「絶対に」「必ず」といった考え方をしている人がほとんど。
そこが埋めがたい溝やどうにもならない違和感として現れるんだろう。
*
個人的にはその「できれば」は(特に平均的な日本人の)もってる美徳である反面
日本の変化を阻害するダメなところだと思うが、日本人はそういったところの
「できれば」をなくすと破滅的な段階へショートカットで移行するので、なくなさい
ほうがいいんだろうな、とは思うな。
私は、原発は出来ればなくなって欲しいと思っているし
レイシズムの塊が新宿を練り歩いているらしいという話を耳にすると虫唾が走るし
車椅子で気兼ねなくどこにでも行ける世の中になることを願っているのだが
なぜか、反原発運動や、レイシストしばき隊や、小平の雑木林の保護運動や、乙武さんの一連の言動などを見ると
「そういうことじゃないんだけどな…」という思いがこみ上げてくる
自分のそういう気持ちが、どこから来るのか、今のところつかめていなくて、ちょっと戸惑っている
同じような人いますか?
手がかりが全くないわけでもなく
今のところ引っかかってる言葉は「ゼロリスク」「ディスコミュニケーション」
俺も氷河期世代。未経験プログラマとして小さいソフトハウス入って、コンピュータのノウハウ貯めて、数年前にリストラ食らって規模の大きな会社に入ってSEやってる。
SEだと仕事に対する姿勢とかそっちのほうが会話によくのぼる。仕事そのものよりもね。
俺はどっちかというとワーカー寄りなんだけど、正社員的な仕事は若いうちからの経験が必要だと思うので、是非ビシバシ鍛えて、その甘っちょろい考えを直してやってくれ。
がほしいというエントリです。
<p class="sectionfooter"><a href="/(¥d{14})">Permalink</a>
が
<p class="sectionfooter"><a href="/$1">Permalink</a><a href="http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/$1"><img src="http://b.hatena.ne.jp/entry/image/http://anond.hatelabo.jp/$1"></a>
になればいいんです。どうかお願いします。
http://anond.hatelabo.jp/20130618004005
実習校にお礼状を書きながら、そういえば匿名ダイアリーを書いたなってことを思い出しました。
TBして頂いていたので、その後どうなったのか。
無事に3週間の実習が終わりました。
いろんなことを思いました。
でも、一番強く感じたのは「来て良かったな。」ということでした。
中学生の頃。
正直、良い思い出なんて何にも無かったです。
だけど、「実習生」という立場であっても、
このことは、私にとっては、大きな転機になるだろうなと思っています。
すぐに変われるかって言われると、ちょっと難しいけれど。
でも、もう少し前向きに、これから生きていけるかもしれない。
そんな希望をもらえました。
正確な日にちは覚えていませんが、配布されたのはたしか先月頭だったと思います。
https://mega.co.nz/#!WVBE1CbC!FI-iR1EZo9g_sVjIRMcCS2JOX30jrh_CGq-QsBEWjxw
仕事を真摯にする奴なんて全体の1割もいないだろ。そんなにたくさん仕事を真摯にする奴がいたら日本経済こんなにダメに成ってない。
接待したりとか、裏金渡したりとかに始まって、大企業の粉飾決算ネタも裁判出てたし・・・どこに仕事を真摯にしてる人がいるってんだよってぐらい、ひどい話のほうが多いだろ。
若い奴らだけじゃない、ほぼ全員にいえる事だ。
フィクション作品としての『あしたのジョー』ではなく「われわれはあしたのジョーである」(注:原文は「明日のジョー」)と
なると、オッサン通り越して老人ホイホイの世界かと。
っていうか団塊ホイホイか。
なんか、言われたことはなんでもやります!!って熱意を持って言われて・・・
作品作りでブロックを任せてるわけだから、ある程度の新規性の有るプランを持って来られないのはつらいという話をしたことが有る。
4月に出産という事は、年末あたりから目に見えてお腹も大きくなってたはず
よく最近まで隠し通せたなと思ったと同時に、子供産んでさらに2ヶ月以上芸スポや週刊誌の連中から見向きもされてなかったのかと思うと微妙な気分になってきた
オッサンホイホイってやつだな。
キチガイに触るなよ
ちなみに海外ではストーリーに一定以上の比重があるゲームではマルチエンディングはほぼ完全に廃れてる、というかマルチエンディング形式はかなり異端な部類
というのも、重厚長大なゲームは制作にも多大なコストがかかるので、一本のソフトに複数のストーリーというのはメーカーが作りたがらない
ヒットした作品は基本的には二、三作ほど続編が作られるので、複数のエンディングが存在する場合必ずどれか一つのエンディングの続きという形を取らざるを得ず、そこに到達出来なかったユーザーが置いてけぼりを食ってしまう(欧米ではゲームを一回しかクリアしないユーザーが相当数いる)
http://anond.hatelabo.jp/20130703234327
http://anond.hatelabo.jp/20130703234632
FPSにせよRPGにせよ、大ヒットしたものでマルチエンディング形式が殆ど存在していないのがその証拠
http://anond.hatelabo.jp/20130703235516
ゲームにたくさん金を出す人=ゲームをたくさん買う人=一本あたりのゲームを遊ぶ時間が少ない人
そういう人達のニーズに最適なゲームの一つがシングルエンディング形式
二周三周繰り返すモチベーションが、未知の新作ソフトを遊ぶモチベーションを上回るのは非常に希
http://anond.hatelabo.jp/20130704001012
かけたコストに対して得られるリターンが割に合わないし、客がシングルエンディングを望んでる
マルチエンディングの需要が高まればメーカーもそっちに力入れるだろうが、これだけ大量に新作が出まくってる現状、それらに目もくれず特定のソフトだけを延々遊び続ける人は少ないし、そんな客ばかりになったら業界自体が衰退してしまう
マリオカート入れっぱなしで他のソフトを全く買わない客ばかりになったWiiがどうなったか?答えは出てる
実際アメリカでも1回クリアしたら速攻で売って次のソフトを買う資金の足しにする人が相当数いて、プレイ時間をいたずらに引き延ばされるようなソフトは避けられる傾向がある
そもそも、じゃあお前の言う「有能なスタッフ」ってどこにいんの?
なんかね、「本当はその気になれば簡単に作れるんだけれども、世界中の無数のゲームメーカーは一社たりとも客が望んでるゲームを一本も作ってなくて、客は仕方なく嫌々渋々ゲームやってる」って事にしたがってる奴がいるみたいだけど、完全に逆だからね。
客が望むゲームをコンスタントに供給し続けられるメーカーやタイトルが生き残った結果が今の状況だから。
http://anond.hatelabo.jp/20130704013228
最近のゲームもろくに遊んでない、過去のレトロゲームも全然知らないお前個人の妄想が、世界中の数億人のゲームファンの声を代表してるとか笑えるわ
http://anond.hatelabo.jp/20130704020136
ご託はいい。
古今東西、世界的にヒットしたゲームのストーリーモードにマルチエンディング形式が殆ど存在しない理由の説明に全然なってない。
理由は簡単。
まああったとしても、求められる品質と、かけられるコストと、売れる本数のバランスが成立しない。
「本筋に毛が生えた程度」の分岐で満たされるニーズならとっくに世界中のメーカーが取り組んでる。
つか、過去にそういう子供だましなボリュームの水増しが横行して業界そのものの消滅が危惧された事すらあったんだが。
その反省を経て持ち直したのが現状なわけ。
「あのステージは難しかったな」「あの敵は強かったな」「あのシーンは感動したな」といった経験を大勢と共有し合う事が今は求められてる。
ま、仮に将来それが飽きられたら別の路線を模索するだけだが。
http://anond.hatelabo.jp/20130704031844
へえ、不満なものを延々買い続けてる物好きが世界にウン億人といるのか