ディックの小説は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』なんだけどわざと?
うん、男性もTVに出ることは認めるでしょう。別にモノがTVに出てたって嫌じゃないでしょ? そういうキャラがいたっていいじゃない。
横だけど
そもそも貞操観念は武家社会のものじゃなくキリスト教社会のものだから
あと全員が武士だったわけじゃないから。大半は農民町人で夜這いあり吉原ありだから
飲酒を罪とする宗教から見ればワインの製造なんかしてるキリスト教の教会は悪魔の巣窟だろうと思う。
共有の消耗品とか水道代とか払う常識はあるのになんで肝心の「ルームメイトに迷惑がかかるから家族を呼ばない」っていうのがわからないんだ…
思考力とか何らかの能力ではなくて、生きる上での糧になるような。
知っているだけで、つらい世の中を生きやすくなるような。
だから、難しい考え事をしないために、哲学やっておくと良いのではないかな。
考え事が嫌いな人でも、まったく考えずに生活することは不可能だから。
無理やりにでもさせる必要はないと思うけれど。
A poor man has twelve children,
and works just hard enough to feed each of them every day.
When his thirteenth child is born, the man decides to find a godfather for this child.
He runs out into the highway, and finds God walking on the highway.
God asks to be the godfather, promising the child health and happiness.
The man, after finding out that the man is God, declines, saying that God condones poverty.
自嘲的 だとか
他人事のように
だとか
いちいち形容詞つけないといけないのかなあ
まあしんぶん赤旗なんてとってる
必要なのかもね
「日本維新の会」の石原慎太郎共同代表が「維新は賞味期限を迎えつつある」「昇り龍にあるとはいえない」と発言していると報じられていることについて、橋下徹共同代表(大阪市長)は9日、「『日本維新の会』は、そうじゃないですか」と人ごとのように認めました。市役所での会見で述べました。
橋下氏は「だって今(「維新」が)国会議員として国民の共感を得るような態度振る舞いができているかといえば、そうではない」と発言。「野党になってしまうと、与党の追及や何か提案をやったりとかで国民の共感を得ていかなければいけないが今『日本維新の会』としてそれがないのは確かだ」と語りました。
自民党政治の「補完勢力」にすぎないという同党の抱える本質的な矛盾をかえりみることもなく、「市政・府政の執行権は持っているんで、『維新』の考え方を大阪で示すのが、僕と松井(一郎大阪府)知事の役割」などと述べました。
また、党内から橋下氏の参院選出馬を求める声が上がっていることについて「僕が国会議員になってもクソの役にも立たない。僕は国会議員としてはなんにも仕事ができないし、僕が出たところで国民が何かそれで動くってこともない。僕がなっても税金の無駄遣いですよ」と自嘲的に語りました。
そうだろうか。
自分とセックスしない女性の貞操は重要視してなくても、自分の相手の貞操は重要視すると思う。
ただ単に個人主義が進んでるだけじゃないだろうか。
ソーシャルニュースメディア「ハフィントンポスト」日本版に、安倍晋三首相がブロガーとして参加します。アメリカ版の創立者、アリアナ・ハフィントンさんが会談中に提案し、安倍首相は快諾。同サイトにはすでに、自民党の野田聖子衆議院議員や、民主党の枝野幸男衆議院議員などの政治家が記事を寄稿しています。
単なる
でしかないと思うが
入れ物なら
貪欲に
貪欲に
貪欲に
貪欲に
貪欲に
貪欲に
すべてを収容するがいい
そうすれば,るつぼとなって
なんてバカなことを気にする必要はない
このまま
突き進めば
いいと思うが
家族を週末呼びつけて泊まらせ、土日であれば連日、連休であれば全部家族が泊まっていく。
理由はルームシェアをしている物件が東京にあり、東京で遊び尽くして都心から近い物件に泊まれるからだ。
その家族が消費している水道料金や電気料金、またシャンプーや食品などをそのルームメイトは
他のルームメイトに共益なものであるから、という理由で負担を強いてしまっている。
話をしようとするとTwitterにルームメイトの不満をぶちまける状態なので
腫れ物に触るようで何もできない。
出て行きたいが、出て行く場合は金を支払うという流れになっていたりして、ややこしい。
陳腐化しまくってる、「哲学って役に立つの?」みたいなことの亜種なんだけどさ。
哲学書は方法序説と饗宴くらいしか読んだことない全くの門外漢の私。
暇つぶしにwikipediaの哲学系のページを少し見たりして、あー、そこそこ面白いなー、
でもこんなこと考えてどうすんのかなー、とか思ったんです。
「哲学がって役に立つ?」って問いをする人は大体、
そんでそれに対しては、
思考力を養うことで~だの、全ての学問の基礎として~だの答える人が多くて、
そういう効用は確かにある気がするけど、
でも多分、それらの能力を得ることは哲学をする人たちの目的じゃないと思う。
哲学する目的って、哲学すること自体というか、考えること自体というか、
要するに「知りたいと自然に思うから考えるのだ」みたいに私には見えるのね。
知りたいという欲求を満たすことで人生を豊かにする、みたいな言い方もできるかも。
一種の娯楽、楽しみである、と。
知を愛する人にとっての、娯楽。
んで、ここでタイトルが絡んでくるんだけど。
知を愛さない人っているじゃない。
できるだけあれこれ考えず、理屈をこねくり回さずに生きていきたい、
学問なんて大嫌い、みたいな人。
果たしてそういう人に、哲学は何かをもたらすのかな、という疑問を持ったの。
そういう人たちに無理やり哲学をやらせたとして、何か喜びが生まれるのだろうか、
哲学に限らず、他の一部の学問……特に抽象的な学問をあてはめても同じ疑問が生まれるんだけど。
実学、例えば経営学なら、無理やりやらせても、働く上で役に立ったりするのは意味があると思う。
経営学ってそういう風に使われることが核心だろうし。
頑張ればご飯の種にすることはできるだろうけど、そういう使い方は、
それらの学問の本来目指すところではない、と思うのでなんか違う。
意味を持つってなんだ、役に立つってなんだ、とかが曖昧な疑問で申し訳ないのだけど。
考え事が嫌いな人にも哲学をやらせるべき理由はあるのかしらん。
私はないような気がするのだけど、
そうだねないよ、とか、いやこれこれこういう意味があるよ、というリアクションがもらえると嬉しい。
話を広げれば、学ぶこと・考えることが嫌いな人に、