3歳の頃に吃音症を患っている事が分かった。
発端は、言葉が遅れているのでは?という親の懸念によるもの。当初は、いわゆる「知恵遅れ」の疑いがかかっていたそうだ。んで、知能検査を受けさせられたのだ。
当時の事は、大人になるまで思い出す事もなかったが、たまたま見た「悪夢」が当時の記憶だった事に気づいたことをきっかけに全て思い出した。
で、時々思う。もし、当時、吃音症ではなく「知恵遅れ」と誤認されたままだったら、どこで何してたんだろうなと。
まぁ、最近は「発達障害」なるものが知られるようになって、40年前の当時よりも過敏に反応する親御さんが増えてるそうだが、世が世なら、障害持ちだったんだなとも。
ぶっちゃけ、吃音症が障害扱いされることについては賛同の立場ではあるけどね(先進国で吃音症を障害認定しないのは「日本国」だけw)
別に障害者になったからと言っても、吃音症に対する風当たりが弱くなるわけではないけども、癖の類と思われるよりは遥かにマシだ。いまだに「吃音症は治る」という誤った情報が多いことを思うと、そう思うしかない。現実には「治らない」が正しいのだが、分かっていない人を相手にすると本当に疲れるのだ。
静かな部屋にいると自分の拍動が聞こえてくる。一人酒をすると過去を思い出す。僕は今、静かな部屋で一人酒をしている。
小学校中学年の時にやってきた転校生は、華奢な女の子だった。普段はとっきつにくい真面目な表情、仏頂面な感じだけど人と喋る時には笑顔がこぼれる。運動神経もよくて、そのくせ読書も大好き。気がつけば学年の男子のほとんどが彼女のことを好きになっていた。
もちろん、僕もそのひとりだった。
運動もできないし、カッコ悪い僕には高嶺の花のような手の届かない存在だった。同じ班になっても互いに嫌いだと言い張り、隣にならないように席替えをやり直したりした。けれど妙なところで意見が一致することが多くて、互いの感性に関しては認めていた。
僕は男の子だから、女の子には負けたくない気持ちってのがあった、特に好きな女の子には。でも悲しいかな現実は、音痴で走るのが遅いし泳げない僕、走るのが速くて綺麗に泳げる彼女というコントラスト。ミトメタクナーイ~○~ 、そんな現実。
それを認める機会になったのは、高学年で習ったある保健体育の授業だった。単元の内容は脈拍と呼吸についてだったと思う。自分で心拍を測ってみることになり各自左手の脈を抑えて拍をとった。確か僕の脈拍は78くらい、彼女の脈拍が幾つだったのかは覚えてないのだけれど、クラスで一番遅かった、少なかった。同様に呼吸数も彼女は圧倒的に少なかった。
その時になって、彼女と僕とでは生きるリズムが違うんだなと何故か納得した。ハリネズミの心拍数、象の心拍数とかの話を聞かされたせいかも知れない。多分これが僕の初恋が終わった瞬間だと思う。
その後、男子校に進学し、女子と無縁の生活を送る中で思い出が美化、彼女が神格化され、僕自身が拗れていったのは初恋の蛇足、後の火祭り、別の話である。
今日この頃、彼女とのデートでは20センチの身長差に歩くスピードへの注意が必要だ。もう何年も付き合っているから自然と調整出来るんだけど、たまにズレてしまう。僕たちは別人なのだからリズムが、歩幅が違うのは当然だ。大人になった僕には青い果実の酸っぱさが懐かしい。
片親児童支援のNPOに就職した友人がいて、その時は就活決まらなくてそこにしてたから、少しも見下してた気持ちがなかったと言ったら嘘になる。私は彼女に「なんであなたはそこに就職したの?」と訊かれて適当なこと言って誤魔化してた。そんな答えに当然彼女は呆れていた。
彼女は子どものことが好きでなにか役立ちたいと考えてそこに決めたんだろうな。少なくとも普通に就職した私よりはたくさん考えていたと思う。
今自分は誰かの役に立てる(とも思えないけど)そんなことをしたいと考えてる。
けれどのうのうと飯喰ってクソして寝てる。仕事をやめて飛び出す勇気もない。
今の仕事が無意味で誰の役にも立っていないとも思わないけれど、自分の代わりがいくらでもいるとは常々感じている。ならば自分はもっと人がやらないことをやるべきじゃないのか、でもそんなお前にできるのか、仕事をやめれるのかと自問自答しているうちに自己矛盾に陥って思考停止してどうでもよくなってもうこのままでいいや、ってなる馬鹿な自分。
ほんと月並な問いになるけれど、働くってなんだろう。
やりたいことを仕事にするという答え。私は、やりたいことはあるけど現実的に出来そうにない。
生きるために働くという答え。今の自分がまさにこれだと思う。
人のために働くという答え。これが今の悩み。悪徳じゃない限り、どんな仕事も需要があって成り立つわけだから、全く人のためになっていない仕事なんてないとは思う。けれど、本当にこれが第一理由なのであればボランティアでもしてろってなる。
確かに掃除は捗るな。
真夜中とか丑三つ時の布団の中で「お前なんか何やっても駄目な生きてちゃいけない人間なんだ」って心の声がリピート再生される時とか、15分くらい掃除すると治るわ。
「おっぱいには貴賤がある」
ということ。
寿司を思い浮かべて下さい。
アトムボーイの寿司と、銀座の、時価で提供される寿司では、同じ寿司でも別の食べ物でしょう?
肌のハリ、やわらかさ、大きさ、肌の質感、色、形。
彼女さんには失礼ですが、あなたが初めて触って失望したおっぱいは、残念なおっぱいだったのではないでしょうか。
それから、複数の乳に触る機会があり、おっぱいにはいいおっぱいと悪いおっぱいがあるということを知りました。
えーと、まあ、だけど、結局彼女さんがいるとほかのおっぱいは触れないと思うので、まあ、それはそれとして、なんか頑張ったらいいんじゃないでしょうか。
元増田によると、「へりくだりながらも、自らの能力を誇示できる」と考えているようだが、どのように表現したらいいのだろうかw
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2013041600041
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1357424442/l50
10時から19時までしか働かない。(1時間休憩、8時間労働)
みんな体調悪い自慢してる。
ほんと馬鹿らしいし、自分にそんな働き方が出来るとは思わない。働きたいとも思わない。
将来ガー安定ガーってぎゃーぎゃー言う人もいるけど、
・給料
・安定
・やりがい
上記4つで安定が一番下な人は非正規でもいいでしょ
ほとんどの業界で正社員=残業当たり前の風潮である日本は本当に頭おかしい
どうにかして欲しいわ
何を犠牲にしても仕事に責任を追うべきって考え方がよくわからない
一生自分のペースで生きて生きたいわ
8時間+休憩時間1時間+サービス残業1時間(までは残業時間としてカウントされない日本の法律…)で10時間。
合計12時間が仕事で拘束される最低限度。で繁忙期もあるよね。
日本人が自分のために使える股間は4時間程度なんだろう。おお、結構あるじゃん。
と、思うのが落とし穴。
ごはん作らなきゃ。食べなきゃ。掃除と洗濯もしなきゃ。お風呂も入らなきゃ。
母ならばごはん食べさせなきゃ。お風呂入れて着替えさせて宿題見てやって寝かしつけてやらなきゃ。
いや、無理だろ。どう考えたって。
通常18時過ぎに上がるでしょう?
就業時刻が10時~18時のところも多いんじゃないか?
ね、絶対無理でしょう。
内孫なんだがわしゃーもー疲れた。
祖父がなくなり相続財産は住んでる土地しかないのだが嫁いでいった娘が権利分よこせときて大炎上。
一応預金もベンツのCクラスが買えるぐらいはあって、そちらは全部やるといったのだが額面が土地と釣り合わないのが嫌らしい。
住んでる土地の課税評価額が半端ないので欲しくなるのは判るが、それはそれは大変なことである。課税評価額と取り引き価格の違いもわかっていないようで、底地と地上権もしらない気配なのだが、知ろうともしていないので伝わらない。それどころか騙そうとしていると思われているようだ。
相続権については一生懸命調べている節がある。だが他の人の権利や、権利についてくる義務については考えてくれない。市販の本には載っていないからかもしれない。相続税、固定資産税だけみても相当の金額なのだが課税評価額分が現金として手に入ると思っているので計算をしようともしていない。土地が思った額で売れないなどということは微塵も思ってもいないようだ。
何故だろう?
金を産まない土地と現金の本質的な違いをわかっていないのかもしれない。額面が大きいだけに様々な控除が受けられないと普通の家計なら数年もまたず吹き飛ぶことになる。こんなハズじゃなかったと、事が済んでからでは遅いので話し合いのたびに一生懸命説明しているのだがわかってもらえそうもない。現在は不動産の専門家にお願いして中立的な立場にはいってもらって説明してもらっているのだがダメそうだ。不動産屋が手をひきますといってきた。思えば最初に相続税の税理士が言ったことが上の空だった時点でダメだったのかもしれない。自分は相続人ではないので引いたところから見てるのだが客観的にみてとても危うく果てしなくダメそうなのである。ダメ!欲目で我を失っている!! 閃光玉と虫笛が必要。
もし税金が払えなかったら分割のしかたによっては連帯納税義務はうちにもでてくる。控除の効かない課税分なので数年重なれば土地を全部売ったところで怪しくなる額になるだろう。税金が原因では破産もできない。破産しても納税義務は残る。国の延滞税率の前には消費者金融など赤子も同然だ。本当に困る。
計算されている一次相続の相続税だって払えうのはかなりしんどい額のはずだ。売れるまで延滞すればいいやと思っているのかもしれないが、無邪気すぎる。売ろうにも我が家が立ち退きに全面的に協力しなければ売れないだろうし売れたとしても譲渡所得税やらで思っているような額など手元には残らない、そもそも法的な制限がとても多い土地なので買い手は限られるし交渉も簡単ではない。売るために経費がかかるなんてことはいわずもがなわかっていない。というよりそういうことができるぐらいしっかりしてるならこんなレベルで揉めない。
だが、そういうことを説明してもヌカに釘。祖父を扶養して何十年も固定資産税を払い土地を維持してきたのは祖父ではなく父なので感情的にも整理しがたいものがあるが、感情的なものはおいておいてもその後の事を考えると、このまま半分コしてしまうと大変なことになる。
だが、ダメそうなのだ。ひたすらにダメそうだ。知ろうともしない人に教えることは大変困難を極める。父は感情的なものはこらえて粘り強く対応していると思うが、単純化すれば「半分よこせ」と「やらん」と揉めているに過ぎない。いっそ代理人でも立ててくれればと思うが、相手が裁判だのなんだの言い出したので、この揉めている姿をみてばーちゃんがとうとう耐えられなくなった。
「あなた達なんか子供じゃない」とみんなを閉めだしてハンガーストライキなのである。
こんな事がおきるまで我が家でこんな初歩的なところの相続で揉めるなんて考えてもいませんでした。
喧嘩両成敗でわるくない仕組みだとは思うけど、こりゃ年寄りには毒だ。
期限までになんとかなるのかな?
あ、そのまえにばーちゃん引っぱり出さないと。
かわりに自分が引きこもるわ。
フェースブックとか、ツイッターみていると、「今日で〇〇歳になりました」
みたいな報告をよく目にする。いい年した大人が だ。「26歳になりました」 とか 「56歳になりました。」(←オッサン!www)とか...
誰も求めていない、てめぇだけの中で話題になっている(場合もあるだろうに)ことをどうして大勢で共有させようとするのか。
それは「自分が誕生日を迎えた」という事実を大勢で共有することで、まわりからチヤホヤされたい
あるいは、祝福されたいからであろう。 可哀想な人たちである。
他人からの祝福をもらわないと精神が安定しないとはどういう神経の狭さなのか。
愛に飢えているのか。愛の渇き?wwwwww
「誕生日を迎えました」なんて書かずに「みんな!俺の誕生日祝ってくれぃ!」みたいに書いてもらった方が清々する。
もちろん俺は祝福なんてしてやんない。
8. ソーゾー君
カルト信者やボランティア参加者に善「意」など無いことをいい加減に認めろよ?
意志があるのは羊飼いだけだぜ?盲目の羊は羊飼いに付いていくだけ・・
騙された!と言ってる時点で自分の頭で考えて無かったことが解る。
↑分かりやすいだろ?
羊飼い=通信社の意思は盲目の羊=ラジオ又はテレビの数だけ増幅する。
自身に意志があると信じてるだけで物の見事に洗脳されて誘導されてるぜ?
外国人は言ってるぜ?「何で日本人は有給取らないの?」ってな・・
医学は進歩して医者の数も病院も増えて健保破綻してんのに「医者が足らない」と大騒ぎ・・
「何で病院が足らないの?医者が足らないの?看護師が足らないの?」
「医学は進歩して技術も進歩してるんだよね?病院も医者も看護師も増えてるよね?
何で患者の数が増えるんだ?」
↑何故こう考えないんだ?
国際機関であるWHOやWFTが創設されてから疫病と飢餓か爆発的に発生したけど何で?
国際連合が創設されてから世界で紛争や戦争が爆発的に発生したけど何で?
↑なんでこんな疑問が出てこない?
何で自分の頭で考えないんだ?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1353851390/l50
人間って生きてきた道を肯定するしかないから、振り返ったとしても良い思い出になってるでしょうよ
旦那や嫁を様々な角度で裏切り行為を許容出来るようになってからは人生ってこんなに楽しく美しいものだと感じる
浮気しようがされようが、綺麗な光景を見てそのタイミングで横にいる人がその方だったんだな思うだけ
いつもいる年を重ねた不細工旦那やばばぁ嫁をみるとジジババになっても萎えるものは萎えると若い人たちには教えてあげたいのだけど
ハテナに平日の夕方前に書き込んでるのだからアスペもいるでしょうよ
肩の力抜いて、許容してあげないと粘着してる側もアスペって言われちゃうよ
てか、俺も含めこんな事に時間を費やしてる時点で十分にって感じだよね 苦笑
ぶっちゃけ、セックスが楽しいのは童貞の間だけだよなと言うのが持論。
私は男性なのだけど、性欲の処理とセックスって、重なり合ってる部分がそれほど大きくない。
私にとってのセックスの楽しさは、パートナーのいとおしさだったり、自分が愛されてると思える安心感だったりを、性行為という型式を通じて感じられるところにある。だから、「本番」はおまけみたいなもので (それなりに疲れもするし)、安心した気持ちで肌を寄せあって眠るときのほうが好きだったりする。
巷では、何人とやっただとか、風俗とか、男性性とそういうものが結びつけられがちな傾向があるように思うけれど、私に関しては、行きずりの異性 (ことによると同性の場合もあるかもしれない) と関係を結んでも、それほど満たされないような気がしている。性欲の処理は私にも必要なのだけれど、その手段として、たぶん愛されていると感じることのできないだろう相手との性行為が選択肢にあがることは、まずない。
もちろん、1か0かの二元論で語れる話でもないだろうけれど、一般的な傾向として、セックスの楽しみって何なんだろうな、と気になった次第。
※ こんな話題なので、不快感を持たれた方には申し訳ないです。
■今日一日を振り返るとき、嫌だったこと、恥ずかしかったことは思い出さないようにする■
これだけ。
どんなに悶えて苦しんでも、過去は変えられないので過ぎ去った恥は忘れる。
思い出すのは、楽しかったことだけにする。
過去の積み重ねが今になる。
多少の恥ずかしさはあれど、それなりに楽しい日だったことにするか、
決めるのは自分の考え方次第
ってこと