楽しめないなんて事は無いんじゃないかなぁ?
ずっと「女の義務」から逃げ続けてきた。ファッションとか、化粧とか、おしゃれ全般で身なりを整えること。他のことに時間を使いたかった。実際、周りから一目置かれる程度のスキルは身についた。
でも髪も結べないしセットできないから寝癖直すくらいでガチ無造作ヘアだし、私服はシャツにジーパン、適当なめがねかけてて、化粧もしてない。
(男だったらたいして言われないのになあ。こういうとき男の人がうらやましくなる。男も女もどっちみちなにかが大変なんだろうから、特に男になりたいとは思わないけど。最近はファッションに気を遣う男の人も多いし。)
んで、そろそろ逃げ切れなくなってきたから、とりあえず自分くらいの年齢層向けのファッション雑誌を買ってみた。
そしたらどうも感覚について行けない。おもしろいもんじゃないからあたりまえだけど服見てたってちっともおもしろくないし、読者投稿コーナーすらファミ通のほうが絶対おもしろいなあと思ってしまう。
かわいい女の子を見るだけなら「ああかわいいなー」でおわるんだけど、それを自分が目指すとなるととたんに嫌気がさす。お金も手間もかかる。めんどくさい。疲れる。つまらない。
今のままあんまりやらないでいられたらいいのになあ。まあ、そのままだと歩く公害になるぞと自分にむち打つしかないんかな。
「虫愛づる姫」で良いとか思う人もいるだろうけど、若けりゃそれでも良いんだろうけどいい年したおばさんがむさ苦しいかっこしてたら見苦しいもんなあ。第一周りがうるさい。虫愛づる姫君は周りの声も気にしない心の強さがあったけども、私はそんなたいした人間ではなかった。
(でもどうも厚化粧のおばちゃんがあんまり見た目好きじゃなくて、ああまでしてでも化粧した方が良いのかなあとか、屁理屈なんだけど思うんですよね。あそこまでやらなきゃ良いだけだと思うんだけど、おばちゃんたちも昔はみんなお化粧あんまりきつくならないように、とか気をつけてたと思うから隠し始めると気になってしょうがなくなってしまうんじゃないかと。)
こういうのってやってるうちに楽しくなるモノなのか。自分が今までで身についたのは、楽しく感じられたことだけだったから不安に思う。
周りの女の子見てると、高校生、早いと中学生小学生で化粧だとかおしゃれのテクニックを磨き始めていて、しかも楽しそうにやってるものだから不思議だった。彼女たちは最初から楽しかったんだろうか?
ごめんなさい書き方が悪かったようです。
おすすめされた作品が優れた作品ではないと言いたかったのではなくて、
単純な恋愛映画だろうが、その他の要素が強いものだろうが、優れた作品もそうでない作品もあって、
そこが基準になるわけではないという事を言いたかったわけです。
仰られる通り、本当に優れた作品ってある一面からだけ優れているものってあんまりなくて、いろいろな面から見て優れたものであることが多いと思います。
ただ、恋愛要素が強くてなおかつ他の要素も面白い作品を見たときに、恋愛経験が浅いとその分その要素を楽しめなくなってしまうと思います。
仮にその部分についても「良いな」と思ったとしても、それはただの幻想でしか無いかなあと。
自身の経験に基づかない共感なんて薄っぺらい偽物でしか無いような気がしてしまいます。
僕はそれが嫌なのです。
太陽曰く燃えよカオスのAメロとWood Ballの唄は似てると思う
うーん、オススメした作品は、ごく普通に名作として知られる「優れた作品」だったんですけどね。
恋愛物としても有名で、かつ単なる恋愛物だけでもない。だからこそ、面白い。
ちょっと聞きたいのですが、「本当に優れた作品」ってどんなのですか?
まぁ、実写なら、恋愛映画でオススメなのは、個人的には「恋愛小説家」ですかね。一見、恋愛嫌いにも見える主人公の小説家のメルヴィンが本当に面白い作品なのですが(しかも、演じてるのがジャック・ニコルソンなのが最高www)、これなんかもヒネリが効いてて、恋愛経験の有無には左右されない感じだなぁ。
もちろん、「恋愛経験の有無に関係なく楽しめる作品」というのもあるだろうと思う。
ただ、それはその作品が、恋愛経験の有無に関係ないテーマを掲げたものだから楽しめるというだけのことなのでは?
そういう意味ならSFやミステリだって同じだし、他にも恋愛と関わりのない作品というのは五万とあるだろうよ。
もちろんそれはそれで楽しめる。
だからといって、それが本当に優れた作品であるということにはならない。
そう思いませんか。
増田をよく見るネット廃人のはてなーなら一度は見たことがあるであろう、
そのkanose叩きの脈略の無さと
圧倒的な文章のつまらなさから増田界のアイドルとなりつつあるが、
コンビニ店長は「コンビニ以外のエントリがつまらないから嫌い」
らしい。
↓
見ろよこれ……
結局コンビニだけの人なんだよな……
kanoseのとりえを教えてください
http://anond.hatelabo.jp/20121202163051
kanoseは斜にかまえてなくて、きちんと土俵に立ってはてサとネットプロレスを戦え!」
という文章なのだが。
結局のところ、
確かにそうですねw
こりゃまたすいませんw
出来る人がするだけの話。他人に啓蒙するようなことでもなければ、出来ないことに引け目を感じる必要もありませんね。
まぁ、別に貧乏自慢なんかしたわけじゃないのですが、子育てしないことを何か悪いことのように言われるとカチンと来るものはあるのですわ。
正直つらい。でも辞めるわけにはいかない。
俺は自分のようなアスペでも社会に適応できると言うことを証明するために戻ってきた。
でも、正直くじけてしまいそうだ。
仕事を辞めて親に頼った方が楽だろう。それは間違いない。
でもそれじゃあ俺はなんのために生きてきたのかわからなくなる。
社会人として独り立ちすることが生きることだと自分は考えているのだけれど…
どうしても獣道になってしまう。会社に自分の特性を理解して貰うのも一苦労だ。
俺以前にもアスペの人間はいたはずだのに、その人達はどうやって生きてきたのだろう?
知り合いも作りたいけれどなかなかそういうことができるところまで心や体が回復していない。
まぁ、でも、本当に優れた作品は恋愛経験の有無なんて関係なく楽しめるもんですがね。
アニメで申し訳ないけど、「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」辺りがオススメ。
すごくいい映画だったと思う。
大体優れた映画ってちょっと見ただけで「これは何か特別な、パワーを持った映画だな」っていうのが分かる。
いい映画だなということは分かったのだけど、でも素直に楽しめなかった。
その「良い」ってのが俺にとっての良いではないような気がして。
普段は別に恋愛なんてしなくても問題なく生きていけるし、他に面白いことは幾らでもあると思って過ごしてる。
だけどこういう恋愛を扱った映画とか小説とかに触れる機会がたまにあって、そのたびにすごく損しているような気分になる。
俺は最近のJPOPの恋だの愛だのしか言わない薄っぺらい曲は全部クソだと思っている。
けど、それでも、同じようなテーマを扱っていて優れたものは、映画・小説・音楽…どのジャンルにも必ずある。
恋愛の経験がない俺は、それらの作品を心から享受することが出来ない。
これってすごく損なことじゃないか。
要するに俺も恋愛したい……のかもしれない。
それ、他の某国では、ノブレス・オブリージュって言って、貴族のたしなみなんですけどねw
そのレベルの貧乏じゃないんだけどなぁ。あのさぁ、最寄りの駅から一駅分の交通費が惜しい。そんな生活してみたことありますか?
おめでとう。
産後、子供はどうしても母親を求める瞬間があって、パパ観点だと残念な感じではあるが、
遊べるようになると面白いよ。文字通り食いついてくる。
題そのまま。特に不満があるとかじゃなくて、逆で面白すぎるから。
理由は、ホットエントリーに依存しすぎて自分から情報を検索しにいくということをしなくなってるのに気づいたから
お口パクパクして情報が流れこむのを待つのはスマートじゃないかなって
ちきりんじゃないけど、最近停滞してる気がして、変わり続けなきゃダメだなとおもってたし
年度初めなのでちょうどきりがいい
やりたいことも、転換期迎えてるし
気心の知れた同性の友達と一対一でじっくり話すと、
みんなやっぱり自分の人生のことや恋人のことを真剣に考えているんだなぁと思う。
彼氏が彼氏の親友と二人で飲んで、その翌日に彼氏と話したりすると「あいつ本当にいい奴だよ」としみじみ言われたりする。
一対一の会話が、最も真面目になりやすい気がするし、本音に切り込みやすいと思う。
異性との一対一でも割とそう。相手を不真面目でモラルの無いとんでもない奴、と感じたことはあまり無い。
でも集団になるとさ…。集団って、なんであんなに感じの悪い話題で盛り上がるんだろう。
"女子会"も、"野郎飲み"も、クソだと思う。
女子会とやらに参加したときは、一番モラルのない発言をする女が皆の爆笑をさらっていて、中心人物として大活躍していたから、
話題もその女が決定していて、悪口、格付け、人を馬鹿にした笑いのオンパレードになっていた。
そして野郎飲みに巻き込まれたこともあるんだけど、
その時は「その場に居る人のことは攻撃しない」という女子会では有効だった最低限の一線すら踏み越えて、
目の前の人を馬鹿にして笑いものにする、目の前の人を格付けする、といった具合で、攻撃性が大爆発していた。
(もちろんその場に居ない人の陰口もたくさんあった)
爆笑がたびたび生まれ、参加してた男たちはアドレナリンが過剰分泌されてるような爛々とした異常な目をしてた。
普段、比較的良識的な発言をする人まで、特定の参加者をフルボッコにする会話に参加して
一緒に笑いものにしていたりして、信じられなかった。
A、B、C、D、Eの全員でFを全力で叩き、叩くネタが枯れたらB、C、D、E、Fの全員でAを叩く、
それが繰り返されるような感じ。一番性格悪い男だけは決してやられる側にならなかったけど。
参加者のなかに居た太った男性をキモがる役、みたいなものを期待された。
「女にキモがられる惨めなデブwww」みたいな演出をするために女を使いたかったんだと思う。
「○○に付き合ってって言われたらどうする!!??」とか聞かれて、私が「えっ…」みたいに口ごもると、大爆笑が起こった。
集団の中で一番モラルの無い、性格の悪い男が中心になって場を盛り上げていた。
ロンブーみたいな、小賢しくて口が達者な奴。
私は苦笑いして流してさっさと帰ったけど、野郎飲みは大盛り上がりで二次会三次会と続いたらしい。
クソみたいな会だけど、皆かなり興奮していたし楽しそうだった。本当に気持ち悪かった。
女子会の参加者や、野郎飲みの参加者、一人ひとりと一対一で話せば、真面目な話にもなると思う。
団体で飲んでたときはノリで笑ってただけで、本音を言うとそんなに人のことをゴミみたいに思ってないし、
そんなに悪いことは出来ない人が多いんじゃないか、と思う。
性格が悪くて、口が達者で、「みんなだってこれが本音なんでしょ?」みたいな空気を作る奴。
性別に偏りがあるネットのコミュニティも、そういう空気になっていきがちだと思う。
そこの参加者のうち、一番性格が悪くて、口の達者さのかわりに文章力のある奴が流れを完全に決めてしまう。
ニュース速報板も、既婚女性板も、男女比の偏った大集団だからあれだけ濃縮された性悪になったんだと思う。
多分、一人ひとりと一対一で話せば、モラルが全然ない悪人なんていうのは、少ないと思う。
少数の悪人、サイコパスみたいな奴が、絶大な影響力で空気を決めて、場を引っ張って行っているだけ。
なぜ同性の集団ってああなるんだろう。もう本当に参加したくない。
そんな「女は皆総じて馬鹿で間抜け」を男女逆にしたようなこと言われても。それじゃあまりにも男性に失礼だ。
インターネット普及以前の男女関係は陰惨きわまるものだったという説には首を傾げざるを得ない。少なくとも戦国時代の時点で、書物に「女性がその気になってない時にセックスしちゃダメですよ」なんて記述があり、江戸時代には「女をイかせるテクニック」的な本がわんさと出てたじゃん。
昔ネットのどっかでみた話だと「責任と制約を負うことに喜びを感じるべきだ!」って感じの人がいた。
あれが「正しい大人の姿」なんだとすると、俺は大人にはなれないし、子供も無理だなと思ったもんだ。
利いた風な口を聞くんじゃねえよ。
レンタルビデオ屋のAVコーナーでも、本屋のエロ本棚でも、何でもいいから見てみろ。
オスの性欲は「色々」だよ。強姦レイプもあるさ。でも、それは一部だけ。木を見て森を見ず、いやいや、チンコ見て男を見ずだな。
元増田に至っては「生まれて初めて手に入れた生きる意味」だからな…。
これまで何十年も、何に情熱を燃やすこともなくのんべんだらりと、ただ「これは本当の俺ではないはず」という感じの想いだけを抱えて生きてきたところに、突如棚ぼた的に与えられた「生きる意味」。
これを生きる意味だと言っていいんだ!社会的にもそれは正しいこととして評価されてる!ともなればそりゃもう夢中になっちゃうよね。
これがあれば天国行き確実です!という免罪符のように、何の努力も必要なく、思考停止して信仰してよい絶対的な対象。
アイデンティティの拠り所として一方的に依存される子供にとっちゃいい迷惑だが、子供に選択権はないしな。
と書いてみて、昨今のこの子育てを取り巻くある種異様な空気の正体がわかってきた気がする。
子供は現代日本の宗教なんだ。大多数の「きっと何者にもなれない俺たち」にとって、「何者か」になれる唯一無二のチャンスなんだ。