なんのために生きているんだろうとかは厨二的な考えだけではなくて、ある程度自由に自分の方向を決められるようになったら改めて考えさせられることだと思う。
僕は、生きていることに理由とか意味はないと考えている。いてもいなくても世の中動くし。
だから自分本位で、今ここにいることをどれだけ自分の満足行く形で生活できるかだと思う(社会的ないきものとして、自分のために他人の行動を大幅に阻害しないことというのが前提に入って欲しいけど)。
自己顕示欲が強い人間は社会的地位の向上に勤しめばいいし、家族が大切な人はそう生きればいい。何かを賭ける事に生きがいを見つける人はギャンブルに走ればいい。
大人になってからの不幸は「自分がどう生きればいいのか、方向性が決め切れない状態」もしくは「自分の方向性は決まっているけど、いままで作ってきたものが邪魔をしてその方向に舵を切れない状態」だと思う。そして、この状態にいつなるかがわからないことが人生よりややこしくしていると思う。
こういう状態の時に、運命論を全面的に選択して、他人に全部放り投げると宗教になるんだと思い、ちょっと気をつけなければと思っている次第です。