世の中のアニオタ、ゲーオタ、鉄オタ、IT技術者、猫好き、mixi、twitter登録者は同じ属性の他人が犯した罪を他人事のように言うの禁止な。そして他属性の奴らから何言われても一切反論すんな。悪いのは自浄作用が無いお前らだ。そう思われても仕方ないくらい数々の問題を起こしてきたお前らの仲間を恨め。そして無駄なヘイトを向け合ってみんなでいがみあって死のう!な!
俺は既婚子無しで、やりたい事があるのと生まれた境遇に恵まれなかったのとで子供育てる余裕は無いかなと思ってるんだけど、
こういう生き方してると、自分がやがて人でない何かになっていくんじゃないかって気が最近してる。
「人でなし」って俺みたいな奴の事を言うのかな?って。
まあ、俺の場合は「子供作らないのか?」と言ってくる奴には「弟が知的障害者だから」と言えば全員一発で黙るんだけどな。
嫁は積極的に欲しくない派ではないので、理解して貰ってるとは言え、申し訳なく思う。
理由はここで書いた通りだ↓
http://anond.hatelabo.jp/20121005143324
この恨みだけは絶対に忘れないだろう。
そしてこの件でもう一つ分かった事がある、村民が苦しんでいる時にkanose村長は何かをしてくれるわけではない。という事だ。
それでもはてな村に住み続けたいという者は、この事だけは頭にきちんと入れておいたほうがいい。
きょうのこーなー
最近虚しさを感じて死にたくなる
もはやどんな幸運があっても社会的に挽回は不可能だし、このままだと惨めな底辺として終わる
このまま生きていても詰まらない毎日を退屈に過ごして無惨に孤独死
楽しいことや嬉しいことなんて多分無いのに、辛いこと、肉親との死別や同級生や知り合いに対する嫉妬、他人からの嘲笑は確実にあることが決定している
こんな中、生きていて意味あるのかなとか思う
俺って何なんだ何故生まれた、生まれてきたことに対する後悔と恨みだけある
もし願いが叶うなら生まれてこなかったことにしてほしい
会ったからといって自分のことをぺらぺら話すわけでもなく、お母さんたちの話を聞きつつ子どもたちと遊ぶのが好きなのだが、「最近どうなの」とどの母親からも熱心に聞かれたので、独身で彼氏も特におらず一生懸命仕事しているという近況を報告した。するとほぼ全員が「結婚しないの?」「将来が心配じゃないの?」という定番をおっしゃる。30代に入ってこの手のには慣れたので「別に~」とにこにこ笑って返したのだが、今回何に驚いたといって「やっぱり。前からちょっと人間じゃないんじゃないかと思ってたんだよね」「人間性が違うよね」的なことを口ぐちに言われたことだった。
まさか彼氏や配偶者や仕事の有無で人間性まで言及すると思ってなかったのでびっくりした。「そんなことを平気で言うそちらの人間性を疑うわ~」と言うと角が立つうえに多勢に無勢で負けるしつまらないので、黙って聞いておいた。私には「人間らしい感情が欠如してる」らしい。そんな人間と自分の子どもを遊ばせてて大丈夫か?
独身で彼氏なしで仕事してるというだけで、憂さ晴らしのサンドバッグになるのだなあ。母親をやるとか主婦をやるとかって、他人にそんな言葉を投げつけずにいられないほど閉塞した生活なんだろうか。そんなに嫌なら結婚生活も主婦もやめればいいのに、と思ったけど、それこそ人間性を疑われるのでこれも言わなかった。
犯罪抑止のために殺すべき!
加害者が生きていたら遺族が救われない!
→遺族の心を救うかどうかは目的じゃないだろ。
加害者を生かしていたら金がかかる!
→死刑にしたほうが金がかかる
→てか金のために人を殺すとか酷いな
http://anond.hatelabo.jp/20130223193210を読んでも、この人が死刑に「賛成する理由」はさっぱり分からない。
そんなオレが、死刑賛成派の考える「死刑の合理性(あるいは正しさ)」とはどのようなものか?について考えてみた。
→ 確かに、死刑が執行されれば「再犯率」はゼロだ。だがこれは、「死刑が生んでいる犯罪」をカウント対象としていない。死刑の根底に「目的があれば殺人は許容される」という思想がある以上は、死刑が間接的に殺人者を生み、「別の人間による殺人など凶悪犯罪の再生産」を生んでいる可能性を明確に否定できない。
→ これに対して「死刑がない場合に増える犯罪をお前はカウントしてないではないか」という反論が想定されるが、過去、死刑を廃止した国で、死刑を廃止したことで犯罪が増加したというデータはない。一方「死刑になりたくて無差別殺人をやった」とうそぶく殺人者は多い。たとえば下記。
2013.2.21 産経新聞より
「死刑になりたい。生きるのがいやになった」。死刑が執行された金川(かながわ)真大(まさひろ)死刑囚(29)は1審判決前の平成21年6月、水戸拘置支所(水戸市)で産経新聞の取材に応じ、早く死刑に処されたいという心中を吐露。「自殺はどんな方法であれ、自分の体に痛みを加える。そんな勇気がなかったので殺人をした」と話し、最後まで反省の言葉はなかった。…
2「コスト」
→ 無期懲役で囚人を何年も養うためにお金をつかっていられない。死刑にすれば金がかからない、と思っている人は多い。しかし、「死刑 コスト」で検索をかけてみれば分かるが、死刑制度があるせいで社会に多大なコストがかかっているという面もある。「コストが高い」ことを理由の一つとして死刑制度を廃止する国や地方もある。
米国では、死刑復活が認められた1976年以降、今年9月末までに計1228人が処刑された。先進国の中では最も多い数だ。それでも、死刑をめぐる論戦は、司法や立法の場で続いている。
その中で、最近新たに浮かび上がってきた論点が「コスト」だ。死刑を維持した方がコストがかかる、というのだ。
米国の50州のうち、死刑があるのは35州。76年以降、2州が廃止した。2007年に廃止したニュージャージー州では、コスト論が決め手の一つになった。…
3「無期懲役なんて10年程度で出てくる甘い刑罰。それ以上の極刑を望むのが市民感情」
→ これは明確に虚構。無期懲役について調べれば分かるが、日本の「無期懲役」は、海外の「終身刑」とほぼ同じ基準で運用されている。「懲役200年」とか、ばかげた数字を付けないだけで、単に「いつ出られる」とも出られないとも本人には示さず、しかし、いつまでたっても仮釈放が認められない囚人は存在する。
参考:http://www.excite.co.jp/News/bit/00091211882686.html?_p=all
4「復讐」
→ これは、唯一「感情的には」理解できる。あくまで「被害者と感情的に強い紐帯で結ばれた人間」が抱く感情として、「復讐」は、古今東西を通じての極めて強い人間的感情だからだ。理性を社会の基盤としてない時代や社会の下で「死刑廃止」を主張し実現するのは無理だろう、とは自分でも思う。だが、近代以降の社会において、なお、このような強い「感情」を社会の運営の基盤に置くのは危険過ぎる。「感情」を無視して社会が運営できるとは思わないが、「感情」を理性によって克服しようと努めてきたのが、過去100年の世界の歴史であり、現代社会は、そのことを無視して後戻りする状況にはない。
→ もちろん、「日本社会は、現実問題として理性を基盤とした社会ではないから、死刑存置はやむを得ない」という主張には、それなりの説得力がある。だが、それはあくまで「現実論」であり妥協であって、思想として死刑制度に賛成するか否かということとは別のことだ。この点に基づく死刑賛成派は、自分が「死刑のある社会が理想的で素晴らしい、望まれる社会」だと考えているのか、それとも「今の日本の社会の下では死刑存置はやむを得ない」と考えているだけでその先にある「死刑制度自体が是か非か」について考えることは停止しているのか、再度自問すべきではないか?
なお、元増田が書いている「国家による殺人」に関することは、サラッと流せる話ではない。国家に自国民を殺す権利はあるのか?について、元増田はどの程度、思考を巡らした上で書いているのか?
では、犯罪者は「犯罪者」だから殺していいのか? では、「犯罪者か否か」は誰が決めるのか。国家だ。つまり国家にとって死刑制度は「殺したい国民を殺せる」手段だということになる。
元増田は「国家は国民が運営してるんだから、いいじゃん」と思っているのだろう。つまり「国家が国民のためにならないことをするわけないよ」と思っているのだろう。平和な考えで、大変結構だ。しかし残念な思い込みでもあると申し上げておこう。
申し訳ないが、オレは単なる「システム」に、そこまで全幅の信頼はおけない。システムはただの「道具」に過ぎない。それを使う人間によって、善なる結果も悪なる結果も引き起こす。従って、システムは、多少危うい人間がそれを握ってもヒドイ結果は引き起こさないように設計する必要があるのだ。元増田が、いかなる政治思想を支持しているかは知らないが、自分から見て全く反対の政治思想が流行し彼らが政権を握ったとき、自分が「粛正」される側に回らない自信は本当にあるのか? それとも「常に強者にすり寄る」主義であるか。それでも、コウモリ的存在は、いつなんどき「裏切り者」として粛正されるか分からないわけだが。
以上の観点から、オレは「可能な限り近い将来に死刑は廃止すべきだし、そのために、一日も早く日本社会が感情よりも理性で運営される社会となるよう、関係者は努力すべきだ」と思っている。
元増田でっす。
あの元記事の問題は、「ニコニコ」(共有こそがメインコンテンツ)の場を母数として、あの結論を持ってくるところで、ある種のトートロジーなんだよね。
空耳は古くからあるし、マインクラフト界隈での「前川ピュタ」みたいな符丁もある。
あそこは、「そういう場」なんだ。
シーンシーンで共有されてるリアクションってのがあるし、新規でも共感されればみんなが使う。
「業界ではご褒美です」がマゾヒズムの発露そのものなんて、100%ありえない。
とか
とか、逆方向の結論なら理解できる。
サッカースタジアムやライブ会場で他人との共感が相乗効果を発揮して熱狂することあるけど、現実の寂しさの裏返しなんて言わんでしょ。
ニコニコのコメントにそれを見出すとすれば、そこにはシロクマ先生によるニコニコ視聴者の想定があるわけさ。
肌色アニメを見て、やれ「壁ドン」だ「ご褒美」だ言う輩は・・・という、言外の設定が隠されているわけ。
別にそれ自体はいいんだ、一般的で普通の人(笑)は、みんなそう言うだろうからね。
「女性は消費される性」とか「規範を内面化」とか生半可なフェミ用語が飛び交っていて生暖かい微笑みを隠し切れない。
まあそれはそうとして、増田の気持ちはよく分かるよ。でもそれは「女性が消費される」とかじゃなくて、「性的対象に見れない相手から性的な欲望を抱かれる」ことに対する嫌悪感なんじゃないのかな。
「性的な欲望を抱かれる」ことを「モテる」と定義するなら、若い女の子は圧倒的にモテるよね。もうね、道ですれ違う若い男からおっさん、おじいさんまでエロい目で見てくる。清楚な格好しててもね。地味な格好しててもね。女の子見かけると「あ、あいつとやりてー」って思ってるそこのアナタ、バレてないと思ってるかもしれないけど、ぶっちゃけあなたのエロさ、だだ漏れです。全世界にだだ漏れてます。
こういう圧倒的にモテる、つまり不特定多数に性的欲望を抱かれるっていう状況のとき、もともと男好きの女の子だったらテンション上がるわけです。でもそうじゃない場合、嫌悪感しか感じない。この嫌悪感て、あんまり女に興味がないイケメンとかも経験するらしいよ。まあ、いやだよね、若い女からオバサンまで自分をみると眼の色変えてしなだれかかってきたらさ。
つまりこの嫌悪感を感じたことがないひとは、モテるけど、ビッチorヤリチン、もしくはもてない人たちということになりますね。女にもてない可哀想な男性の方は、ガチムチのゲイのお兄さんたちに囲まれて股間をジロジロ見られるという状況を想像してください。まあ、たぶんそういうことです。とにかく自分が性的に見れない相手に、性的な欲望を抱かれるのは、本当にキツい。こっちみんな、触んな、近寄んな、っていう、もう恐怖に近い気持ち。
増田の場合は、もう「キモッ」って思ってやり過ごすしか無いんじゃないかな。年をとると性的対象に見られることも少なくなる。もう一つ言えるのは、力を持つこと。強くなることによって性的対象にされることも減る。高い学歴を持つ、キャリアを積む、なんでもいいから、「力」を持つべきだ。か弱い新入社員の女の子に群がる男は多くても、美人上司を口説ける猛者は少ない。これに対して「新入社員は若いからだよ、上司とかBBA」という意見もあるだろうけど、たぶん半分は違う。若さそのものの魅力もあるけれど、一方で「若さ」は「弱さ」を意味している部分もあるから。立場の弱さだったり、経験の少なさだったり。
がんばってくださいな。無理して恋愛しようとしなくてもいいと思うよ。「恋愛するのが普通」みたいな社会も変わっていって欲しいよね。
増田はよく荒れるなあという印象だけど
私はこの人の言ってることにある程度共感もするし、
まったくズレている感性ではないと思う。
ハングリー精神があるわけでなく、
「性」というフィルターで見えてくる他人の欲望に触れるのが苦手なんだと思う。
それが"モノを知らない子供っぽい思想"という批判はあるかもしれないけどね。
自分が「かわいい」という理由で買ってる服も、文化的商業的に男性へのセックスアピールを内包していて、
「かわいさ」という価値観が男性にコントロールされてしまってる感覚に嫌悪があるんでしょ。
とはいえこの肌感覚・ジェンダー感は、セックスから逃げてるとか拗らせてる、とかではなく
ひとつの理性主義として受け入れられてもいいと思うんだけどな。
「ずっといないんすよねー」
「大学生なったら彼女できるだろう」という淡い妄想も打ち砕かれ、「大学が忙しくなったからもういいや」で過ごしてきたが
また新たな人間関係を構築していく中でこんな場面に遭遇してくる。
大学入ったころは、「まあ割と普通だよね」的な雰囲気もあったが,果たして今の年齢だとどう答えるのが無難なのだろうか?
といっても既に、はじめの返答をしてしまったのでどうしようもない。
>ずっと、って?(苦笑)
「いや、ずっとですw」
>へー意外(どん引き)
3時3分に書き込んでいる時点で
わたしは多分増田と同年代くらいの女だけど、増田の言いたいことはわかるしある程度は共感できるよ。
女=消費物であるとはあまり思わないけど。でも男女は対等なものではないとは思う。
別に性的な目に常に晒されてるかっつーとんなこたぁねーだろって思うけど、いざとなったら負ける立場だから
後々にめんどくさくならないようにしようとは心がけてるよ
そういうところが心底めんどくせぇなと思うしもっと気軽に男とも仲良くなりたいよ
増田の言う消費されてる女は消費されてる見返りとして何らかのものを与えられてるんじゃないかと思うんですよ
それが優しくされたり金銭だったり心の豊かさだったり世の言う愛とかそういうものなんだと思うけど
必ずしも一方的に消費されてるわけじゃないんじゃないんですかね
でも私は男尊女卑の環境で、女は男の言う事を多少理不尽でも聞き入れなければならないっていう、
冗談みたいな古臭い考え方のもとに育てられて、男が怖くてしょうがないんですよ
レイプされたわけでも騙されたわけでもないし、特に何かされたわけではないんだけど
自分の中で男っていうのはただただ恐怖の対象で、何か与えてもらえたり期待できるものでは全然ないわけ。
恋愛に対して憧れはないわけじゃないけど、多分無理だなっていう諦めも大きい
多分どっかで男の方が強いって考えがあるから、男の人がうらやましくてしょうがないんだけど、
女としての今の自分が気に入ってるから男になりたいとかはあんまり思わないんですよね
私は女子高生が大好きで週一くらいで女子高生とセックスしたいって思ってるんだけど、「女子高生とセックスする私」は
女としてじゃなく男としてなんですよ。むしろ女としては別にヤりたくないなあと思う
セクシャリティがどっちにあるかとかはあんまり気にしなくていいんじゃない?
世の中には男性的な考えの女性や女性的な考えの男性も五万といるし、むしろ男性女性ってハッキリ別れた考え方の人の方が少ないと思うけど。
理解できないけど好きだわw
面白いですね。ふつうは、自分で「おかず」を作るなんてしないですもん。作れない人は、自分に適した「おかず」をどこかから探してくるしかない典型的な"消費者"ですね。出回っている"合法(グレー?)な商品"で満足できない平均外の人は、"違法な商品"に走るわけか。
じゃあ、「おかず」を作る側に回ろうと思っても、満足のいく「おかず」を簡単に作れないので、そこに到達するまでのギャップがきついですよね。「おかず」作成初心者でも享受できる小さな報酬なんてあるのだろうか。それとも、修業期間はマストだと思って初めは赤字でやっていくしかないのか。
あと人なんでペドなのに既婚なんだろ