「教える側と教えられる側、どちらの立場が上ですか?」
そう聞かれたら、なんて答える?
「教える側が上。」
でも、実際には違うと思うんだ。
実際っていうのは「世間一般ではそういうことになってる」ってことじゃないよ。
「よくよく考えたら、教えられる側のほうが立場が上じゃね?」って構造になってるっていうこと。
だってそうじゃん。
教えたい側がどんなに一所懸命話しても、相手が話を聞くことを拒否したら教えるという行為は成立しない。
そう考えたら、教えられる側が主導権を持ってることは明らかでしょ。
「教えられる者」が「教わる者」として自分を下に位置づけなきゃ「学び」は生まれない。
SMってあるでしょ。
SM倶楽部の女王様のインタビューを前にどこかで読んだことがあるんだけどさ、
彼女が言うには良い女王様になる為には奴隷に対する奉仕の心が必要なんだって。
目の前の奴隷をよく観察して奴隷自身も気付いていない奴隷の欲望を刺激し開花させるのが醍醐味らしい。
なるほどと思ったよ。奴隷が喜ばないお仕置きはただの暴行であり強要であり恫喝だもんね。
鞭で打たれる側がそれを拒否したらSMはプレイとして成立しない。
「お仕置きをする側」ではなく「お仕置きをされる側」がそれが暴行なのかプレイなのかを決定する権利を持っている。
女王様が上で奴隷が下という役割設定はプレイをプレイたらしめる為のファンタジーだってことだよね。
「お仕置きをされる者」が「ご褒美をもらう者」として自分を下に位置づけなきゃ「快感」は生まれない。
で、話を「教える側」と「教えられる側」の問題に戻そう。
さっき自分は、
「教えられる者」が「教わる者」として自分を下に位置づけなきゃ「学び」は生まれない。
と言った。でも、それが自発的か強制的かって実はあまり関係ないんじゃないかと思う。
っていうかそれが自発的なのか強制的なのかって厳密に分けるの無理じゃない?
自分は殴られて良かったって言ったり、体罰で処分された教師を擁護する教え子や保護者が結構いるのは
彼らはそこから何かの「学び」を得たってことでしょ。その「学び」自体は否定してもしょうがない。
義務教育だって受ける側からすればほとんどの場合「強制」なんじゃないかな。
「教えられる者」を「教わる者」に変える方法として、つまり上下関係を了解させる手段として
具体的な力の行使や示威。つまり殴ったり怒鳴ったりするのはとりあえず手っ取り早いし、
一度出来た上下関係を維持する方法としては有効なんだよ。これは現実として認めるしかない。
だけど有効だから体罰を是認したほうがいいのかって言ったらそれは違う。
「教えられる側」の「学び」への欲求を発動させ「教わる者」に変化させるのが目的だったはずの強制が、
上下関係の構築と維持自体が目的になったとき「教える側」は暴走する。それが体罰や恫喝的な指導なんだと思うのよ。
「上下」が何を意味してるのかわからん 主導権とは別物だし、でかい態度出来るか否かってことか? 教える側は往々にして教わる側よりは圧倒的に強者だ 教えを請われるとかいう話...
どれだけ教わりたくても教える側が拒むというケースもあるわけで一概に言えない。 需要と供給のバランスが逆転しつつあり、これまで「一般的にはこう扱われていた」も過渡期に入っ...
「上下」が何を意味してるのかわからん 主導権とは別物だし、でかい態度出来るか否かってことか? こういう頭の悪いやつとは議論したくねえな
何時に起きたんだろうなあ