それはアメフトが「サッカーやラグビーのわかりにくさを野球のわかりやすさで補ったスポーツ」だから。
「アメフトって難しいですよね。サッカーはわかりやすいけど」と言われることがある。でも自分は完全に逆だと思う。
サッカーはルールがわかりやすいのであって「サッカーの何が面白いのか」は素人にわかりづらいようになっている。
逆にアメフトは面白さをわかりやすくする為にルールのわかりやすさが犠牲になったスポーツ。
サッカーの試合で行われていることの大半は、ゴールになる確率が高そうなシュートシーンをお膳立てするという作業だ。
たとえばこんな状況でこいつがシュート打てばゴールの確率30%以上、みたいなシーンを1試合にいくつ作れるか、あるいは作らせないかという争いをしている訳だが、
このゴール確率が一瞬で80%に上昇したと思ったら次の瞬間には何かのミスで0.1%になっているという具合で、素人にしてみれば何を喜び何を悲しんでいいのかよくわからない。
得点の期待値の高いシーンが90分間のうち数十秒とかしかない。
それでも辛抱強く(ゴールという)心おきなく喜べる瞬間を待ち続けるにはそれなりの動機が必要で、結局ナショナリズムの力を借りなければならない。
サッカーの人気が代表に集中しているのは、サッカーが多くの人にとって実はわかりにくい競技だから。
もちろん上級者の人たちはその「確率の上げ下げ」の争いをも(というかそれをメインに?)楽しんでいるわけで、
そういう「サッカーがわかる」人にとっては楽しいんだろうなあと思うし羨ましい限りなのだけれど、お茶の間の皆さんにはそれわかんないから。
一方、野球はルールは難解だが試合はわかりやすい。甲子園とかマジ老若男女が見る。なぜか。
野球は一つ一つのプレーごとに審判のコールによって「たった今行われたプレーが応援するチームにとって『良いこと』だったのか『悪いこと』だったのか」が観客にわかりやすく示される。
そしてここが大事な点なのだが、すべてのプレーの結果が一時的に保存される。保存されるからこそ観客は喜べる。
攻撃側にとって出塁や進塁は得点確率の上昇を示しており、しかもその確率が0.5秒後には元に戻ってましたというような心配はない。
いわば、たとえは悪いけどパチンコやスロットで当たりの確率が上がった状態であって、そういう状況になったこと自体が嬉しいのだ。
あるいは守備側にとって恐怖なのだ。そしてそんな状況でスリーアウトになれば守備側にとって歓喜の瞬間となる。アウトは一度宣告されれば失われることがないので思う存分祝っていいのである。
得点がたくさん入れば人気が出るというのであれば、いまごろバスケやバレーが日米の人気No.1スポーツになっているはず。
そうならなかったのは「もうちょっとで点が入りそう」という状況を一旦保存し、そんな状況になったこと自体をまず理解して喜んでもらい、観客の集中力を高めた上で然る後に喜びを爆発させてもらうという野球やアメフトの性質がスポーツエンターテインメントとしての力を発揮したということなのだと思う。
アメフトは基本ラグビーに似た陣取り合戦だけど、そこに野球的な要素、つまりプレーの断片化、攻守のターン制、そしてプレー結果の保存が行われるようになっている。
具体的にはボールを持った選手がタックルを受けて倒される度に試合が止まり、相手ゴールまであと何ヤードの地点まで進んだかが一旦保存される。
だから攻撃側は何ヤード進んだと言っては歓喜し、守備側は何ヤード押し戻したといっては狂喜する。
攻撃側が前進するほど得点の期待値がじわじわ高まっていき、守備側が健闘するほど攻守交代の可能性が高まって守備側の期待感が高まる。
それでいてサッカー的な戦術の面白さやスピード感も、野球のホームランのような華やかな一発プレーも相手の配球を読むようないやらしさも含んでいる。
いつもの
野球って分かりやすいかな? どんなスポーツでもそうだけど、そのスポーツが全く知られていない国の人間に、ルールを口だけで説明するのは、かなり面倒だと思う。野球なら、おそ...