(周りの人も含めて)ほとんど逆らえないって状態。
その他のことではほとんど口出しできない。
バブルの時に取りまくった人
取りまくらないために「フィルタリング」するんだよ。
膨大な数の就活生が応募してくるのにフィルタリングしないで全員細かく見ていたらいつまでたっても終わらないし、
文面から、ちょっと受け身すぎるかな、っていう印象をうける。「一方的に言われてる」って感じるなら、もう少し自己主張してみてもいいんじゃないかな? 研究の基本は「議論」だよ。
コンビニで言えば189円くらい。
しかも、そんなの飲んでも無駄だよデブといった嘲笑を受けるハメになる。いや、これは被害妄想かもしれない。
そんなあなたにおすすめなのがお~いお茶濃い味や伊右衛門の濃いめだ。
トクホのカテキンが540mg、お~いお茶濃い味は400mg。
しかも、「またそれ飲んでるね」と言われたら、「この渋いのが好きなんだ」
とでも答えておけば良い。
もちろん、食べないのが一番なんだけど。
一方的に言ってくるように感じてる
相手は意地悪してるとは思わないし、自分も思ってないけど
ただ単に相性(人間関係)があわないだけなのかな
まぁストレスの一番の原因は研究室が求めているレベルに自分のレベルがあってない(自分の力不足)んだろうけど
もう少し余裕のある研究室に入れればよかったな
そういう工夫とか、学ぼうとしてる?ドクターの学生に聞いてみたら?どうやったら速くなりますか?って
指導教員の「留年」連呼はこれだけみるとパワハラっぽいけど、本当にそうかはわからない。
君ならできる、と思ってプレッシャーをかけているのかもしれない。危機意識足りないよって言われてるんじゃないの?
指導する側は、相手の限界の少し上まで負荷をかけて、いまある能力の限界を越えた成長をさせるっていう教育方針をとることもある。
そうじゃなくてただ意地悪されてるだけなら、「意地悪してくる相手との交渉方法」を学ばなきゃいけない。これも社会に出て役に立つ技術だよね。
ずっといるドクターと一緒にされても困る
なにをいってるのかわからない。
なにが"そして、この「入試取止め」「教員全員異動」という手段そのものが、「暴力によって矯正を図る」というまさに「体罰的手段」であろう。"だよ。
第三者委員会を立ち上げてなんちゃらやるというのか?
自殺してから一年以上、調査した結果わかったことは「自殺の原因はいじめだ!」だよ?
正しい手続きを踏むために、高校生にとっての数年が奪われるなんて、馬鹿げてる。
いじめで自殺、体罰で自殺、そういうことが起こったという事実は、社会に対する挑戦とみなさないといけない。
そのシステムを、全力で、手段を選ばず、完膚無きまでに、叩き潰さないといけない。
即座に!
一人として被害者にさせちゃいけない、傍観者にさせちゃいけない、そのくらいじゃないといけない。
もう一度いうよ?
人が、死んでいるんだよ?
これから嬉しいことも、楽しいことも、いっぱい、いっぱいあるはずだった高校生が、殺されているんだよ?高校で殺されているんだよ?
私は絶対に許さない。
>これを見てドクターの人に「作業が遅いからだ」とか言われてるんだが
本当に遅いんでしょう、きっと。
遅いのを何とかするか、作業を減らしてもらうか二つにひとつ。
どこから仕入れた知識だか知らないが、ブログを更新するたびに中学生がコメントを見せて来る
ブログに写真を載せればtumblerに乗せる。テキストも転載する。
ほんとうざい
日本の親は塾通いやめさせろ
徐々に問題が整理されて、一面的でない見方も増えてきている。
でも、増えて行くに従って違和感を覚える。
http://d.hatena.ne.jp/showgotch/20130122/1358872297
興味のないことを「知らんがな」と言い、理由を「3つでしかない」と限定する。
(勿論この記事を否定したいからじゃない。前段を書いてある分、誠実だ。)
全てが理由になり得るし、最も支配的な理由が、最も効果的な対策に繋がるとは限らない。
体罰とは何なのか、分類によって見ていきたい。
まず、体罰は許されるのか、だ。
効果があるかは議論の余地があり、根絶は出来ない無いが、対策は打てるだろう。
順に見ていこう。
昭和23年、法務庁(現在の法務省)は「児童懲戒権の限界について」として以下の定義を出している。
一 学校教育法第一一条にいう「体罰」とは、懲戒の内容が身体的性質のものである場合を意味する。すなわち
(1) 身体に対する侵害を内容とする懲戒-なぐる・けるの類-がこれに該当することはいうまでもないが、さらに
(2) 被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒もまたこれに該当する。たとえば端坐・直立等、特定の姿勢を長時間にわたつて保持させるというような懲戒は体罰の一種と解せられなければならない。
懲戒とは職務上の懲罰なので、例えば退学や訓告(所謂お説教)、謹慎(居残りの自習など)などは懲戒処分とされうる。(※1前述の通牒には、遅刻した生徒に対して「廊下に立ってろ!」と授業を受けさせないことは、懲戒ではなく許されない等、かなり具体的な質疑形式で書いてある。(2)に関して、機械的に判定できないとするなど、現実的でもある)
これには、議論の余地がある。
文部科学省の「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について(通知)」の別紙に、
「児童生徒に対する有形力(目に見える物理的な力)の行使により行われた懲戒は、その一切が体罰として許されないというものではなく」とあり、裁判例を引いている。
つまり、一度出された定義であっても、状況(荒れた状況下での、腕力による鎮圧など)によって解釈が変わりうる。
学校教育法第十一条に、「懲戒は良いが体罰はダメ」と書いてある。
罰則はないが、法律である。法治国家では、法を守るのは社会の前提になる。
しかしこれは、「なぜダメなのか」「どうして体罰が許されないのか」には触れていない。
これは、「特に注意しておかないと、蔓延するから」という過去の経緯を踏まえてのものだろう。
学校教育法では、1〜7条が学校を定義し、8〜10条で校長と教師を定義する。
その次が11条の体罰の禁止だ。(その次に、12条の健康診断となる)
「公務員等が情報収集等のために身体的、精神的な重い苦痛を故意に与える行為」を禁止している。
これも特に禁止している例だろう。
通常これらは、刑法208条の暴行罪、刑法204条の傷害罪でカバーされうるからだ。
これに、刑法第222条脅迫罪を加えれば、体罰の禁止も拷問の禁止も敢えて謳わなくても良い。
「次の試合で勝たなければ、お前を竹刀で殴る」と言えば脅迫罪で、
負けたので殴った場合、怪我をしなければ暴行罪で、結果怪我すれば傷害罪だ。(※2「法令による行為または正当業務行為」は、「違法性阻却事由(法律違反ではないとみなされる)」となるので、それを封じていると見ることも出来る)
だから、日本が法治国家であるとするなら、学校教育法の言う「体罰」は特に禁止されているし、犯罪でもある。
これには議論の余地がない。
体罰が効果的なのかどうかは、探した限りでは決定的なものはなかった。
家庭での躾の一環としての体罰は、効果的(収入、学歴、犯罪歴)であるという報告もあれば、逆の報告もある。
大いに議論の余地があるだろう。
(一番誤解を招きそうな項目であるためここに書いておくが、議論の余地がある事と、現実の功罪は別である。また、効果が大きいと言って許されるとは限らない。本質的な議論だからと言って対策に繋がるとは限らないし、表層的であっても結果的に問題が解決することもありうる。)
これは、(定義を変更しないのであれば)根絶できないだろう。
これは、種痘によって自然界の天然痘ウイルスが感染をほぼ確実に防げたからだ。(※3もちろんWHOの多大な努力の結果である)
暴行も傷害も未だ根絶する手段すら見つかっていない。
ただし、程度問題ではある為、議論の余地はある。
例えば傷害事件は平成12年に急増したが、平成15年を境に低下を続けている。
把握し、対策を打ち、低下させる手段は議論できる。
ただし、低下はしても無くならないという前提を置いての議論になるだろう。
これを、傷害、暴行、体罰、懲戒に分類して考えることが出来る。
個人的には、体罰と傷害だと考えているが、議論の余地はあるだろう。(※4ここでは、懲戒として暴力をふるうことを体罰と呼んでいる。体罰は当然暴行若しくは傷害である。「体罰」の定義が厳密ではないため、体罰ではない単なる懲戒若しくは「有形力(目に見える物理的な力)の行使により行われた懲戒」を、体罰と呼んでいる事がある。)
ただし、この論点が問題になるのは、「体罰は許される/体罰はやむをえない(法に不備がある)」という前提を置いたときか、実際に刑法・民法で裁判になったときぐらいであろう。
一般論ともなり得るが、具体的に大阪市立桜宮高校の場合としてみていこう。
亡くなった生徒や入学希望者に責任は無く、顧問には責任がある。
教職員や在校生、卒業生の責任は、その度合いには議論の余地があるだろう。
こうすれば良かった、こうしていれば自殺しなくても済んだ等の話は、あくまでも対処の話であって、責任論にはならない。
これには議論の余地がない。
その指導法が効果的であった、効率的であったという話は、効果の話であって、責任論にはならない。
これには議論の余地がない。
彼らは(別の生徒に対して直接の体罰を行っていない限り)直接的な責任は無いだろう。
その為、議論の余地があるだろう。
例えば「実際の体罰の現場を目撃した」「体罰をしていると聞いていた」「体罰があると、(直接は知らずとも)告発を受けていた」など、状況によって責任の度合いが異なるだろう。
これには職務上の責務(校長など)、教育者としての責務(体育科の教員、普通科の教員など)、社会人としての責務(職員など)と、それぞれにおいて違う。
個人的には、体罰について知っていたであろう体育科の教員と、生徒の傷を見たとは限らない養護教諭とでは、責任が異なると思う。
ただし、少なくともバスケットボール部の生徒は、他人が体罰を受けているのを目撃している。
その為、議論の余地があるだろう。
個人的には、成人でありかつ教育者である教員の責任とは異なり、例え知っていたとしても生徒に責任は無いと思う。
通報すべき、相談すべき等の話は、善意の行為であって、義務では無いと思う。
また、保護者はより間接的な関わりになるため、その影響力と責任は、限定的だと思う。
さらに、「体罰は効果的だった」「顧問は善意から行っていた」などの言説は、その発言に対する責任は生じたとしても、体罰などを受けた結果、その様に教育された被害者ではないかと思う。
(ただし、責任がないから一切の制限が加えられるべきではない、という事ではない)
彼らは、当然、責任は無いだろう。
これには議論の余地がない。
個人的には、体罰が発覚した後に入学を望んだとしても、体罰を受けて良いと言うことにはならないと思う。
(例えば、メジャーリーガーになるべく渡米した人が銃による犯罪に巻き込まれたとして、アメリカの銃犯罪の多さをもって、彼が愚かだとは言えないだろう)
長くなってしまった為、別日に改めたい。
例えば、学校教育法の第四条は、「市町村の設置する高等学校」の「学校の設置廃止」は、「都道府県の教育委員会」が行うものとされている。
そして、同法第十三条には、「法令の規定に故意に違反したとき」には、「それぞれ同項各号に定める者は、当該学校の閉鎖を命ずることができる。」とある。
体罰を故意に行った今回のケースは、大阪府教育委員会が学校の閉鎖を命ずることもできる。
責任がなければ制限を受けるべきではないのか、責任が無くても制限を受けることがありうるのか、
対策の結果、制限が起こることが許容されうるのか、現状に影響を与えない制限を行うべきなのか、
懲罰的な対策なのか、状況を変えるために行った結果懲罰に見えるのか、
いろいろな論点があり得るだろう。
体罰とは何かに関しては、その定義から責任まで整理できたと思う。
特別な場合を除いて、ソースに対してのリンクは敢えて張らなかった。それぞれが調べて欲しい。
どう報道されているか、誰が何を考えているかの切っ掛けにして欲しい。
例えば冒頭に引いたブログポストは、体罰に関しては踏み込まず、この事件が起こる構造について論じているのが判るだろう。
生徒が逃げられないのは、体育科の部活動の他に選択肢がないからであり、教職員が体罰に走るのは失う報酬が少なく、また体罰を報酬とするからであり、また効果的な対策がほとんど無いからである。これは、言ってみれば体罰を積極的に行おうとする教職員が部活動の顧問になる制度設計になっているという指摘でもある。
先の例でも判るとおり、体罰の対策を議論する場合には、体罰がなぜ生じているのかを整理する必要があるし、対策が結果的に罰に見える(例えば、バスケットボール部の顧問が懲戒解雇になった場合、バスケットボール部の現役部員は指導の機会を奪われる。彼らは被害者であるにもかかわらず、さらに罰を与えられている、という言い方も可能である)場合には、功罪を論じる必要がある。
このまとめでは論点整理にしか役に立たず、対策を論じるには不十分である点は、申し訳ないと思っている。
「なぜ今、議論しなければならないか」への返答として、大津市教育委員会のWebサイトを提示して、結びとしたい。
http://www.city.otsu.shiga.jp/www/genre/0000000000000/1000000000625/index.html
アルジェリアの人質事件で、被害者の実名公表が問題になっているらしい。メディア側は基本的に「公表すべき」という立場で、それに対して反論が集まっているようなんだけど、いまいちスッキリしない。メディア側の論拠は「報道の自由」で、それに反論する論拠は「被害者の人権」のようだ。
メディア側の人で、「自分だったら匿名ではなく、名前を記録に残して欲しい」という意見があるけれど、それはちょっと違うと思う。死者の意見を聞くことはできないけれども、少なくとも遺族なり友人なりがその人について公表することは可能だ。一律に、原則実名で報道しない、というだけだ。新聞でただ一行、名前を載せてそれで終わりにするのではなくて、その人がどういう人生を選び、歩み、そして亡くなったか、(関係者の協力を得た上で)詳細に取材して記事や本を執筆するということ、そのほうが報道の本分に近いのではないか。そのとき「名前」というのはもはやあまり大きな問題ではない。
「実名」云々は、メディア側が被害者にアクセスするための鍵として重要なのだ。一方で匿名の約束で取材して、実名で報道するということもされているらしい。この場合、もはやメディアは被害者の関係者にアクセスできているから、「実名」というものの重要度は下がっている。そこであえて実名を紙面に載せるということは「実名報道は報道の自由」というプロバガンダの喧伝でしかない。
日本にいると実名報道が当たり前だけど世界的にみるとそれはそんなに当たり前のものでもない。英米では基本的に実名報道であるが、その論拠は「公権力の監視」だ。匿名報道にすることによって権力の不正が見抜けなくなるということを回避しようとする。一方、スウェーデンでは一般人の犯罪は原則匿名のようだ。自分の知る限り、ドイツも、犯罪報道においては、被害者も加害者も匿名(ファーストネーム+アルファベット)で示される。もちろん写真もモザイクがかかる。
今回のアルジェリアのケースと、これらの匿名報道の違いは、今回の場合は、「政府が情報を持っていて、報道機関が持っていないので報道できない」であり、後者の場合は「政府ないし警察と報道機関は情報を共有しているが、報道機関はそれを報道しない」ということである。「政府が情報を持っていて、報道機関が持っていないので報道できない」ということ、これは考えてみれば大きな問題だ。そして報道機関に情報を提供しないということの理由が「メディアスクラムによって被害者の人権が侵害される」ということで、この理由に国民も拍手喝采して賛同している、そのことに私は若干の戦慄を覚える。
報道機関には情報が提供されるべきだ。そのことと、実名で広く一般に「犯罪の被害者」として知らしめられることとは別のことだ。後者を人権侵害だという論には首肯する。けれど、被害者および関係者への取材攻勢を理由に、公権力が情報を隠蔽することは許されない。メディアが被害者の人権を蹂躙しているのならば、それは別の場で争われるべきだ。被害者の関係者がメディアスクラムと、実名公表によって二次被害をうけているのならば、それは司法の場で議論されるべきことなのではないか。本当に「人権侵害」が問題ならば。
一方でメディアも権力に「メディアは人権侵害をするものである」という言説をゆるす隙を与えるべきではない。被害者関係者へのメディア・スクラムが問題ならば、なんらかの形でそれを自制する方法を考えるべきだ。また、公務員、政治家などの公人を除いて、原則匿名報道にするということも考えてみていいのではないか。実名報道が常に優先されるべきものなのかについては議論の余地がある。
それでも研究あんまり進みませんでしたって言うとお前このままだと留年だって言われて
指導教員に合うたびに昼食時でも共同研究先の人がいる時でも留年だ留年だって言われて
これを見てドクターの人に「作業が遅いからだ」とか言われてるんだが
研究室ってこんなもんか?
フィルタリングしないとやってられない
それ、個人の感想じゃん。大多数の人事はそう思ってるだろうけど・・・だから、日本企業は大量のリストラをするはめになったんだろ。
バカみたいに、バブルの時に取りまくった人が不良債権化した反省を、今していないなら、人事って何よ?
ようするに、言いたいことはわかるし、そのとおりだろうけど
大雑把にフィルタリングできるなら有用だろう。少数応募の就活システムなら
というのもわかるけれど、ここしばらくの就活事情は大量応募大量不採用だからね
フィルタリングしないとやってられない
ときにそんな人間見るとか悠長なこといってられるか?数人から一人選ぶんならともかく、大企業で無数の応募から採用するとか、中小企業でも三桁応募きたけど人事担当は一人しかいませんとか、そんなときには学歴フィルタが一番手軽に期待値をあげれる方法。
あとは、
この手の、「これが男女反転して小町で相談したなら女は女の味方するはず」と考えてる人の最大の勘違いは、別に小町は女に甘く男に厳しいコミュニティではないということ。
2chの特にまとめサイト界隈は、男に甘く女に厳しいコミュニティだけど、小町は「男にも女にも厳しい」コミュニティ。
高学歴と頭がいいは違う。
ドクターになるだけだったら、金があればなれる。
一瞬そうかと思ったのですが、
stringにキャストしてから比較してるわけではないようです。
http://anond.hatelabo.jp/20130123190650
------------------------------------------------------------
if ('5e0' == 5) {
//こっちに分岐
echo "true";
} else {
echo "false";
}
if ('5e0' == '5') {
//こっちに分岐
echo "true";
} else {
echo "false";
}
$ArrTest = array(
'5e0' => ''
);
if (array_key_exists(5, $ArrTest) == true) {
echo "true";
} else {
//こっちに分岐
//そのまま比較しているわけでもstringに比較しているわけでもないらしい
echo "false";
}
exit;