これを読んで思ったのは、東って幼児が画用紙にグチャグチャの絵を描いたのを芸術だって言うような人なのか、統合失調なんかで神の啓示だって描いた絵をこれは過去の巨匠にも匹敵するなんて言っちゃうような人なのかってことだ。
旧エヴァは間違いなく怪作で傑作で、庵野監督が本気で狂ってた作品であることは間違いない(完成度が高く辻褄が合っているのは狂いながらも計算されているってことだ)。
でもそれはどうやったって2度は作れないし、作ることを望んではいけないものであるはず。2度作ることを求めたら今度こそ死ぬか完全に狂うんじゃないか?
で、ここで否定に入る。
確かに旧エヴァは怪作で傑作だったわけだが、庵野監督が狂っていたがゆえに個人的問題から外には出られなかった。
最初はネルフ以外の人が描かれていてトウジやケンスケといった友達が描かれていたのに、話が進むにつれシンジと誰か以外の部分が削り落とされていって、最後はシンジの隣にアスカ一人という結末になってしまった。
なぜか分からないが、シンジが「また会いたいと思った」という気持ちによって、世界が完全に終わってしまう事態は避けられたらしい。
ゆえに旧エヴァはセカイ系の走りとなったわけだけど、旧エヴァにおいて完全に抜けていた問題が一つある。
それは、旧エヴァにおいてシンジは常に被害者であって加害者にならなかった、常に周囲から苦しめられ傷めつけられる存在だったってことだ。
例えばトウジが足を失う結果になったバルディエル戦、この時シンジは父親ゲンドウが稼働させたダミープラグの凶行を見せつけられ、ゆえに父親を殺人者と罵る権利を有する被害者だった。
旧エヴァにおけるシンジは結果として他者を傷つけることもあったかもしれないが、同時にその他者から傷つけられていた。
更にシンジは、ネルフ、ゼーレ、戦自といった巨大な組織による荒波に翻弄される立場であって、こんなの14歳の自分にはどうしようもないよ、どうやっても解決なんてできないよと言っても、まあ許される立場だった(現にミサトはシンジに対しエヴァ量産型の殲滅以外求めていない。それしかシンジにできることはないと分かっているため)。
ところがヱヴァQにおいて、シンジは明確に他者を傷つけ苦しめた加害者であり主犯の立場に立たされることになった。それも人類を壊滅させるほどの加害なのだからもう立派と言わざるをえない。
その上、カヲルやアスカの制止も聞かず行動した結果がフォースインパクトに繋がりかけたのだから、もう弁解などできる立場でない(せいぜい知らなかったと言うくらいだろう)。
この、自身が加害者になるというテーマは00年代に少なからず見られるのだが、自分は○○のために加害せざるを得なかったのだ、自分は○○の目的を達するために加害したのだといった言い訳がついて回った。
シンジも現実を見せられた時そうだった。自分は知らなかった、綾波を助けたいと思っただけだ、それなのに僕のせいだと言われてもどうしろって言うんだと。
だがその言葉が何億の死者と滅茶苦茶に破壊された世界に果たして届くものなのか。
ヱヴァQは間違いなく凄い、主人公をどうしようもない加害者に叩き落としたという点でどうしようもなく凄い映画だと断言できる。
ヱヴァンゲリヲンのQをみた。東信者である俺は村上裕一×坂上秋成×さやわかによるQ最速座談会ももちろん聞いたし、風花でのあずまんと坂上村上ustも見たし、はるしにゃんとあずまん...
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なんかあずまんにつぶやかれたしQ見て良かったわ。 https://twitter.com/hazuma/status/270937897249693696 https://twitter.com/hazuma/status/270943010051719169 それはさておき、庵野はひどい。 ヱヴァQは間違いな...
だからここで俺が気になるのは、あずまんがシビれるくらいの解答というのはどういうものなのか、に尽きる。他は正直どうでもいいのであしからず。 キーワードとなるのは「狂気」...
私はヱヴァQを見ていて、あ、これは魔法少女まどかマギカに近いテーマ性を持っている、更にその先に行こうとしていると感じた。 というのも、まどかマギカもヱヴァQも、善意の結...