ああ、それも書こうと思ってたのよ。オナニーの件も。そこも(例外)にちゃんと含んでて、それでもなお満たされてないんだという。
でもなんでこれを、含まれてて当然のものを説明しなきゃならないんだという気持ちでいっぱいだ。
単純に言って、過去の時代のある段階で性的に満たされてしまっていたのであれば、それ以上性産業を発展させる必要はないってこと。
オナニーの材料が想像→浮世絵とか(これも普及率低いから考慮に入れる必要はないが)→写真によるエロ(これも普及率低いから)→大量生産と流通革命による安価(ここから普及開始)→エロ動画初期→エロ動画高画質化
というよう流れは、想像オナニーで人間がまったくそれ以上を必要としないなら、必要のない流れであったはずなんだよね。
例えば昔、「ブルーフィルム」というのがあって、それの存在を知ったサラリーマンがひたすら悶々とするという話が藤子不二雄Aのむかーしのマンガにあってだな、実はそれはある世代以上の人にはそれなりの共感性があるんだが、この感覚を後の世代に伝えるのはおそらく難しい。むしろ逆にその「ブルーフィルム」あったという事実が、「みんなブルーフィルムを日常的に愛用していた」というような誤解に持っていかれる可能性すらある。昔のことを伝えるのは難しいな。
俺が言ってんのは 性的な抑圧からの解放が結婚と子作りによってしか達成できない環境だった(もちろんごく一部には例外がある)。 のではなく、性的な欲求の解放は結婚とはリンク...