2012-07-08

悲しみコンテンツ

悲しいニュースが多すぎてもう「悲しい」という共感さえ無くしてしまった

スレ数やRT数はてブ数でしか「悲しさ」を図ることができなくなった

何日で「誰かがいじめられて自殺した」というニュースを忘れてしまうのだろう

もうね、誰かが「SOS」発していてもその人数が多すぎて「フーン」としか思えなく

なってしまっているのです

悲惨な追い詰められ方をした子どもは少しは記憶に残るけど、大人はまず記憶

すら残らない

生きてる内にSOSを発してもスルー罵倒が返ってくるだけ、自殺してやっとコンテンツとして

注目される

それでもすぐに次のニュースがくれば忘れられてしま

人権人権」と呪文つぶやき続ける人たちは自殺した子どもマイノリティ差別的言動が

いじめ過程にあったら憤ってくれそうな気がするけど、亡くなったらのが日本人ならスルー

して、加害者人権を守れという方に向かうんだろうな そっちの方が人権運動には都合が良いか

日本では「他の皆と違う」ということは「面倒臭くて手間がかかって皆に迷惑をかけるから強者が優越感ゲーム

的にしても良い」という暗黙のコンセンサスがある 

かといって長期不登校にでもなったら内申響いてレールから外れ、優越感ゲームの的にますますなるだけだし

大人は「我慢しろ」「同じレベルになるな」「時が経てば忘れる」「いじめている側は将来不幸になる」「見返してやれ」といってるけど

はい、それ全部偽善

要は「めんどくさい事起こすな、泣き寝入りしろ」と言ってるだけ

いじめてる側は公務員などになって結婚して子どももできて一人前と世間に認められる社会人になり

いじめられる側は程度によっては「お空キレイ」と空を見続ける廃人となるか、コミュ障となってろくな

待遇仕事にも就けないのが現実ですから

いじめ加害者せとかまたまた冗談

世間的に幸せな生活を手に入れて、20年過ぎても

夜中に憎しみで歯軋りして起きて寝汗をかいている自分に気づくことさえあるのに

悲しみはすぐに消えるけど怒りや憎しみは年月が経っても死ぬまで消えないものです

誰かが「発狂リガー」を押すと心の底からすぐに蘇る

散り積もった皆のストレスを引き受けて誰にもぶつけずられず死ぬ人それはいつも

敗者です

誰かにストレスかけて迷惑かけてもいいんだよ

一人に集団長期間に渡って石を投げないならばそれは許されるべき

悪口、愚痴、陰口、喧嘩、憎しみあってかまわないもの

皆少しづつ心の弱さを他人に押し付け日々の辛さを支えあいながら暮らしている

それが駄目だというのはポジティブ教信者左翼教師と人権屋かいじめられている人に反抗されるのが嫌な

いじめる側ぐらいなもの

「怒り」に立ち向かわずひたすら我慢させ目を背けさせる日本事なかれ主義がどれだけ卑屈さに甘んじる事を

いじめられる側に強いてきたことか

増田ネットネガティブなこと書くなというポジティブ教信者たちはこれまでの人生弱者をさぞかし踏みにじってきたことを思い出したくなくて後ろ暗いんだろうなと思ってる

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん