家に帰ると、妹と兄が話していた。
「俺だって就活の時は『〇〇を専攻して学んできた僕を採用すれば、御社の〇〇開発にとって大きな利益になります!』って感じのことを言ってた。就活の面接ってのは、そういう事をアピールするもんじゃんよ!」
就活中の妹にアドバイスしようと、自分の就活経験を教えてくれるお兄ちゃん。一見すると、それは妹思いの頼れるお兄ちゃんだ。だがしかし、それは彼の就活が大間違いの繰り返しであった告白でもあった。なのに、本人はその間違いに全く気付かず、自信を持って力説していた。
『〇〇を専攻して学んできた僕を採用すれば、御社の〇〇開発にとって大きな利益になります!』
いかにも軽くて字の大きい無責任な就活本に書いてありそうな台詞だけれど、実は私は就活も採用担当も経験がないので、実際にこんな事を面接で話す就活生がどれだけ居るのかは知らない。案外多いのかもしれない。だが、もしも私が面接官だったとして、たかだか学部生がこんな事を発言したら、どんな意味で言っているのか注意して次の言葉を聞くだろう。その学部生が天下のFラン大学生ともなれば、お祈りの手紙決定だし、しかも大真面目に額面通りの意味で発言しているともなれば、これはもう首を横に振って溜息を吐きたくなってしまうだろう。
そう、就活中の妹に参考にすべしと面接での自分の台詞を力説していたお兄ちゃんは、Fラン大学の学部生だった。しかも、あっちこっちの面接で、大真面目に額面通りの意味で発言していた様子。『あのね、いくら切れる良品だとしても、台所の文化包丁に対して、床の間を飾る役目を期待して日本刀代わりに購入したりはしないでしょ。それと同じで、普通のFラン大学生の学部専攻に対して研究開発を発展させる役目を期待して採用したりはしないんだよ。Fラン大生に期待されるのは別の役目だから、アピールすべきも別のことだよ。文化包丁が自分を床の間を飾るものだとしてアピールしたらちょっとしたコントだよねw』などとは、本人に向かって言えるものではなかった。何故って、そこに含まれる「お兄ちゃんはランクの低い大学」という事実の指摘がレッテル攻撃だと受け取られやすいからだ。
『面接でそんな台詞を疑いもなく繰り返した結果が、リーマン・ショック前の好況かつ団塊世代退職による採用増な状況での就活にも拘らず、手当たり次第片っ端から受けた企業の全てからお祈りの手紙を送られ、妹の就活の頃になっても何が失敗か分からないまま、自分の失敗経験を真似すべき見本としてアドバイスしちゃうお兄ちゃんだよ。その後、アラサーになっても無職で就職の宛もなく、貧しい老親から精一杯の月四万円の小遣いを与えられて年金も保険も親まかせだよ』などとも勿論言わない。事実を並べるだけで攻撃になるからだ。
内定ゼロの妹は「え〜」だの「へぇ〜」だの言いながら、大人しく聞いていた。
自分=お兄ちゃん そんなことは皆お分かりだと思いますが
元増田だが、「自分=お兄ちゃん」の仮託にしろ、お兄ちゃん自らこれを書けるような内省力があればこんな事態は起こらなかったと思う。私自身も自分の本当に駄目な失敗は、他人に...
この場合、 自分 = 妹 だろ