2012-03-01

原発をあおる人たち

勘違いしないで欲しいのは、私が原子力発電所を維持して欲しいとは思っていないことです。

原子力発電所…ひいては原子力を使ったエネルギーは今現在ヒトが完全に制御できるものではないので

今は使わないで欲しいと思っています。これは、私が子どもの頃から思っていたことであり、東電

原子力発電所が壊れたことに起因するものではありません。また、幼いころから原子力発電所、それに伴う

人たちのつまらない抗争、お金を知り、原子力発電所のある地域外で生活をして、地域外の人たちが

電力に対して無関心だったかも知り、それでもなおかつ原子力発電所が増設されていく現象はどうなのだろうか?

と、ずっと見つめ続けてきた者の思いです。

放射性物質は数値が強くなると、やはり危険ものになります

それは周知のことです。ですが、それを事実を確認することなく流布する人たちがいます

通常と異なるからと感じたことをそのままに様々な情報を流しています

危険ものに対して、注意喚起することは善意だと思います

ですが、今インターネット上にはびこる善意特に放射性物質にまつわるそれは

殆ど独善であり、事実はいえないものだと思います

放射性物質の影響では?と思われる事象に対して

出来る限りの確認も取らず「これは放射性物質の影響だ!」と断定をしている人がいます

そして、その情報を広げる人がいます。これらの人には悪意はありません。

みんながみんな善意で動いているのですが、私はこの善意が悪意に見えます

様々な悪意もこの世の中にはありますが、善意を装った悪意。私は

これを強く憎悪します。

何故なら、ただ純粋の悪意には自身が悪を行使しているという自覚があります

ですが善意のつもりの悪意には、自身が悪を行使している自覚がなく、それを指摘した所で

受け入れることもなく、逆に強く自身は善である!と主張をし折れることがありません。

そういう人たちが、原発事故以降の反原発グループだと感じています

私はそういう人たちとは相いれないですし、それらの人たちを強く憎悪します。

ただ自分が助かりたいだけに見えるのです。

今まで電気のことを何も考えもせず湯水のように使い続けてきた人たちが

罰を受けているだけなのに、その罰すら逃れようと必死になっているのが

急造反原発に見えるのです。

私は、自分放射性物質の汚染で死ぬこともやむなしと思っています

残念ではありますが、その影響で子の寿命が縮むのも仕方のないことだと

思っています。それは、今まで自分先祖・私たちが目を背けてきた結果が反映されているまでに

過ぎないと思えるのです。そういう結果に抵抗できる限りは抵抗しますが、

そうやって生き延びることが生きる上での正解であったとしても思考の上では

ただの逃げだと思います

怖いが故に、急造反原発の人たちはあることないことを手当たり次第に

焚き付けてたくさんの人たちを恐慌に陥れている。こんなひどいことはないと思います

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