会いたい人のところへ行く。ただそれだけのこと。でも。2週間だ。2週間前から会う約束をしていた。それを、クリスマス寒波などに邪魔されてたまるか。
本当なら、会うその日に行けば良かった。でも、それだと天候の関係で行けなくなるかもしれない。恐かった。あの人に会えなくなるのが。
だから、会う前日。職場の忘年会を、幹事の人に本当にすいませんって言って、出ないことにした。ほとんど定時に職場を出て、あの人の住む街に向かった。
夜通し車を走らせて、着いた街は明るかった。文明の灯だ、とも感じたが少し大げさかな。天候はそのあとから悪化した。タイミングは良かったと思う。
いい時間が過ごせた。そういうクリスマスイブ。おそらく、今までの人生で、一番素晴らしい時間を過ごせたと思う。満足だけど、来年はもっといい時間を過ごせたらと思う。
贅沢な望みかも知れないけど、更に高みを目指すのは、人間の欲望としてあまりに正直なことだと思うし、それを否定する気はない。少なくとも、今のところは。
あの人と過ごせることが何より今は、自分の人生で大事なものになっている。またあの人に会いたい。ただただ、そう思う。でも。
普通の日になかなか休めないあの人。自分と休みがなかなか合わないあの人。それでも何とか合わせてくれるあの人。たまに、こっちも合わせるけど、合わせてくれる。
嬉しいけど、悪い気がして仕方がない。だから、会える日、会える時間は大事にしている。大事な時間を一緒に過ごしているときの、あの人の笑顔や仕草が、本当に愛おしく感じる。
初詣は行こうよという話にはなった。行けるかどうかは少し微妙だけど、これは何とか実現させたい。今度はこちらがあの人に合わせる番なんだ。
雪はまだ降っている。今度あの人と会うときは、晴れていますように。冬だから難しいかもしれないけど、どうかどうか、晴れていますように。
http://anond.hatelabo.jp/20111225211334
んー、もうチョイ表現を練った方が釣りとしては上等になると思うんだけど……と思ったらこんなんでも意外と釣れるのな。はてなーの釣り耐性も落ちたもんだわ。
お互い来年も頑張りましょうね、良い年を
きーきー吠えてきたのはどこの誰かという。
商売巧い奴は「どこまで相手に不満を感じさせても大丈夫なのか」を知り尽くしてるよ。
どうもです。 つけてみました! カテゴリー「やる気」で。
かてごりーつけろよww
「不況で働くのはツラい」ってのを学習したんだと思います。 もちろん男性も学習したと思いますけど。
少なくとも日本の女性はどこかで、「就業するより家庭に入った方がマシな現実」に突き当たって学習するからこそ、その選択になる。
就業することは幸福度を上げた。でもどこかでガラスの天井か何かは分からないけれど、何かに突き当たっているからこそ、家庭の方がマシと学習することになるわけで。
ガラスの天井って昔は言われてましたけど、最近は言われなくなってますよね↓
http://www.yomiuri.co.jp//komachi/news/mixnews/20080911ok08.htm
なりたくない理由は
「今まで以上に長時間働きたくない」(51%)、
「責任を負いたくない」(30%)、
「部下を持ちたくない」(20%)、
「見合った収入が得られないと思う」(18%)など。
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/feature/20110518-OYT8T00212.htm
背景には、女性の昇進意欲の低さもあるようだ。
独立行政法人「労働政策研究・研修機構」の06年の調査では、
「課長以上への昇格」を望む25~29歳の
男性は54%で、
女性は7%。
「役付きでなくともよい」は
男性33%、
女性74%だった。
20代女性に強まる「専業主婦願望」 理由は「働きたくない」「ラクしたい」
表に出そうとすると、そんなことはない!と認めず引っ込んでしまうけど、
生きていると、いろんな欲がある。
自分がこうありたい姿になりたい、自分を敬って欲しい、無病息災無事に過ごしたい、など。
私はというと、ただ漠然と認められたい欲があり、仕事に精を出し、社内外から認められるよう、何かに向かってがむしゃらに頑張っている。
社内で一番の評価を受け給与が一番だとか、業界で一目置かれる存在になりたいとか。
そうすることで、自分を保っている。
その先にあるはずの、大きな「承認」を期待して。
でもね、そのゴールが違う事を、もうとっくに知っている。
よく知らない人たちに認められても、それでは欲求は消えない。
もう知っている。
ただただ、あの人に認められたいだけだと。
同情でもいい。
引かれてもいい。
今、この自分を認めて欲しい。
想い続けている、それだけを認めて欲しい。
ただそれだけなのにね。
North American video game crash of 1983 - Wikipedia, the free encyclopedia
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ただちょっとコミュ障なだけで勿体無い気がするので、勝手ながら突っ込んでみた。
相手が自分の優しさを受け入れてくれるだけの、相手と俺との関係が前提として必要
言い換えれば、「俺が抱えている『彼女に優しくしたい欲望』を受け入れてくれる彼女が欲しい」ということかな?
相手が受け入れてくれることが前提で、相手との進んだ関係が前提で、それでやっと実行できる優しさは、現実の優しさではないよ。現実の優しさを一つ一つ丁寧に実行していけば、元増田をいいなと思う異性は何人も出てくるはずだが…。
相手から見て俺がずっと下の存在だったら(←こういう言い方はあまり良くないけど)俺が優しいつもりでも、相手に服従しているか、あるいは便利な存在にすぎない。
この場合、元増田の優しさが便利な服従になるというなら、二人の立場に関係なく、そもそも元増田は便利な服従と優しさの区別が付いてないということになる。
きちんと識別した上で優しくするのなら、相手に愛想が尽きるまで元増田は「正しい優しさ」を示し続ければよいだけだ。なぜなら、その時は優しさを便利な服従として扱っている相手が馬鹿なのであり、また、きちんと識別された優しさは相手が見下して都合良くは決して扱えないものになるからだ。
この国の人間は「自由」について具体的に教わる機会がないように感じる。
というより、殆どの日本人が「自由」だと思ってることは「勝手」なんじゃないかって思う。
「自由」とは、ある程度の規範や規律、制度の中でのみ行われる行為である。
「勝手」とは、それを無視して行われる行為である・・・とする。「好き勝手」という言葉にも見て取れるだろう。
しかし、これを勘違いしている人はあまりにも多いように感じる。例えばハックルの人は
上記でも述べましたが、購入した本の使い道は購入者の自由ではありません。まず、読み方からして「自由」ではありません。例えば「あ」という文字があったとしたら、これを「い」や「う」と読んではいけないのです。
とブログに綴っている。
しかし、これは日本語の読み方のルールに反しているので、普通これを「自由」とは言わない。
彼は更に
さまざまな価値観を持った人間を許容すると、社会は必ずおかしな方向へ行く。だから、逆の方が良い。そもそも、放っておいても人は、さまざまな価値観を持とうとする。だから、むしろそれを認めないという考え方の方が、バランスが取れるのだ。
社会というものは、異なった考え方を容認してしまうと成り立たない。例えば、無差別殺人を嗜好する人間が現れたとしたら、それを止める手段がなくなるからだ。
と語っている。
彼は「無差別殺人を嗜好する=行う」自由があると思っているのだろうか・・・と感じる。
そう思っているのなら、それは大きな誤解だ。
殺人は他人の生きる自由を奪う。そもそも、殺人は法律というルールで厳しく規制されている。殺人を行う自由は、少なくともほとんどの国において存在しない。
それを認めないことが「自由を奪う」ことだと本気で思っているのなら、それは「自由」に関する大きな勘違いである。
そして、社会のルールに反していなければ、どんな価値観だろうが「自由」なのだ。少なくとも、日本ではそれが認められている。
彼は、それを押さえつけようとしているように見える。それは、非常に危険な行為であると思う。
少なくとも彼は、社会に存在する規範・規律・制度を「自由にさせないため」に存在していると思い込んでいるし、多分そのような人は多い。
だが、社会に存在する規範・規律・制度は「勝手にさせないため」に存在し、「それを守ればあとは自由にしていい」ということなのである。
自由と勝手を取り違えてはならないし、それで他人の自由を奪うことは到底おかしな話である・・・ということを覚えていてもらえれば幸いである。