2011-10-15

子供の頃、ゲームは特別な存在だった。


 近頃、ゲームを全くしなくなった事をよく実感する。学生の頃にはまっていたMMORPGをはじめとするネットゲームは勿論、Xbox360PS3にも滅多にゲームディスクを挿入することなく、もっぱらDVDブルーレイの鑑賞機器として稼働している。PSPDSに至っては一年以上電源を入れていない。

 と言っても、ゲーム自体が嫌いになったわけではない。今でもレースゲームRPGにはわりと興味があるし、最近読み始めたライトノベルの影響か、ネットゲームに対する興味もやや増してきた。多分、これから先もゲームから完全に意識が遠ざかる事は難しいだろう。また、ネット上ではよく「体力が続かなくなった」という声を聞くけども、それも何か違う。確かに昔の様に丸一日をテレビモニタの前で過ごせるほどの体力は無いとしても、半日くらいなら問題なく向かえるはずだ。

 要するに、モチベーションの問題なのだと思う。ゲームなんてただのお遊び。そういう考えが板に付いてしまった。こんな事を言うと「仮想と現実の区別がついてない」という類いの批判を受けるかもしれないが、それに乗っかって言うなら、ゲームというものは仮想をもう一つの現実として扱うからこそ楽しかったんじゃないだろうか。少なくとも、子供の頃はそうだったと思う。勝った負けたに真剣一喜一憂し、難題が持ち上がると全力で解こうとしていた。今の様に「暇だな。ゲームでもしようかな」ではなく、学校から帰るやいなや、ランドセルをほっぽり出して友人の家に駆けつけてはコントローラーを取り合っていた。

 あの頃の俺にとってゲームは特別な存在だった。当時を思い出す度にその一端は感じられるだろう。しかし、今はもう違うらしい。では「今の自分にとって特別なもの」とは何なのか。ゲームに限らず、同じ様な事を感じた時は特にこの点を思い出して欲しいと思う。

  • 一緒にゲームで遊んでくれる友達がいないんだろう 男の子が生まれてそれなりに大きくなったら、きっと楽しいと思うよ

    •  どうかな。まあ、子供とやるゲームは楽しいだろうけど、あそこまで夢中に、意識の中心的な地位を占められるとは思えないよ。

記事への反応(ブックマークコメント)

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