記事に見せかけた広告であふれちゃうの目に見えてるよね。
自社関連の宣伝規制の厳格でない今の状態はそういう状態(記事に見せかけた広告であふれ」た状態)になってるってこと?
うーん、具体的にどういう事象のことを指してるんだろう。
問題になってるのはドラマの多さじゃなくて、
だな。Tumblr見てるとこういうのがたくさん流れてくる。
http://anond.hatelabo.jp/20110731215702
なんかそもそも前提が間違ってるような。
その関連企業だけでも100社近くある。
それらの関連企業はいろんなカタチでスポーツや芸術や娯楽などの発展に絡んでくる。
つまり日本文化が全体がそもそもメディアコングロマリットで支えられいると言う構図だ。
こういう構図を規制するということは日本文化を国家によって統制していくということに他ならない。
うん、その2つで出来る。頑張ってくれ。
みなけりゃいいのにw
爽やかで頼れる職場の先輩の家へ、同僚たちと遊びに行く事になった。
そうしたらその先輩が、ちょっと照れたように、でも爽やかに
「ちょっと漫画のグッズとかがいっぱいあるけど許してね」と笑う。
同僚たちとワイワイ問い詰めてみたら、『ワンピース』のグッズだそうだ。
先輩曰く「奥さんと二人で、一昨年くらいからハマっちゃって」らしい。
何よりも、漫画のグッズを普通に飾って普通にその事を話せる点が、大違いです。
もちろん、同僚たちの誰も引いたりしない。
適わねーなー、と思いました。
そんだけ。
奴らも一枚岩ではないから何流そうと文句を言うやつは出てくるだろう
たぶん友人は人格障害。
人格障害のせいでうつ病になったかもしれないけど、元が人格障害なんだと思う。
治るとかそういうもんじゃない。
フェードアウトして正解。
もともとテレビ局が自社の番組や映画の宣伝を報道番組の中でやるのはよくあることだった
しかしコピペサイトで問題視されることはなく韓流やAKBだと突然問題視されるようになった
某掲示板の某板に、
(年収200万以下の人「世の中はやはりお金だと感じている」)
というスレッドが立てられ、お決まりの如く金銭と幸福感への不毛な議論が繰り返されました。
個人個人によって異なるのは当たり前。
高額年収でも、更に金を求める者もいれば現状に満足する者もいて、
中には半額以下に年収が下がってもよいから自由と時間が欲しい者もいる。
低額年収でもっと金を求めたい気持ちを抱いてる者、現状に満足している者。
個人例を挙げればキリがないほど、価値観や思想は個人個人で異なる。
それなのにこういうテーマが出来ると、毎度の事不毛な議論は続く。
低収入でも満足している者を見下し否定し、金を求める自己を肯定しようとする者、
自分の例を出し「金なくても幸せだよ」と偏見を解こうとする者。
思想が違う者同士、相通じ合うことは困難だ。
また、お金は最も大切か否かを語る際に
どの方向から捉えるかでも異なる。
どちらも大事で、どちらを欠いても生きていけない。
しかしお金という価値は動的なものなのでお金そのものに価値がなくなる時代もあり得る。
お金が一番大事派は、もちろん「現在に限定して」が前提でしょう。
・この時代の、この国の、この社会においてという視点からなのか
・時代関係なく地球上の1生物である人間としての視点からなのか
根本はこの違いではないでしょうか。
社会全体には必要だという相対的な関連性から語っているのかでも異なる。
自身の収入は低いが自分は幸福であるという感情は前者での視点。
世間に金があり、どこかしらでその恩恵を受けているから収入が低くても幸福でいられると考えるなら後者の視点。
とにかく、物事の捉え方や見方によって意見は異なるし、
個人個人の思想や価値観によっても当然の如く異なる。
だからこそ相手にレッテルを貼り、自分の思想が世間的にも正しいと思おうとするが
どちらの価値観が正しくもあり、間違いでもある。
物事や事柄においては世間の一般的共通価値観というものは存在するが、
ことお金と幸福の度合いに関しては共通価値観というものは存在しない。
結果論でいえば、資本主義で世の中がお金至上主義で動いてるが、
それは個人個人の思想や価値観と=ではない。
まず1が問題であるとして、1が問題である、あるいは1をやってはいけない、というについては何か規約や規制があるのだろうか。
こういうやつの事?
サッカーなんて3-4-3か4-4-2か決めるだけでいいしな