通説では全部露出したら私権開始という全部露出説なので、胎児にまだ人権はないのよ。そこはよろしいかな。(損害賠償請求権・相続権はあるが、それはこの場合関係ないので)
漫画みたいな可愛らしい感じじゃなく、もっと陰湿な感じだよ。
本人に対して(言う側は)気軽ににスタイルを指摘することもあるし、
本人には言わなくても、影で他の友人とその子の見た目をネタに喋る事もある。
怖いのは、直球で指摘するんじゃなく逆に褒める時もある。
口に出さなくても内心「うわブサ」とか「胸ちいさ」とか「デブ」とか思って、
そこまでいけば本当の意味での「友人」じゃないだろとも思うけど。
(友人関係じゃなくて知人関係、先輩後輩関係でもありえる)
もちろん女が全員そうだとは言わない。
女自身が、同性の見た目を逐一気にする事分かってるから自分がそう思われない言われないように
男よりも女の目を気にして張り合ったりする。
よく女の敵は女って言うでしょ。まさにその通り。
確かに気持ち悪いわな。
何度も言うけど、そういうのに当てはまらない女もいるけどね。
現在の日本の高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本が好景気で(慢性的な人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです。団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。
■金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5
周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在の若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです。
金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです。
自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っています。テレビを受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか。戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。
戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレスで寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に。金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います。
ご存じでしょうね、1960年代の若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピー」です。
■ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC
我々は現在の若者を「第二次ヒッピー」と推定しています。世界的な現象なんですよ、日本もそうです。1960年代の若者(現在の大人)と違って現在の若者は大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。
これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動的就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者のフリードマンやフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。
旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです。東京電力、九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代のヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずです。ヒッピー無くして今日の国際社会は存在し得なかったということです。国際社会の未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです。
応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。
今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。
http://anond.hatelabo.jp/20080723030022
私は片親JWの2世で、小学校5年生でフェードアウトしました。きっかけは金曜の集会よりアニメ三銃士が観たかったからwありがとうアニメ三銃士!あれは本当に自分の人生を変えたアニメだったわー。
小林よしのりがゴーマニズム宣言で、他人に宗教を捨てさせようと思うなら代わりになるものを与えなくてはいけないっていうようなことを書いていたと思うのだけど、私はJWの父に喜ばれることを捨てて非JWの母を得たのでした。片親JW家庭はこれがあるから2世も救われるってなもんだ。
ただ、小学校でフェードアウトしたとはいえ、洗脳は結構強力で、やっぱり聖書の神様以外の信仰をもつことに抵抗があるし、三位一体もマリア信仰も抵抗があるから、プロテスタント寄りのなんちゃってクリスチャンに留まってしまってるんだよな。
ちょっとあれだよね。仲いい女同士だったら普通にそういう会話はあると思う。
男相手であっても、そういう会話をするような男女だって存在する。
まぁ胸においては、女も「男は女の胸を見る」という先入観がこびりついてるだろうし、
それ以上に同じ同性の女に胸の大小をねちねち指摘されるから更に気になるのだろう。
ここが大きいんじゃないかな。男は同性同士で肉体的な面では争わないが、女は同性同士で見た目や肉体的なことを
競争してる。アホらしいよね。
男だってあそこの大小や包茎か否かなどを多少なりと気にするけど大人になった後じゃ別に友人から指摘されたりしないでしょ?
自分自身のコンプレックスなだけで。そもそも下着に隠れてるし。
女は同性同士で胸の大小、スタイル、ファッション、メイクとか内心競争しまくってる。
男の目を意識する以上に、同性同士で張り合ってる。
一番の問題は、女自身が胸の大きさを気にすることよりも周りの女や男たちがそういうのを気にする風潮にあるんじゃないかな。
今の時代、しっくりきていると言う人の大体は思考を停止させていることが多い
脳が判断するに任せているというか、まあ演繹的な思考とかを極力排除させてるんだろうと思う
考える必要がない分、そういう人たちはある種の余裕を持っている。でも、そういう風に考えない習慣を続けていると、年をとってから苦労することになる
というのも、今まで脳が勝手に判断してくれていたことを、今度は経験を組み合わせることで自分が判断していかなければならなくなるからだ
犬の躾みたいなもんじゃないの?
変な事をして「あ、こうすれば構ってもらえるんだ」と歪んだやり方を覚えてしまわないように(変な癖をつけないように)、変な事されたら無視するのが一番。
愛されてるの意味がわからないが、セックスの前から優しい言葉やいじわるな言葉を投げかけ、女を常に観察しながら優しく愛撫したりじらしたりしてたらたいがい逝く。
ただめんどくさくて、自分は気持よくないけど。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110725-OYT1T00537.htm?from=main2
何人か中に入ってないだろうね。
凄い国だな。
連絡が取れないという原発作業員の方々が心配だ。
http://anond.hatelabo.jp/20110725201746
1匹病気になった。病院に連れていったけど、膀胱に腫瘍が出来てるそうで、輸血して手術すれば助かるかも知れないと言われた。猫の輸血用の血液を用意している病院などない。「連れて帰ってもいいけど、自力で食べられないし、介護が必要」と言う。私は人間の介護で手一杯だ。とても、猫の介護まで出来ない。出せる金額まで入院させてもらって、連れて帰ってきた。エサをちゃんと食べたかどうか、他の2匹のエサと一緒だとわからないからゲージを買ってきて、病気の猫と猫のトイレとエサ箱を置いた。人間の介護のために家を出て、8時間後に帰ったときは死んでいた。(こんなギリギリの状態のを生かしておいてくれたんだ、先生すごいなあ)と動物病院の先生にまず感謝した。葬儀屋さんを呼んで、引き取ってもらった。よく使っていた寝床を一緒に焼いてくれるよう頼んだ。
責任持って飼っていても、生きるか死ぬかの瀬戸際になった「ペット」にしてやれるのはこんなもんだ。
野良猫のために、ちょっと泣いてやったら忘れなよ。それだけで充分な供養だよ。
駅前を歩いていると猫が道路に飛び出して車のタイヤに巻きこまれた。
くるんと水車のようにまわった。
一見平気そうだったが、よく見ると地面に血がぽたぽた垂れている。
とりあえず家に電話してみた。だめだと言われた。
家に帰り一人自転車に乗り、急患の動物病院を探して連れていくこともできた。
でも我が家は弟が猫アレルギーなので飼えない。その子を一生預かってあげることはできない。
わざわざ家に電話したのは、もしかしたら車を出してもらえるかもという希望からではなく、
弟の件がなかったとして、私はその子を助けてあげられただろうか。
私にはこの家のことを決める決定権はない。学生の実家暮らしだ。
じゃあ一人暮らしだったら、その子を助けてあげられただろうか。
「軽い怪我だったかもしれない。足を折っただけで、たくましく生きている野良猫はたくさんいるし」
そう思いたくはない。
まあるい瞳が頭から離れない。