一体どっちが本来のありかたなのでしょうか?
というか、そもそも「罪」と言う概念がない。
そこに社会契約が発展、「所有物」や「権利」という考え方が発生する。
その時点で、他者の「所有物」や「権利」を犯した場合、「罪」になるという考えに至る。
生まれた時から社会契約に縛られる現代日本においては、教育によって「罪」という概念が教えられるはず。…なんだが。
まぁ、現在の教育がどのようになってしまっているかは察しの通りなわけで。
そういった人間は、
である訳だ。
一方、親のしつけや教育の甲斐もあって、きちんと「罪」という概念を持った人間は、
罪は軽くも本人の心身はズタボロ。
となる。
今の日本の裁判制度、社会保護制度は、前者である「罪の意識の希薄な存在」を無視しているシステムな訳で。
だから、「光市母子殺害事件」が問題化されたり、「生活保護」が悪用されたりするわけだ。
システム上、「罪の意識の希薄な存在」は存在しえないと言う訳。
なので、社会的には前者であればあるほど「悪」というよりは「得体の知れないモノ」「存在するはずの無いモノ」となる。
後者は後者であるほど、社会契約が保護し損ねた人となる。後者は大概社会が保護し損ねた結果として犯罪に走る。
まぁ、前者も大元を正せば、ネグレクト等が原因で後者であった可能性も否定は出来ない(永山則夫 等)が…。
本人の心身を最優先にしたら前者の方が心身の健康上には良いのかな。
前者の場合、本人に「罪」の意識が希薄なので、無理やり捕えられ裁かれるという状況であり、トラウマになりうる。
例えば、スピード違反。
路上喫煙禁止条例施行の頃に逆切れする女性の映像が流れていたりしたのもこういった類。
後者の場合は、本人に「罪」の意識があり、裁かれたのだから後は社会が庇護して行くべき。
というか、本当に後者しか居ない社会であるなら、フィンランドのような刑罰システムへ移行することも可能。
この場合は、ズタボロにはなるまいて。
はてな匿名ダイアリー初投稿です。 思ったことがあったので急いでアカウントを作りました。 よろしくお願いします。 世の中にはありとあらゆる犯罪があります。 罪の重さも様々で...
一体どっちが本来のありかたなのでしょうか? 社会契約が存在しない状態においては、前者。 というか、そもそも「罪」と言う概念がない。 そこに社会契約が発展、「所有物」や...
軽微な罪とみなしていた加害者ならいた