去年の三月がピークだったなぁ…それ以降はほとんど見ていない。
見なくなったのは、極端に笑いのスキルの優劣を意識するようになったから。
「~のくだり、ちょっとおかしかったなぁ」とかダメだしが多くなると、
見ているコミュ障の自分としては、精神的にツラくなってしまう。
お笑いのスキルを意識するのは笑いにとって重要だけど、それを表面化させすぎると、
あまり表面化させすぎるのもどうかと思った。
このバカ同じことを繰り返しているけど、病気なの?
歩くバイブってはやってんのか?
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001558e-img/2r98520000015cfn.pdfの6ページ目に、こうある。
2 野菜類(葉菜等)
こういう事情があるってことで。
あるよ。
福島の野菜が買われないのは、放射能がどのぐらいついてるかがわからないからであって、放射能測定してついてないとわかったらみんな買うでしょ。
もし放射能がついていたとしても、それが表面につくタイプの野菜だったら検出されないレベルまでよく洗浄すればいい。
それに汚染地域も細かく測定できるから、汚染された田畑を持つ人は売れない米や野菜を作り続けなくてもよくなるし、東電や政府に土地を買い取ってもらう交渉もできる。
慣れって怖いな
このバカ同じことを繰り返しているけど、病気なの?
このバカ同じことを繰り返しているけど、病気なの?
原発関連の話題になると必ず出てくる「こども」の話。
自分も乳幼児の親で都内住みだが、この「こども」ということばが、どこかで逃げ口上として使われてないか?と最近疑問に思う。
「普通に生活するには、放射線量も問題ないレベル。でも小さい『こども』のいる家庭は気をつけて生活したほうがいい。」
「自分は普通に生活しているけど、小さい『こども』のいる家庭はホント大変だろうなあ。」
「結婚してるけど『こども』はいないし、この先も作るつもりはない。だってこんな時代に『こども』なんか持たないほうがいいじゃんJK」
結構普通に耳にすることばだ。
『こども』とさえ関わってなければ、自分は当事者じゃない、って言いたいようなことばに聞こえる。
「妊娠中の女性、あと小さい子供のいる家庭は気をつけて生活すべし」みたいな但し書き、原発関連の情報でよく見るけど。
気をつけるってどの程度のこと?
食事に気を遣うとか?
そうじゃなくて、西のほうに逃げろとか?
どこまですればいいのかはほとんど書いていないんだよね。親の責任ってことなのか。
親の立場だってそうだ。
「うちの子はマスクさせてます。させてない親ってなんなんですか?イライラします。」とか
『自分のところは』こんなに頑張ってますアピール合戦みたいになってる。頑張ってるから当事者じゃないって感じになってるようにも見える。
どこかのお偉いさんが、
「東京人は、原発の電気を使っていたのに被害もこうむらず、水や食べ物の心配ばかりしている。被災地はもっと大変だ」と語ったと言う。
「東京の親は完全に原発事故なんて他人事。高層マンションの上から、田舎の出来事だと思ってほくそえんで見ているだけ。」
なんて極端な意見も見た。
みたいな意見をもらったこともある。
自分は、この二ヶ月、この地震における「当事者意識」をどこにおいたらいいか、ずっと悩んでいたし、今も悩んでいる。
東京が汚染地域だなんて十分に理解しているし、だから小さいこどもを持つ親として出来ることをするだけ。
でも、親でも親じゃなくても、関東民じゃなくてもそうじゃなくても、その「自分に出来ること」をやっている人を意見したり、批判したりはどうかと思う。
「何で避難しない?避難させない?」
「何でマスクさせない?」
「何で外国行かない?」
なんて、もはや個人のものさしで決められていると思う。自分がどうしたいか、どうするか。ただそれだけだと思う。
憎むべきは、何を信じ、どう行動するかを個人の責任にすべて委ね、はっきりとした判断をしない国の方針だと思っている。
道を指し示して欲しいなんて、そんな甘いことを求めてるんじゃない。
自分がどう動くか決めるには、あまりに情報が少なすぎるし、正確な調査もなされていない。判断する材料が、全く与えられないから苦しいんだ。
本当に、「こども」のことはその親がすべて責任を負うべきなのか。
将来のこどもの姿は、その親の責任なのか?
それに、思ったより数値が高く出ちゃったりしたら余計悲惨。
これって、エイズ検査に行くのが怖くていかない心境の人に似てる。
検査に行ってHIVがでなければ問題ないし、HIVに感染していることがわかったとしても発見は早ければ早いほどいい治療ができる。それなのに、もし感染していたら怖いって理由で検査に行かない。
・介護保険が出来た時点で日本の財政は火の車だったので、医療保険や年金のように採算度外視の異常な低保険料高リターンな設定になっていない
これは違う。かつて介護保険制度が始まった当時は今では考えられないほど「儲かる」ように作られていた。
というか本気で介護保険制度を成り立たせようと思ったらそれまでの介護業界の規模では需要をカバーできるわけがないから、圧倒的に「儲かる」制度を作ることによってあちこちから魑魅魍魎を呼び寄せて、どこもかしこも介護業界に参入させて、なんとか需要に供給を間に合わせた。
それこそコムスンとか。ワタミの介護とか。あの人達が「世間の役に立ちたくて」事業を始めるわけ無いじゃん。「圧倒的に甘い汁が吸えると聞いて」駆けつけた人達に決まってるじゃん。実際そうなんだし。
ただ、ホントにめちゃくちゃ甘い制度だったので、案の定ズル賢い企業や利用者達に架空請求ギリギリのやり口やホントにただの架空請求や、全く不必要なサービスを山盛りに積み上げたり、あとは逆に家族同居の高齢者の家庭で実際は必要ないはずの掃除や買い物代行のようなサービスを山ほど入れるという、もはや介護でもなんでもないただのお手伝いさんのようなケースで介護保険をごっそりいただいてホクホクするケースが相次いで、当然ながら保険制度の見直しが迫られた。
そして何度かのルール改定を経て、今では流石にえげつない抜き方はできなくなった分、必要な介護もケース次第で入れるのが難しかったり、そもそも介護者への還元がカッツカツなまでに絞られた介護保険が作られた。なう。ってわけで。
ま、これはあんまり言いたくないけど、コイズミさんは当時、わざと初めの介護保険制度をダダ甘にしたんじゃないかって思うね。
あとは野となれ山となれ、問題が紛糾する頃まで自分が居るわけでなし、あとに残るのは「小泉が介護保険を始めた」という偉大な名声のみ。ウマウマ。みたいな。
「ネタにマジレス〜」って言うけどさ、場違いという意味でその言語を使ってるなら、ネタを言った方も相当な場違いだよ。
プロ(お笑い芸人とか落語家とか)は求められて(お金をもらって)ネタを言うのに、
でマジレスがきたら「ネタにマジレス〜」とか言って相手のせいにする。
ていうか何様だよお前。
ゴミみたいな人生しか送ってこなかったお前に、真正面から向きあってくれたんだ。
そう思うと、マジレスしてくれた人の方がよっぽどネタとしては上質じゃないか。
なんといってもゴミにマジレスだもん。よほど酔狂じゃなきゃ出来ないぜ。
気に障ったんならさぁ、「ネタにマジレス〜」とかお決まりの空気に頼って逃げてないで、
お前の言葉で、お前の笑いのセンスで、真正面からマジレスを打ち返せよ。
マジレスしてきたヤツを攻撃するでもなく、自分のカスみたいなプライドを守るでもなく、
それが出来るのが「面白いヤツ」だよ。
出来ないヤツはただのアホでワガママなだけだよ。そんなヤツが言うことが面白いわけないじゃん。
そりゃマジレス来るよ。