2011-04-04

日教組による教育大阪

30年ほど前、日教組バリバリ小学校教育を受けた。

記憶も怪しいが、覚えている限りのことを書こうと思う。

1980年代大阪府北摂地方の話。その後卒業と同時に関東引っ越したのでその後不明。

職員室には、日教組の団結旗?が飾ってあり(おそらく教職員)の名前が書いてあった。

担任やってた先生が、いきなり担任外に外され、子供ながらに何が変だと感じていた。

通知表

相対評価の5段階評価でも3段階評価でもなく、絶対評価の2段階評価だった。

○と◎、できたか良くできただったと思う。×はあったかもしれないが、覚えが無い。

「にんげん」という授業時間

道徳時間とは別に、にんげんという授業時間があった。

部落とか在日への差別を無くしましょうとか、彼らは弱者から日本人が守る必要がありますとかそういった内容。

でも子供の間ではチョン校とむやみに関るなというのがルールだった。

何でかというと電球口にくわえさせたまま顔殴るとか、俺らのルールでは禁じ手とされている内容を普通に使うのが、彼らのやり口だったから。

なので、差別してはいけませんと言われても、無理だよという空気

今思うに、土地ルールを守らずに自分勝手に振舞えば、そりゃ元からいた連中に嫌がられる訳だし、そこにいるならルール守るようにするのが先だろうと。

いやなら帰れなんだから

少し前まで出ていた帰国船に乗らずに残ったのだから土地ルールは守るべきだよな。

ブラジルアメリカに渡った日本人達はそうしてきたのだし。

指導要綱には無いと思う、どこぞにハングル教えている小学校があるそうだが、そういったものは裁量の範囲で教えていると思いたい

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