2011-03-21

原理主義的な反対より、合理的な監視した方がいい

今日増田原子力アリナシ話が盛り上がってるようだ。


ナシ側は「人が死んだり健康したりする可能性をコストと割り切るなんて人でなし」

っていうのが論理的にも感情的にもメインの足場のようなんだけど

それ言い出した自動車にも反対しなきゃいけなくなるよな。


車好きでもなく免許持ってなく田舎在住でもなければ

「そうだ、自動車も廃止しろ!」ぐらい乗ってくるかも知れないけど

自動車を廃止した流通社会経済も全部死ぬことは多分考慮の埒外。


人の命や安全まで計算に組み込んでソロバン弾いちゃうのって

ドラマ漫画だと必ず悪役ポジションで、人情派の主人公に鉄拳制裁されちゃうけど

そういう善悪対立とかニヒリズムとかじゃなくて、計算計算でやらないといけない。

というかもうやってる。


原発反対にせよ自動車反対にせよ

社会を不便や不景気に退歩させる・貧乏人や自殺者を増やす感じの声は絶対に採用されない。

言ってる人達が反対した結果責任持って想定してないっていうのも理由だけど

もし全部を想定してわかった上で反対しても、大多数の人はその覚悟にはついていけない。


結局原発事故自動車事故が気になる人は

原発自動車邪魔をするんじゃなくて

安全確保の監視員をするしかない。

それが一番現実的かつ合理的で、彼等の望みに近いし人々の役にも立つ。

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