2011-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20110107181019

http://anond.hatelabo.jp/20110107160526

ここによれば、一字一句違わず「個人のさじ加減」と書いてあるしなあ、まあ仮にそうでなかったとしても、

人間の合意のもと責任をどう扱うか取り決めたところで、それも結局は決定的なわけで。

「ここまでやってできなかったんだから、これはそういう結果になるべくしてなったのだな」と運命論よろしく勝手に納得されたら、たまらんのよ。

今後に向けての結果の原因分析なり将来に向けて展望を垂れるなり好きにすればいいんじゃないの?僕は運命論だとか勝手に納得だとかいう文脈で決定論を使った覚えなどないんだが

から前にも言ったとおり、君は偏見だよ。

把握しようのない真実などどうでもいいのだよ。

責任存在する、という前提がフィクションであったとしても、その前提でしか現実ドライブしないということだけ言っているわけだ。

A:責任存在する、という前提がフィクションであった

としても、

B:その前提でしか現実ドライブしない

すなわち、君は「前提の真偽に拘らず、その前提こそが現実作用する『ただひとつの』前提であり、例外はない」とおっしゃるわけだ。

ほう、これは奇なる。僕の思うところ、君は自身の主張の正しさを証明できないと宣言してるように見えるが。白旗

  • ここによれば、一字一句違わず「個人のさじ加減」と書いてあるしなあ、 ??? 書いてあるね。 「個人のさじ加減」で責任の範囲を決めるから、決定論者の責任は信用できないと。 ...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん