その鉄則が何のためにあるのか説明できる?
ははは 近所のコンビニ(競合店)に負けないためですよ。似たような店が並んでたらお客様は品切れがない店のほうに行くの。
こんなの鉄則じゃねえ、ただの利益を最大化するための原則だって、削って利益を出す類の費用じゃないんだよね。削ったら客が他店に流れてアウトって類。
このツリー2番目の増田。
「あほか」というこの発言内容にはまったく同感だが、スティーブン・ホーキングな。
なぜホーキンスと間違えたかというとそれは一般的に靴のブランドだからだろう。
ホーキンス
実用性を割り切った上でのロードスター選択ならありだな。
どうせ何やったって文句言う人は文句言うし
あとはその同僚に
「あなたと私では車について価値観が違う。あまりあなたと車の話をしたくない」とカドをたてない言い回しで伝える、
(夏の北海道ドライブとか)ロードスターならではの楽しみを行うぐらいですかね。
仕事仲間なので、すべての部分で仲良くしなくてもいいと思うけどね。
ゲーム理論でいうところの、短期ゲームのポジションをとっているということ。
一時的でもいいので、グレーな裏切り戦略をとって、一気に儲けて勝ち逃げをねらう。
長期的な関係を築くつもりがなく、問題にされたらさっさと退場して、次のエサ場を探す。
これはガン細胞にも同じ性質がある。
大事なものはネットで買っちゃだめだし、出店でも通りすがりの人からも買っちゃだめだろ。
プライベートであっても、大事な取引は「逃げられない相手」としかしちゃだめだよ。
そういう意味で、「デパートの看板」は絶大な信頼感がある。若い人には直感しづらいかもしれないが、私の祖母(80)なんかは、大事な贈り物は銀座の三越と決めてて頑と譲らない。
すごくローカルな話題だけど書くところ無いので。
去年すっかり「未開の地」キャラを確立した群馬だけど、高崎にはアニメイトとメロンブックスがある。
で、去年の秋にアニメイトが駅前のビブレのテナントとして移転して、その跡にメロンブックスが入った。
その他にもジュンク堂書店やら楽器屋さんが入って、駅前のファッションビルだったビブレがカルチャー・サブカルチャーなビルに変貌してびっくり。まあ、全館じゃ無いけどね。
で、それはそれとしてメロンブックスの話。高崎のメロンブックスは、「未開の地」ネタの写真で普通に出しても通用するようなすごい建物だったんだけど、ビブレに移転して空いたアニメイトの建物に移転して大層こぎれいになったのでした。
でね、昨日なんとなくいってみたんです。アニメイトの建物って2階建てで、かつては1Fにコミック、2FにDVDの売り場がたしかあったと思うんだけど、今回移転したメロンブックスは1Fに全年齢、2Fに男性向け18禁売り場として使ってた。
それで、数日前に有明で買いそびれたものが売っていたので、あらまと思って手に取りレジに並んだら、2F売り場のレジの人が女性一人なんですよ。一面肌色の店内ですよ。しかもレジ前にスタイリッシュなデザインですっかりジョークグッズの代表格となったあれの卵型のやつがおいてあったりする売り場ですよ。いいのか、それ。
0点。
その鉄則が何のためにあるのか説明できる?
それは利益を最大化するための原則であって、利益を損ねるようなことはしてはいけない。
手が空いていればやってもいいし、もっと利益につながることをやらせてもいい。もっと人件費を下げて仕事を単純化してもいい。
そもそもその同僚と車選びのコンセプト自体が違うのだから
気にしなきゃいいのに。
たまたま、自分の考えと異なる人を否定したいタイプの人なわけでしょ。
無名のボロ靴はいた奴に言われても別に興味ないわ。
・深夜では実験的なものが多かった
・同じ人ばかり出ていた
・30代の人間が多かった
・一発芸で独特すぎる人は番組出演のケースは少ない
・見た目もある程度だいじ
・学歴があればなお可
・芸能人としてのくくりで考えると、自分の娘息子に限らず自分の家族を出す人が増えてきた
そういうことだわな。
おおかた伊達巻と数の子でも食えば満足するようなクソガキのために、おせちの一品一品に込められた意味など知らぬ親が、あら安いと購入したものの、届かなかったからモンクレ化というのが当方の予想。
今時珍しい(?)、他人の車を羨み蔑む同僚に対してどう振舞おうかという話。
移動は主に自転車や電車。車には興味もなく、特に乗りたいとも思わず、
19才で一応免許は取ったものの、ペーパードライバーとして過ごしてきた。
けど、都会と違って地方は足になる車がないとなかなかキツくなってきたのと、
業務で取引先等に行く際に社用車に乗る機会が出てきたので、さすがにペーパーの
ままではまずいなと思い、半年前に自分の車を買おうと思い立った。
中古で、予算は150万円以内。いい車はないかなーといろいろ物色していたところ、
ある日、毎日通勤で通う道にあるマツダディーラーの中古車展示場に置いてあった
ロードスター(NC1型)を見て一目惚れ。もうこれしかないと思った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC#3.E4.BB.A3.E7.9B.AE_.EF.BC.88NC.E5.9E.8B.EF.BC.89.282005-.29
後付で、買いたい車の条件として考えたのは以下の4点。
1.マニュアル車 → 最初に乗らないと、この先もう一生乗らないだろうと考えて
2.外観がカッコいい車 → スポーツカー or スポーティーカー
3.運転していて楽しい車 → 絶対的な速さは求めない。ハンドリングに定評のある車
4.若い今しか持てない車 → 2シーターでもOK。実用性はあまり考えない
で、ネットで探すこと約2ヶ月。マニュアルで、運転席がフルバケットシートの
ソフトトップ(幌)車を買った。最初はエンストや坂道発進でいろいろつまづいたり、
あまりに荷物が載らないことに戸惑いつつも、最近はようやく運転にも慣れて、
ビギナーなりに運転を楽しめるようになった。
問題はここから。
会社の同期の1人が、事あるごとに自分の目の前であからさまにロードスターの悪口を言う。曰く、
「荷物が載らない車なんて意味あるの?」
「こんなクソかっこ悪い車良く乗ってられんな」
「リクライニングできないシートなんてクズだわ」
買って間もなく助手席に載せたときは、自分はまともにマニュアル車を運転できないのに
「シフトチェンジがまだまだ」と評論したりと、まあ散々な言い様。
きっと羨ましいからわざとこんなことを言っているんだろうと好意的に解釈しているものの、
自分なりに考えて選んだ、アイデンティティを反映したモノを思いっきり否定されるというのは、
なかなか応える。
でもその一方で、友人のコンパクトカーやミニバンに乗るたびに、実用性の高い車にこだわる
同期の言い分も理解できる。不便なのを織り込み済みで乗っているが、かといって趣味車万歳と
開き直れない自分がいる。
なんか哲学史だかをちょろっとかじったとき、「他人の死」ということが書いてあったのを思い出した。
要は、人間にとって死とは「他人の死」しかないと。なぜなら自分が死ぬとき死んだ瞬間から意識はなくなるのだから、自分が経験できるのは死の直前までであって、死そのものは体験できない。だから死というときそれは「他人の死」なんだ、と。
結局最後まで、あのキャラクターになじめなかった。老ヲタの限界を見たというか。
昔のアニメなら、ナウシカとラピュタの台詞を全部暗唱できる程度には、自分にはアニヲタだった既往があって、昔はビデオがなかったものだから、中学生のヲタなら誰でも、テレビの音を録音して、絵コンテ片手に画面を回想する訓練を積んでいたものだった。
プアなメディアは老ヲタを鍛えて、旧ガンダムはもちろん映画館で見て、ゼータちょっと見て、ずいぶん離れてGガンダムをなぜか見て、そのへんまでは、アニメはきちんと楽しめた。
で、そのあとずいぶん長い中断があって、ローゼンメイデンのアニメをネットで見て、これは楽しめて、ハルヒはほとんど見ていないんだけれど、それでも部分部分を youtube で見る機会があって、見ると決めたら、本編はちゃんと楽しめた。
で、らきすた のアニメは良くできていて、あれは近所の本屋さんが環境ビデオ代わりにずっと流していて、チラ見して面白そうで、あとからニコ動であれを見て、十分に楽しめた。最終回はたしか、ネット越しに誰かと感想を喋ってた記憶が。
で、最近の「けいおん」と、「ストライクウィッチーズ」とは、あれは両方とも面白かったし、老ヲタでも楽しめた。「けいおん」のゆるい流れは、ぼーっと見ている分には全然苦にならなかったし、ストパンの裏側には呆れるほどの情報が詰め込まれていて、ああいうのこそ、古参のミリヲタは解説に燃えたのだろうし。
そんなこんなでこの1年ぐらい、ヲタ系のアニメにはつかず離れずのつき合いがあって、その流れで評判になっていた2本を見て、全くついて行けなかった。
「俺の妹」は、こう、好き嫌いとかじゃなくて、始まってものの5分ぐらいで、もう駄目だった。
主人公の動きかただとか、会話がどうしてそういうつながり方をするのか、自分には全く理解できなくて、見るのが苦痛になった。原作はちゃんと読んでるし、ラノベの絵だって万人向けの、ある意味ありふれた萌え絵であったし、アニメにはきちんとお金と手とがかかっているのに、あれはどうしてだか、自分には全く受け付けなかった。
元ネタのエロゲの話題とか、プレイこそしたことないけれど、その界隈の話題ぐらいは全部分かる程度には、自分はヲタであったはずなのに、どうして見るのがこうも辛いのか、不思議だった。
「イカ娘」も、ネットでは評判がよかったのに、駄目だった。同じくゆるい時間が流れるアニメにしても、らきすたの緩さには同調できて、イカの緩さはなぜかそれが苦痛になってしまって、楽しめなかった。
同じように「駄目だこりゃ」になってしまったのが「とらドラ」のアニメであって、あれは原作を全部読んで、十分にそれが楽しめたのに、アニメで動くと、原作での、キャラクターの痛い振るまいが、笑うべき場所がもういたたまれないぐらいに痛々しく見えて、見るのが辛くて、無理だった。
芋とイカにあって、ストパンとけいおんにはない何か、若い人たちはそれを楽しめて、「ピーキーすぎてお前にゃ無理だよ」なんて、老ヲタを絶望させる、濃さだとか、緩さだとか、あるいは作画の品質だとか、そういうものとはまた違う何かが断絶を作り出していて、自分には、それが何なのかすらよく分からない。
年をとるってこういうことなのかもしれない。