2010-12-15

「君。」

はい。」

「愛とは何だと思うかね。」

「愛、でございますか。」

「そう、愛だよ。」

「はて。」

「愛とは、受け入れる事だと言うね。」

「はあ。」

「愛とは、互いを受け入れる事である、と。では、愛の対極は、無関心だと言うね。無関心、相手に対して興味を示さない事を言うが、これは受け入れる事となんら変わりないと思わんかね。」

「はあ。」

「すなわち、愛が受け入れる事であり、愛の反対が無関心であれば、愛とは一体なんなのだろうか。受け入れる事と無関心である事との違いはなんであろうか。全く同じではなかろうか。同じだとすれば矛盾しておるね。同じなはずは無い。愛と無関心は紙一重だという意味であろうか。例えばキリストが全人類を愛している事は、全人類に対して無関心である事と同じことにならないか?確かに、私にはキリストが全人類に対して、個々の愛情は示さないような気がする。それは全人類に対して無関心であるという事は言えないのかね。であれば、愛している事と愛していない事をどう区別すればいいのか。愛故の許容であるか、又は、単に無関心であるのか、端から見分ける事は出来ると思うか?ましてや、そこに違いは存在するのであろうか。愛と無関心の違いとはなんであろうか。違ったとして、果ては、如何に見分ければ良かろうか。」

「わたくしには、よくわかりません。」

「そうか。」

「では、君は私に対してどういう感情を持っているのだ?」

「私、でございますか?」

「そうだ。」

「私の、感情でございますか。」

「そうだ。君の、僕に対する感情は、愛なのか?無関心なのか?」

「私は、」

「私は、憎悪でございます。」

憎悪?」

はい憎悪でございます。」

「僕に対して、憎悪か?」

はいあなた様を切り刻まんばかりに憎んでおります。」

「それは、やっかいだな。」

はい。」

「それは、何故だ?」

「愛でございます。」

「愛、なのか?」

はい。わたくしの憎悪は愛故でございます。」

「愛とは、憎悪なのか。」

はい。」

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