ある犯罪があったときに、「誰が」とか「どういうタイミングで」とか、意図とか、世論とか、誰かの意思とか。
タケルンバ卿は、「情に訴えて減刑」とかをどう思うのかな。
介護が出来なくなって母を殺した事件、「誰が」も「意図」も、「タイミング」も無視して結果だけで裁くのかね。
それとも、問題にしているのは「逮捕するな」とか言ってる事だけであって、「逮捕後であればそれら事情が勘案されるのは大いに結構」とか言い出すのだろうか。
つか、法が間違ってる可能性だってあるわけで、法に異議を唱えるのだって国民に許された権利ですよね。
法曹実務家が粛々と処理を行うのであれば、それだけで立派に法治国家足りえる。
送検するかどうかを決めるのは検察で、市民の声なんてものには何の意味も無いのに「愛国無罪の中国と同じ」って、同じわけないだろ。
それをやるためには、「法制度の上で」きちんと争わなければならないんだから。
「彼を逮捕するのはおかしい」ってのは、「公益通報者保護法」の拡大を求める声ってな解釈だって出来るんだぜ?
それを、「決まってる法を曲げる意見で人治だ」って、いつから日本は一度法で決められたら異論も言えない国になっちまったのか。
どっちが中国的だよ。
毎日ご苦労様です
いえいえ、どういたしまして。