人と人との関係とか信頼なんて、なんてこと無いような事であっけなく壊れるもんだ。
しかも、あっという間に、修復不可能な程までに。
作り上げるのには死ぬほど時間が掛かって、スゲー疲れるのにね。
だからといって、自分の考えを捨てようなんてことは微塵も思わない。
そんなくらいなら、俺は孤独を選ぶ。
多文化主義ってトータルの世界全体ではなく自国の文化を増やそうって話だからもともと八百屋がコンビニになって自国だけで商店街並みの品揃えにという話なのでは?
「友達認定」イコール「脈なしサイン」かどうかなんてそれこそ人それぞれでしょー
長い友達づきあいが恋愛に転ぶ女もいるし
証拠は?
あいにく、男女問わず「友達認定=脈なし」という意見が圧倒的多数派であり定説だが、
多数派的見解が間違っているというのであればそう主張する側がそれを立証すべきだ。
偏見や差別は誰かやなにかを傷つけるし、好き嫌いが多いのはまず自分が楽しくない
当然どちらもストレスの源になる
持っててもなんの得にもならないですよ
短期的に見ても移民を入れて潤うということはないだろう。失業者や貧乏人が増えるのを潤うとはいえない。労働力が安売りされれば国内の労働者は割を食うし、経営者が潤うのを国全体が潤ってるかのように摩り替えるのは辞めるべき。
現在の貨幣経済金融システムを続ける限り国の借金なんか帳消しにする必要もないどころかするべきでもないんだが、「国の借金を返せ」という人は貨幣も預金も借金であることを理解してないように思う。世の中全体で見れば貸す額借りる額は一致する。全ての借金をなくすということはみんなが無貯蓄になることを意味する。国が借りるのがだめで民間だけならいいという人は日銀が株社債を買いまくることを求めるべきだし、BIS規制もやめろといわないといけない。でも国の借金を返せという人はたいてい非伝統的な金融政策にも反対してたりするんだよな。じゃあ現行の金融関連の制度はどう変えるのよと小一時間問い詰めたい。
あと金融緩和で利息収入が減って消費が冷え込んで不況になるとか言ってたやつが金利が上がると財政破綻で景気が悪くなるとか言い出したり。全体を見ずにとにかく悪くなる面しか見ようとしないんだこういう人らは。
いつも思うんだけど、多文化主義ってとか多文化共生みたいのって、トータルではちっとも多文化じゃないよな。
コンビニにはいろんな種類の商品があるけど、ある商店街のテナントがコンビニの隣にコンビニがあって、その隣にもコンビニがあってとかになるとその商店街は全然多様性がないわけで。
それだったら八百屋のとなりは魚屋でその隣は肉屋とかになると、がぜん商店街っぽくなる。
つまり大きな空間での多様性を確保しようと思ったら小さい空間では種類を選別した方がいいんじゃないかって思う。
今話題の生物多様性だってそんなもんでしょ。
「友達認定」イコール「脈なしサイン」かどうかなんてそれこそ人それぞれでしょー
長い友達づきあいが恋愛に転ぶ女もいるし
友達と恋愛は何がどーなっても別物!な女もいるから
ちなみにあたしは
「付き合いたい男性」というわけじゃなかった飲み友達と
最終的にはうっかり結婚しちゃったい
ドイツにせよフランスにせよ、最初から多文化社会なんて目指してないだろ。
奴隷(安い労働力)を輸入する方便としてそういうスローガンが掲げられていたってだけ。30年くらい前の日本の男女平等とか男女共同参画とかと同じ構図。
日本も移民政策はこれから進めていくだろうね。そうすれば、少なくとも20~30年程度は国内経済は潤うだろうからね。その後どうするか?知った事かよ(笑)。
近いこと考えてるけど、正社員制度は残しても、ちゃんと会社がつぶれる方が重要だと思う。潰れた分だけ新しく生まれればプラスマイナスゼロなんだから。今の会社は長持ちしすぎる。
会社がそんなに長いこともたない、と考えれば正社員の地位も全然安泰ではない。期間限定の契約社員とたいしてかわらない。
その先の就職も考えなければならない。毎日の仕事から少しでもスキルを獲得しようとしなければならなくなるし、仕事だけしてれば良いというわけにもいかず、自分で勉強もしていかないとならなくなる。正社員かどうかが未来の差になるのではなく、普段の生活の中でどれだけ努力をしてきたかが差になる。通常、50歳とかになって放り出されたら就職は非常に厳しいが、ちゃんと努力を積み上げていれば、スキルの種類は膨大になっているはずだ。
ところが人間ってのは追い詰められないと努力しないもので、今のように正社員になっちゃえば会社が生活をなんとかしてくれるから、大して努力しないみたいな人がほとんど、という状況で能無しの50歳が路頭に迷っている。本当は年齢に比例してジョブアビリティが増えてなければならないのに。
それもこれも会社が中途半端に存続しちゃうのが悪いんだ。どうして存続しちゃうかって言うと銀行が金を貸すからなんだよ。株主が出資するからなんだよ。これを禁止すればいい。借金しないで潰れれば、実質的な借金は最後の未払い給料と買掛金くらいであって、たいして社会に悪影響はない。
社長もちゃんと会社が潰れることがわかっていれば、最初から覚悟ができていれば資金繰りに奔走する必要もないし、潰れた後の自分の見の処し方も考えているはず。元社長が普通に就職したっていいのだ。
今の社長たちは会社を永遠に続けようと思っているからダメなんだ。人間の思考の柔軟性には限界がある。世の中の変化に産業がついていくためには、ちゃんと会社が潰れて、そして新しい考えを持つ経営者が誕生しなければならない。一人の経営者が続けていってはダメなんだ。この経営者は「経営陣」でもある。
初任給を増やし、業務用がらみの物価を下げることで借金せずに起業できるような体制の構築もしなければならない。そして、少しずつ規模を拡大していけばいい。今は少し儲かるモデルが見つかると、誰かがワーッとお金を貸し、バーっと拡大して、いくつかは残り多くは散っていく。不良債権の山を残して。拡大が成功したところで借金という麻薬漬けからは逃れられない。手元に残るお金は驚くほどに少ない。そんなやり方は禁止しなければならない。
明確に持っているとすごく楽なんだろうなって思う。
人間的にも面白いし、そういった個人の判定基準がぶつかり合うからコミュニケーションが白熱していくんだと思う。
なにがあっていい、どんな考え方もあって当然、人は人で自分は自分、だなんて受け止めるだけの思考状態に陥ってしまうと、人生つまんない。
そりゃ疲れないし、精神的にも安定しているけれど、受け止めてからどうするのか、ちゃんと判断して、行動するなり意見を出すなりしないとだめなんだと思う。
「多文化主義は完全に失敗」 メルケル独首相が発言
ベルリン(CNN) ドイツの多文化主義は「完全に失敗した」――メルケル独首相が16日、自党の青年部の会議でこう述べた。
メルケル氏は演説の中で、「『さあ、多文化社会を推進し、共存、共栄しよう』と唱えるやり方は完全に失敗した」と語った。
メルケル氏は先月、CNNのインタビュー番組「コネクト・ザ・ワールド」でもこうした考えを示していた。9月27日の同番組でドイツのイスラム系住民について質問された同氏は、「今や誰もが、移民は我が国の構成員であると理解している。(しかし)彼らは同じ言語を話し、ドイツで教育を受けるべきだ」と答えていた。
世論調査機関ピューのプロジェクトが昨年行った推計によると、イスラム系住民はドイツ全人口の約5%を占める。これは約400万人のイスラム人口に相当し、西欧最多の規模となる。
日本はこれを他山の石と…出来ないんだろうなあ。
「私は好かれる人間です!」って人間を否定して、自分みたいな人間を十分肯定してるじゃないか
裏表がある人間は好かれないって単純なことでしょう
ダルビッシュが高いものたらふく食った、って書いただけで「貧乏人のこと考えたことあんのか」だもんな。ありゃひどい。そりゃダルビッシュも言い返すわ。
触発されて全然関係ないこと書くけど、「人の気持ちを考えない人」って意外と好かれるよね。種類にもよるけど。
どうしてかって考えたんだけど、「人の気持ちを考えない」→「自分のしていることが他人に嫌がられるとは考えられない」→「自分は人に好かれる人間である」→それが他人に伝播→「他人もその人を好きなる」ってなってるんじゃないかと思うんだ。
「私は好かれる人間です!」という無根拠で圧倒的な自信。それは他人にも同調させる力があるのではないだろうか。まず自分で自分のことを好きになるのが大事。そうすると他人も自分のことが好きになるという。
一方、いつもビクビクして「この行動は他人に嫌われないだろうか」と思ってるような人は「私はちょっとしたことで他人に嫌われるような人間です」と自己申告して歩いてるようなものなんじゃないだろうか。するとそれが他人に伝播し、「この人は他人に嫌われるようなことをちょいちょいやっちゃうような人」と思われるのかもしれない。
「他人に好かれようとする努力」は実際に得られる結果と反比例するのではないか、というお話でした。
とは言えあんまり自分勝手だとやっぱり最後には嫌われるし、ちょっとした気遣いが認められて気の利く良い人認定を受けることもあるし、まあほどほどにってことだと思うんだけど、俺みたいなビクビク系はもうちょっと自分を肯定してあげたい、なのにそれができないという苦しさにいつも包まれてる。
こうすればああなる、ああすればこうなる、みたいな公式をザックリ作っても、今度は自分の心と体がその通りに動いてくれるかってとこに次の問題が発生しちゃうよなあ。