C++やJava、C#といった言語が一通り書ける様になって、windowsのAPIも体系的に覚えたし、マルチメディア関連に特殊化したライブラリを使ってゲームも作れる様になったが、
そもそも絵も音楽も作れないので単独で何かを作れる訳ではない。
近所は山道、民家、陶器を作ってる会社ばかりでIT関連の仕事もない。ハロワも住み込みで軽作業してくださいねってものばかり。
話の合う知り合いもいない。というか引きこもりニートだから友達すらいない。
学歴は中卒でないに等しい。高卒認定を取っても大学に行く金がない。
いろいろ列挙してみたけどクソ過ぎて終わってるなーって思う。独学してもこうした限界はある。
ルパンの捕まえ方をとっつぁんに聞きましたよってくらい。
SVOCで日本語の文法を教えようとしたくらい。
あと、文系でくくろうとすんな。
ルビコン川以上の開きがあるから。
私の周りには、ずるい女が多い。
友人たちを「ずるい」と形容するなんて、私の方が性悪女かもしれないけど。
私の所属する学科の私と同学年の女子生徒は、約八分の一が精神の健康に異常をきたし、留年・休学をしている。
別にスパルタ指導教官がいるわけではない。校風も、この街自体も、とてもゆったりした時間が流れていて、どちらかと言えば学生生活を送りやすい街だ。
生徒間の仲も悪くないと思う。
けれど、精神に異常をきたす割合が高い。
理由はそれぞれだ。私にはわからないこともたくさんある。
だから、こんな感情をもってしまう私が全て悪いのだと思うけれど。
友人たちをずるく思う。
調子の良い時も悪い時も、周りを振り回して。
誰かに心配してもらって。誰かに構ってもらって。
自覚があるのかないのかは知らない。
彼女たちの周りには、いつも誰か傍に居る。
そして私も、その一人。
彼女たちを見放すことが出来ず、
こうしてずるずると構い続けてしまう。
多分、ずるく思うのは、私にもちょっとだけそういう性質があるからなのかもしれない。
でも、自分は周りを振り回せるほど理性が崩壊していないし、何より周りが構ってくれるほど魅力的な人間じゃない。
そんなことしたら、すぐに見放されてしまう。
彼女たちを心配する気持ちと、憎み、羨む気持ち。
これからも、この相反する気持ちを抱えて彼女たちと友人関係を続けていくのだと思う。
消えるのはあなたでしょう?ww
カリオストロの城見たかったんだけど。
いざ見て見ると、右上には「アナログ」
フッタには「アナログ放送は2011年7月終了。デジサポ福井 0776-31-0101」
カリオストロ見るような人間の99.9%は地デジ化知ってるよ。
CMになったら消しやがって。
Sigma ツマンナイことを覚えて試験でいい点を取るスキルは、一生役に立つ。試験を受けることは大学受験で終わりじゃないから。
これはちょっとどうかと思うけどな…。
なるほど、だからある程度予想されてたって事か。
そうなんだよね。二人きりがいいから、
でも目指しているものはそこじゃないから、
結局は恋愛がしたいのかも。そうか。そうだよなー
キャバクラでむしりとられるまで金払えばいくらでもいちゃいちゃ出来る
君も彼女も、窃盗にあうまでその程度のことを考えたことがなかったとはね。
10歳ぐらいの頃に家庭でしつけてもらうレベルのことだよそれ。
現在収監されている、中国人民主活動家がノーベル平和賞を受賞したそうな。で、それを(NHKを含む)各種テレビ放送が放送した瞬間画面が真っ暗になって「リアルタイム検閲」されたというニュースがあちこちで流れてる。
その様子は国内のテレビ番組で放送してるんだけど、何故か真っ暗になる瞬間をテレビカメラがとらえてる。という事は、テレビ局側は事前にこうなる事を察知していたという事なの?
その辺どうなってるのか、詳しい人いる?
せくーすまでいかないでも、いちゃいちゃしたい。
割り切って1時間だけとか決めていちゃいちゃしたい。
10vs10くらい集めて、このなかで生理的にいちゃいちゃしたくない人は外れてもらって、
まあこの中でなら誰とでもいちゃいちゃできそうだとなったら、
1時間集中していちゃいちゃしたい。キスの有り無しは事前協議。
でも「雰囲気次第で」というところに落ち着くだろう。
時間内に言われた「世界一好き」とか「結婚しよう」とかの言葉は引きずらない。
多分これを運命の出会いと思っちゃって突っ走る人もいるだろうけど、
それはそれでよし。いちゃいちゃが上手い下手も出てきて、
人気選手も出てきて予約いっぱいとか。
いちゃいちゃの基本は「つぐみ座り」が基本だと思うがいかがだろうか。
ごめん、チラシの裏だと誰も読んでくれないから。
急に必要な物があり、「1万円あります」といって申し出た物の、結局公費で出る事になり、そのお金は使わなかったらしい。
すると、次の日、その金はなくなっていた。
そんなに大きな職場ではないので、そういうのが緩くなる気分は分かると思う。
俺も同じような経験があり、それ以降、鍵をかけるかどうかまよったらまず掛けることにしている。
それは、物がなくなる事よりも、裏切りモノがこの中にいるのだ、という猜疑心が生活にダメージを与えるからだ。
この猜疑心は、「いろんな人はいるが、ある程度人を信じよう」という善良で小さなプライドを破壊する。
信用がお金だ、というホリエモンの言葉を借りれば、お金を盗まれる事が、まさにその信用を盗まれる事になってしまう。
自分が人を信用している、という事も、信頼関係の一部だからだ。
だから、鍵をかけるかどうか迷ったら、鍵をかけよう。