2010-09-05

どうしたものか

簡単に言ってジレンマである。

正直、転職可能な年齢ではないので、現職にとどまらざるを得ない。幸いにして業績は悪くないので雇用は確保されている。

が、以前に休職し、職能的にもキャリア的にも断絶期間があるため、同期の中では給料は安い方である。

この世の中、給料がもらえるだけでもありがたいのかもしれないが、色々な収支を考えると給料を上げないと破綻することがわかった。

従って、休職して以降自分でこなせない仕事量は決して引き受けない方針できたのを、転換した。

基本的に、仕事は受ける。どう考えても今の手持ちの仕事の上にその仕事はできないのはわかってるが、受ける。

もちろんできるだけそれらが終わるように努力するが、時間は有限なので所詮単位時間内にできる仕事は同一である。

ところが、驚くべきことに同じだけしか仕事が終わらなくても引き受けた方が評価が高いのだ。

俺が引き受けなくて他の誰かにアサインされていれば、その仕事が終わっていたと誰が見ても明らかで、組織全体からすると生産性が落ちているのにもかかわらず、である。この現象は弊社の当部門だけだと思いたい。

ところが。

仕事量を調整して余裕を持って仕事をしているときと、あれもこれもとがんばりながら、結果として仕事がこなせてないときとでは、完成する仕事の量は同一でありながら、俺の精神的負担が大違いなのだ。

そもそも、なぜ休職したのかと言えば、仕事がきちんと終わらないと気が済まない、頼まれたら何とかして助けたい、と言う思いが強くて、深夜まで残業して休日も出勤して仕事をして、精神的にも体力的にもぎりぎりで仕事を何とかこなしていたあの頃。本当に微妙バランスで生きていたそのときに、他人が失敗した到底実現不可能な納期の仕事を押しつけられて、色々なものの限界を越えたからである。

従って、この「仕事が常に終わらない状態」がじりじりと精神をむしばんでいく、というのはあのときの再来を感じさせるという意味でも、さらに精神的負担が高い……。

もっとも、今は休日は基本的にはきちんと取るし、残業も月あたり標準時間を40時間超えるぐらいしかしてはいないので、体力的なつらさには陥らないようにしてはいるが、さすがに。

まあね、仕事を引き受けるだけで評価されるのは、とりもなおさず「他の人ができるだけ仕事を引き受けないスタンス仕事してるから」に過ぎないので、便利屋になってつぶされるというパラダイムから未だに抜け出せてないと思うと、ぞっとするわけですよ。

まあ、とはいえ、お金も欲しいので、適度にがんばるしかねーよなー、ぶっ倒れないように。

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