技術は戦争の手段であって、それもかなり遠い手段だ。「技術革新のための」戦争というのは本末転倒だと思う。
戦争(というか外交のすべて)は「私の属する所属集団を、守り、食わせるため」「私の属していない所属集団を、脅威とみなし、排除するため」だと思うよ。チンパンジーもそう。
技術は学問畑の科学者と工業畑の設計技師が組んで生まれるもので、戦争を目的とすることもあれば、そうでない民生利用のためのこともある。
概して軍事利用の技術を民生利用に転用することには困難が付きまとうから、技術の民生利用のために軍事外交を行うのはあんまり巧くないのではないかと愚考します。
http://anond.hatelabo.jp/20100813213325
だから、親とか、近い親戚が死んだら、小さな墓でも用意して、お彼岸と命日にお墓参りに行けばいい。
いろいろとしきたりはあるらしいけど、最近は、そういうことを継承しない子も多いらしくて、お寺さんなんかもざっくばらんに、いろいろ教えてくれるし、知らないからといってバカにしたりしなくなってる。
私は親に勘当されてもいないし、親戚づきあいもあるけど、母が「いたぶって恥をかかせて遊ぶため」に産んだ子だから、そういうことは何にも教わっていない。何かのときに「なんで、私はしきたりとか知らないの?」と聞いたら「見てたらわかるでしょ」とのたまわった。そういう行事はみーーーーんなやらずに来たくさに、どうやって見るんだろう。まったく、あの母親は理解不能だ。
というわけで、まったくもって個人的な解釈で申し訳ないんだけど。
やるべきことは、ただ一つ。現在ある自分の命が、ご先祖さまから延々と受け継がれてきたものだということを感謝して、あの世に向かって手を合わせること。
お墓のことが気になるのなら、霊園でも回ってみれば? 最近は、いろいろ自由で「個人墓」とか「樹木墓」とか「共同墓」とか、いろいろあるよ。
確かにクソ親戚だし進んで付き合いたいとは思わないけど
墓とか全然知らないのは、やるべき事をやってないような後味の悪さがすごくある
さすがにこの歳になったら考えるよ
そんなクソ親戚に囲まれて、まだ墓参りしたいの?
逆だな。
これから女を好きに扱ってヤリ捨てられる男を目指すという事だ。
ふざけている。
金を稼げたら、若い女を選んで結婚。
これが世の中の望んでいる賢い生き方だ。
女なんていくらでも嘘をついて気持ち良くしてやってればいいんだよ。
あんなのは騙される馬鹿ばっかりなんだから、好きに消費してやればいい。
ヘット・ドルプの何人かの住人と,性について本音で語り合った彼は,セックスの時には「健常な体をしている自分」を無意識に想像しているという自己欺瞞に気づく.その晩,彼は,自室に戻り,上体ばかりが発達し下肢が未発達の「サルのような自分」の裸身を鏡に写し,その姿を見つめながら自慰をする.その時彼ははじめて本当の性の喜びを感じ,それこそが,本当の自分だと実感するのである.
私の幼なじみの間ではそれほど特別なことではありませんでしたが,ゾラ家にとっては,ハーバードの大学院まで進んだ私は大したものでした.私の父は10人兄弟の末っ子でしたが,親戚の中で大学に進学した者は私のほかに2人しかいませんでした.ウェストエンドの調査に私が参加したことは,そんなゾラ家にちょっとした波風をたてることになりました.母は,長年そこから抜け出したいと切望していた下流階級の暮らしに息子が「潜伏」するという研究には困惑していたようです.一方,父は大喜びでした.父は,私が大人になってからは,初めて私と一緒に行動する機会を得た上,父の得意な技能を私に伝えることができたからです.父はたいそう自慢気に,私をビリヤード屋に連れて行き,「ハーバード大学教授」の息子にエイトボールやローテーションの技を教えてやるんだと吹聴していました.加えて父は,私にバーでの俗語やふるまい方を教えて,ギャンブルの手ほどきをしました.これには母はすっかり狼狽してしまい,私の研究については一切聞きたくないと言って,子どもの頃以来私に言いつづけていた「勉強はどうなの?」というセリフを初めて言わなくなりました.(中略)こうして私は,見たり感じたり聞いたりといった五感を用いるだけでなく,伝統的な参与観察では言及されることのない調査者の出自という「私自身」の一部を調査に役立てることができました.ドチェスター地区やマタパン地区の労働者階級のユダヤ人家庭に育ち,数年間工場で肉体労働をしたことがあるポリオの少年という私の出自は,たんにウェストエンドの仲間内の会話の種になっただけでなく,私の研究に直接影響を与えました.(中略)そして,ウェストエンドに始まり,ヘット・ドルプではっきりした事実とは,愛情あふれるユダヤ人の両親によって社会化されたこと,私が受けた教育,および,ポリオとその後の交通事故による障害を「克服」するためのすべての努力は,実のところ「私自身」の一部を切り離し,遠ざけることだったのです.私は大学に行くまで自分が労働者階級であると考えたこともありませんでした.大学に行ってはじめて,ブルーカラーの父をもつのは自分だけだと気づいたのです。(Zola, Irving Kenneth "Missing Pieces: A Chronicle of Living With a Disability" 1982)
もう30近いのにお盆が具体的に何をする日なのかわからない。
周りにもきくにきけない。
父親は勘当されてる。
母親は農家の末っ子で拾われてきた子と言われつづけて姉妹からもはぶられていて、まだ10代の頃逃げ出すようにかけおちして結婚した。
俺が小学校の頃に母親と二人でこっそり墓参りに行ったら見つかって「何をしに来たんだ帰れ」といわれたくらい親族に嫌われてる。
そんな俺はお年玉もまともに貰った事が無いし親戚づきあいというやつの経験が無い。
だからお盆が具体的に何をする日なのかわからない。
うちの墓がどこにあるのかも知らん。
当然お盆になにかしたという経験もあの恐ろしい叔父に追い返されたガキの時の記憶以外にない。
今後のために墓の事とか調べておきたいけどどうしたものだろう。
特に国が国民に他の国でも人を殺すことを強要するのはダメだろう、ってスタンスで。
それにもう経済的にも戦争が利益にならない国際状況になりつつあるようにも思うし、
別に軍備を整えることまで否定する気はないですけど。
っていうと戦争が起きることを前提にしていると誤解されそうだけど、
そんなことでもなくて、それこそ軍事開発が様々な技術革新に繋がってもいるわけだし、
戦争さえなきゃ別に何してもいいじゃないかと楽観的な考えで。
男社長という逆の立場だけど、なんかよくわかる。
バリバリに働いてるタイプと付き合いたいんだけど、なぜか専業主婦になりたい女ばかり寄ってくるよ。
俺はお父さんにもお兄さんにもなりたくないんだけどと思いつつ、つい付き合ったりして、もうアラフォーの域に。
またか。
今だって戦争してる。殺し合いの戦争じゃなくて、製品開発の戦争もある。競争とか言い換えても同じ。
問題は人間なんて結局ちっぽけな生き物にすぎないにも関わらず、人権という概念を作ってしまったことだろう。
動物だって日々たくさん殺されてる。それぞれに家族がいて、生の歴史がある。それを忘れて人間の尊厳人間の尊厳って言うからなんかなー。
銃殺なんて、剣や斧で殺されるのと比べたら全然痛くないでしょ。銃なら一発の衝撃で死ねるけど、剣で切られたらのたうちまわりながら死ぬことになる。テクノロジーの発展のおかげで楽に殺せるようになった。これがいまだに剣で戦ってたら悲惨なことになってたと思うけどね。
日本じゃ戦争の話をするとかならず反戦の話になって全く無意味で無駄な精神論が延々と続いてしまうけど、アメリカなんかでは戦争の利点をちゃんと指摘出来てる。
インターネットはアメリカが戦争に備えた結果生まれたもの。ここかなり重要なのに、いつもさらっと紹介されて終わってしまう。戦争の悲劇なんてわかりきったことはどうでもいいんだよ。なぜ戦争が起きるのか、なぜ戦うのか、戦争によって人類の歴史がどう変わってきたのか、とかそういうのをちゃんとやるべきだよね。
もちろん、俺だって死ぬのはいやだ。銃で殺されるのもいやだし、爆撃や原爆で死ぬのもいやだ。
人間が殺されて悲惨でした、っていうなら、今度は人間を使わなきゃいい。アメリカは実際そうしてる。それが正しい方向なんだよね。争う、または対立することが発展のカギなんだから。
なのに、日本では「なぜそこまでして戦争をしなきゃならないんでしょうねぇ」とか言い始める。サッカーも野球もオリンピックも全部戦争だっつーの。気付けよ。
人間を使わず、代理戦争をすれば人間が死ぬこともない。ただ、それは技術が等しく行き渡ることが前提で、今みたいに勝ち組側=ロボット、負け組側=生身ってことになると駄目だ。戦争じゃなくて虐殺になっちゃうじゃないか。アメリカはそこら辺が問題だな。ただし、軍事技術を転用して世界に役立つものを提供してくれる点は評価できる。
最終的には戦争はなくなっていくだろうが、そこまでいくには世界から格差が消えなければならない。
格差を消すには資本主義をぶっ壊すことが重要だ。ぶっ壊すには、テクノロジーが究極的なところまで発展し、いろいろな「不足」が解消されなければならない。まずはエネルギーの格差、食糧不足をテクノロジーで解決しなければ。テクノロジーが発展するためのエネルギーは戦争への情熱。なら、この先もしばらく人類は戦争を経験しなければならないだろう。
朝日新聞は取ってないので、よくわかりませんが、文学はありますよね、そういうの。
鳥肌実みたいに、「私には言いたいことなんて、何も無いんです!」というのを、全力でやってみたいというか、「何に使うか、まったくわからないけれど、クオリティ(品質)だけはすごい工業製品」を作りたい、というか。
そういう欲があるのです。
ですが、確かに、新しくもなんとも無いんですね。
伝えたい事は何も無いけれど、パーツ化された過去の作品を、レゴブロックのように組み立てれば、(ある程度までは)作品を作ることができる、という、そういう時代な気がするんです。
それがどういう事なのか、よくわかりませんけどね。
サブカルの事をいっているのか、囲い込みの事をいっているのか、私は頭が良くないので、元増田さんの書いている事が、よくわからないんですね。
囲い込みなら、サブカルだけの話ではないし。
しかも、メインカルチャーの理屈で、日本のサブカルを語っているような気もしますし。でも、それって、どうなのかなあ?
http://anond.hatelabo.jp/20100211171907
そうやって仲間意識を強化するためだけの作品が、世界を小さくしているんだ。中世においてプロテスタントは芸術を抑圧したが、今は消費者がそれを行っている。「自分の文化圏が正しい」という正義でもって。
なんという体たらくだ。文化はここまで堕落してしまった。私の耳にはマンガを文化にした手塚治虫の嘆きが、今も遠くで聞こえているよ。
私は、元増田さんの、こういう文章を読むと、「西洋の理論を、日本の現実に、むりやり押し当てているだけ」に読み取れてしまうのですね。
元増田さんが語っているのは現代日本の事(ですよね?)なんですが、この人の根底にあるのは、西洋の論理のような。
文化を語るときは、正しいとか正しくないとか、そういう尺度ではなくて、歴史や伝統などが必要になってくるのですが、現代日本ではそれについて語ることが難しくなってきているとおもうのです。
元増田さんには、文化には、キリスト教のGodのような正解があって、そこから外れると「堕落だ!」みたいな所があるのでしょうか。
仮に「仲間意識を強化するためだけの作品」だったとしても、宗教のように、それを必要としている人達、それを取り上げたら、もう行き場の無い人達、そういう人達は、どうすればいいのでしょうね。
というか、誰か賢い人に解説してもらいたいですよ。
関西のなんとか女子大とかいうよく知らない学校を卒業したおばちゃんがいる。名前をググると一応歴史はあって地元では知名度もあるらしいけど、代ゼミ偏差値は50程度。つまりアホ大だ。
でも、そのおばちゃんはその知名度(地元だけだけど)のある大学を卒業しているから、自分が頭がよいと思ってる。まあそうだよね。
それで、そのおばちゃんは商売で資金を商工ローンとかで借りようとしたところ、総量規制のために借りれなかったらしい。それをもって
とか書いちゃってる。この規制が制定されたときの与党は自民党・公明党だったのにね。ちなみにこのおばちゃんは産経新聞大好き、自民党大好きを公言する人で、自分は政治をわかってるインテリのつもりなんだよね。実際は無知な人だけど。
自分の馬鹿さ加減を棚にあげて思うに、日本の大学は上のような馬鹿でも卒業できるから、日本は衰退してきたのだろう。大学が本当に厳選されたインテリを輩出し、それが優遇される社会に戻さないと、日本はこのまま滅びるように思う。