2010-06-04

http://anond.hatelabo.jp/20100603235812

元増田だけど、カールじいさんの空飛ぶ家に関しては、実は夢でしたでもまったく問題ないと思うけどな。

妻を亡くして人生を振り返ってみれば、幸せだったけれども、ほしかった子供はできなかったし、南米の奥地に探検に行きたいという妻の望みも果たしてやれなかった。できなかったことを今から悔いてももう遅いし、いまさら新しいことをする気力も体力もない。ひたすら過去を懐かしむ頑迷な老人になり、やがて不運な事件を起こして老人ホームに強制入所させられたカールじいさんが、人生の最後に夢の中で、自分の果たせなかった人生のやり残しを実現して幸せに息を引き取る。体が動かなくなって家も取り上げられ、老人ホームに押し込められて惨めな老後を過ごしていたカールじいさんが、最後に見る夢の中で、欲しかった子供と一緒に冒険をして、妻が行きたがっていた南米の奥地に到達し、新しい仲間たちに囲まれて新しい人生スタートを切る。現実は病室のベッドだけれども、カールじいさんは夢の中で人生の総括をすることができた。

こういう流れならば、夢オチであっても問題ないし、むしろ夢オチであることに深い意味が生まれる。

意味もなく夢オチを使うのは本当にくだらないことでやめるべきだけれども、意味のある夢オチというのもある。

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