そうか…振り回してごめん。
横からですまんが、俺は逆だと思ってるよ。性欲と恋愛感情を混同しやすいやつが多いからこそ性風俗産業が成り立つというか生き残ってるんだと思う。またそういうのを混同しやすいやつが多いから、世の中には悲喜こもごもいろんな色恋の話が絶えないんじゃないかなとも思う。
引っ越した。
そのあこぎなやり方が嫌で渋々光電話に。
ところがネットが遅い遅い。重いっていうのかな?
現実問題これでは困るので、高い工事費を払ってケーブルテレビ会社のネットを試してみようと思った。
ところがNTTには休止というシステムはなく解約しかない、と。
いや、確かに最初に話は聞いていたけど、
光電話選択して大失敗。
元は同じ性欲でも「やりたい」と「好き」の感情は違う。
男が女とやりたいなんてのは日常的に思っている事。日常的に性欲を感じるからこそエロ本とかが売れる。
「やりたい」というのはただ相手が女性であるから「やりたい」と感じるだけであり、特別な相手であるから「やりたい」わけではない。
だから愛情の証明であるかのように性交渉を迫るのはおかしいし、「好きだからやりたい」は成り立たない。
性欲(やりたい)と恋愛感情(好き)が別だからこそ世の中に風俗や売春等の性産業が成り立つのだと思う。エロ本で抜いている男は一々、エロ本の中の女性を愛しているわけではないし、風俗に行く男性はいちいち風俗嬢に恋をしているわけじゃない。
元増田ですけど、彼女もやっぱり言うのを嫌がってたけど、「好きだから君の良いようにしたい」って説得してなんとか教えてもらった感じなので、男性側に「教えてください」っていう謙虚な気持ちが無いと厳しいかもしれない。めっちゃ惚れさせるしかないんじゃないかな?
でも、ちんげ厨もうぜえよな。とりあえず「ちんげ」と言っておけばいいと思ってやがる。
あいつらはちんげの何を知ってるのかと。
ちんげをどこまで愛しているのかと。
perl でバカ正直に書いたらこうなった。%seen で過去の登場分をメモって枝刈りしてみたけど、効果を発揮できてるんだかどうだか分からん。
use strict; my $found = 0; my %seen = (); for my $m (2 .. 7110) { for my $n (1 .. $m / 2) { if (find_7110($n, $m - $n)) { printf "found: %d, %d\n", $n, $m - $n; $found = 1; } } exit if $found; } print "not found."; exit; sub find_7110 { my ($n1, $n2, $x) = @_; while (($x = $n1 + $n2) < 7110) { my $k = "$n1 + $n2"; return 0 if exists $seen{$k}; # not found $seen{$k} = 1; $n1 = $n2; $n2 = $x; } return ($x == 7110); }
最近、10年ぐらい前に付き合っていた女の子とまた付き合うことになった。お互い嫌いになって別れたんじゃなくて、進学でバラバラになって自然消滅的な感じの別れだったから、地元に帰ってきた彼女と偶然出会って、お互い彼氏彼女がいないなら付き合おうっか、となるのも自然な話だった。
基本的な性格は同じでも、10年の月日はお互いを変えるのに十分な時間だったみたいで、当時と同じように接すると驚くことが多くて意外と新鮮なんだけど、特に夜の生活においてそれが顕著だった。
昔付き合っていた頃はお互いはじめてだったので、当時はガムシャラというか童貞臭丸出しのセックスしかできなかったし、彼女も気持いいからではなく、恋人から求められるから義務感でしてたみたい。
ところが今改めて彼女とそういうことをしてみると、想像を絶するぐらい開発されていて驚いた。昼間ははじめて付き合った時と変わらないおとなしい女の子なのに、夜の乱れぶりと行ったら別人のようなのだ。
聞くと、自分の後に付き合った彼氏が相当なテクニックをお持ちだったそうで、プレ処女だった彼女はどんどん開発されたうえ、彼氏が悦ぶようなスキルを身につけて行ったそうな。
普通だったらそういうことに自信喪失しちゃったりするんだろうけど、何せ彼女のスキルが半端じゃなくて、今まで自分がしてきたセックスがゴミクズに思えるぐらいの気持ちよさに完全にトリコになってしまっている。
だからむしろ、彼女の元カレさんたちには嫉妬するどころか、手土産を持って
「この子をここまで成長させていただきありがとうございます」
って感謝したいぐらいの気持ちだ。何せ、自分が種を蒔いて、元カレさんが一生懸命育てて、それを今自分が収穫しているようなものだから。美味しいところだけいただいて申し訳ない。
テクなしだった自分も彼女の指導のおかげでかなり実力がついてきたみたいで、
「今まで付き合った男性はエッチがうまくても人間的にダメな男ばっかりだった。あなたとまた付き合ってみて、人間性とセックスの上手さは反比例するものかと思って最初は軽く絶望したけど、今じゃ完全に追い越してるよ」
と褒められるほどになった。
これまで技術を磨くこと無く漫然と過ごしてきた自分が成長したのも、性感帯が開いている彼女のおかげだと思う。とにかく打てば響いてくれるので、愛撫するのが楽しくてしょうがないのだ。「ここか、それともこっちか」と、毎回試行錯誤の連続。
そういう意味では本当のセックスというのは性欲処理ではなく、「お互いをどれだけ深く感じさせることが出来るのか」というスポーツに近いものなんだろう。野球が好きならどう投げればストライクが取れるかとか、どうバットを振ればヒットが出るかとか練習するだろう。それと同じ感覚で、どう触れたら悦ぶのか、どういう動きが気持いいのかを切磋琢磨するのは当然のことなんだと思うようになった。
それに比べると自分の元カノたちには両手をついて謝ってまわらないとならないな。「抱きしめられるオナホール」ぐらいの感覚でしかセックスをしてこなかったことを謝りたい。もっと自分に向上心があればもっともっと彼女たちを気持ちよくさせることができたのになあ。
わからん人だな。
婚前交渉自体は日本では性が乱れてるって言わないの。
それと異性と付き合いたいという根底には当然性欲があるだろうに。
一般の人が同姓と付き合いたい。一生を添い遂げたいと思うか?
付き合いたくて、一生を添い遂げたいと思い、性交渉もしたい。これらは同時に湧き上がる感情だよ。
まー、言っても無駄だな。
これはもう一般的な日本人と考え方が違う。
君はカトリックの人でも集めて話せばいいし、結婚でもすればいい。
もう一度言うけど、日本の常識であることに対して非難されても困る。
イスラム圏行って、豚食うなって言ってきてみなよ?話にならんだろ?
んで、君がそのように生きていくのはこちらは非難しないよ。
好きにすればいいさ。
ちなみに好きになった異性が結婚まで貞操を守りたいってなら、
それは別の話で相手を尊重することは普通にありえるだろう。それは当人同士の問題。
大抵は男女ともに求め合うけどな。
また処女厨だよ
君はずいぶんと大げさだな
生か死かを迫られたときにようやっと使う最後の手段なんかじゃないよ。
もっと気軽に使っていいんだよ。
まさかとはおもうが、もしや君は無茶振りされて苦しむ自分の姿に酔ってたりやしないか?
だとすればそれはもはや共依存と呼べる域に入っているかもしれないね。
DV夫に虐げられる妻が「この人は私がいないとだめなの」とかばうのと同じで、
共依存というものは大変やっかいだよ。
君は自分語りが好きなようだが、失礼だが本当に苦しんでいるのかな?
それが、鳩山政権の成果であるという論拠を示してくれ
と言いつつ
と決め付けれるのが不思議でしょうがない。
そもそも公共事業やら手当てやらの財政出動を効果的な経済政策だと思ってるのがおかしい。
それと株価は予想で動くものだから(公共事業・手当てに効果があると仮定して)「まだ実施してない=株価があがるはずがない」とか「現在の株価上昇=すでに実施された前政権の成果」とはいえない。
N「ちんげってなに?面白いと思って言ってるの?」
E「・・・え?」
E「はーこれだからKYは!」
N「空気もクソもないだろ意味不明な事言うなって言ってるんだよ死ね」
E2「(うぜえ)」
T「お前らが過労死したサラリーマンの代わりに奴隷になって死ねばよかったんだ」
一同「・・・」
こういう事をしてくれる人がネット上にすら現れないのが鳩山の人徳の程を物語っている。
まあ実際、真面目に探してもめぼしいものは殆ど無いんだけどね。
A「絶対おかしいよなこんな社会」
D「おれもおかしいと思う・・」
E「だよな、だよな・・」
A「・・」
D「・・」
E「・・」
A「いや、つーかおかしいよな実際」
D「ああ。激しく同意!」
A「・・」
D「・・」
E「・・」
A「おかしい・・」
D「・・」
E「ちんげwwwwww」
趣味で小説を書いてみたくて、小説作法本を何冊か買ってみた。別に新人賞とかを狙ってるわけじゃなく、同人誌で出せればいいや、程度にしか考えてないんだけど、どの作法本を見ても新人賞を意識した本ばかりだった。
もちろん、作品を作るにあたって参考にはなるし、同人とは言え、質の高い物を作りたいとは思うから、新人賞を意識していてもそれはそれで構わないのだが。
作法本を読むと、たいてい、小説のコンテンツ不足について書いてあったりする。だから新人賞に応募して新人が新しいコンテンツを送りだしてもらいたい、とかなんとか書いてある。激のような文ですな。
本屋に行けば、これでもかってほどライトノベルは列んでいるし、コンテンツ不足は本当なのか?と思ったりするわけだけど、実際、自分が買って読む「小説」は減る一方なのも事実。
先日、作法本を書いている出版関係者に会う事が出来たので、その辺の事を聞いてみた。
「本屋に行くと小説の作法本がいっぱい置いてありますよね。そんなにコンテンツ不足なんですか?」
「いやいや、そうじゃなくて、小説作法本って売れるんだよ」
……。
あ、そう。そんなからくりだったのけ。
つっこむのそこかよw アラサーのおっさんを子どもそのものと言うのならそれでも構わんよ。 俺の言いたいことには全く影響無いし。