2010-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20100310132337

大学合格してからが大切」

というのは、良く言われるが、学生は理解しないものだ。

もちろん、全員というわけではない。東大には、原則論としては、優秀な人材が集まっている。

同時に、落伍者もたくさんいるのだけれども。

司法試験の頃の文I学生は、2年ぐらいになれば予備校に通って司法試験に備えていたように思う。

ロースクールが始まり、弁護士の門戸は広がったが、同時に「人余り」がささやかれるようになった。

離婚調停破産処理などが多いー京大から弁護士に進んだ知人がそう言っていた。

悲しいかな、それは現実なのだろう。資格者数に対して、案外、分け合うべき果実は少ないのかもしれない。

もちろん、文Iが進むべき道は弁護士だけではない。官僚や有名企業社長に多かろう。

文Iには、社会に出てから名を挙げた人材は本当に多い。

多いが、だからといって、文Iは必ずしもエリートではない。

理文という境が正しいかという議論はさておき、理系の相対的価値は昔に比べれば上がったように思う。

それは、文系の相対的な価値の低下の裏返しであろう、と想像する。

数字が苦手な文系論理的思考が苦手な文系

なんども言うが、もちろん、全員ではない。だが、そういった文系が余りにも増えすぎた。

理系から理数的能力差し引いたら文系、と言われてしまえば、文系価値など無いに等しい。

それは文Iとて変わらないのだ。

そういった理尊文卑マインドの中で、文Iに真に求められるのは、新しい文系の在り方ではないか、と思う。

「最強の文系」像とは何か。

あるいは、「有るべき社会構造」とでもいえばいいのか。

この不景気は、ただお金が稼げないだけではない。

日本構造的に消極的な雰囲気が広がっているように思う。

古い世界からの抜け穴。全く新しい世界への変化。

その答えは、割合、理系とか文系とかそういうことにも有るようにも思う。

理文無関係に過ごす駒場の2年間と、安田講堂の左右(厳密ではないけれども)で分かれる本郷の2年。

その期間が、あなたにとって有意義でありますように、お祈り申し上げます。

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