http://anond.hatelabo.jp/20100211073915
創作へのドロドロした情念が、果たして童貞とともに失われるかどうか
それは創作への情念がどういう場所にあったのかを知るしかないのだけれど。
実際、童貞力で突っ走った作家は多くいた。宮沢賢治も梶井基次郎も童貞だった。
スコット・フィッツジェラルドも悪妻で有名なゼルダとしか関係を持ったことがなかった。(これはヘミングウェイの「移動祝祭日」に詳しい。彼らはチンコを品評し合える程度の友人であったことがわかって微笑ましくなる)
そして、ゼルダと関係を持った後のスコットがどうなっていくかは歴史が証明するとおりだ。
宮沢、梶井、スコットと並べた場合。
宮沢はエロ本コレクターだった。とんでもない量の春画を抱え込んでいた。オタクの走りだ。
梶井は「今日もオナニーしちゃったよ・・・」的な文章を残してるし、酒をかっくらって「オレをソープにつれていけ!」と叫んでいたという逸話もある。あの時代のカトリック的な価値観に翻弄された童貞ゴリラと言えるかもしれない。
スコットはたった一人の女を愛していたので、童貞暦は長いものの単なる童貞とは言いにくい節がある。「グレード・ギャツビー」は「偉大なる童貞」の物語でもあるが、それにしては洗練されすぎている。
なんの話だったっけか。
つまり、童貞であるということが創作の一つの動機であり得るということは確かみたいだ。
しかし、童貞を過ぎた後にも人の世にコンプレックスは尽きず、童貞には決して描けぬ描写もある。
スコットに「エデンの園」は描けない、ということだ。
要するに、人生というのはそういうものなのだ。なるようにしかならない。
文筆家には童貞が多いと同時に性豪も多い。
むしろこっちの方が多いフシもあるので、それほど気に病むことはないのかもしれない。
(http://anond.hatelabo.jp/20100211073915の続き的な内容です。宜しければ先にあちらをお読み下さい) 結局の所、なんで書けなかった・書けなくなったかといえば 自分にとってそれなりにデカ...
童貞捨てると童貞力が喪われるとか。 それらの言い回しが真実なのかも、と思わせる経験を先日してきた。 自分の場合、捨てたのは処女になるけれど。 しかし実感としてはロストバー...
http://anond.hatelabo.jp/20100211073915 創作へのドロドロした情念が、果たして童貞とともに失われるかどうか それは創作への情念がどういう場所にあったのかを知るしかないのだけれど。 実際...
いつまでも恋人→幸せ 別れる→魔法力復活 そして、生涯に一度も恋愛経験をしない人間に比べればマシ。 こう考えるんだ。 つーか創作者気取ってんなら「経験」ほど役に立つもんもな...
新たなステージで創作に励めばいいじゃない。さすがに喪失を創作の題材にするにはまだ消化不良だろうけど。