「ねえ」
下校中に呼びとめられて、ふり返ると近所に住むひとつ年上の女子が立っていた。五年生の三学期、二月になったばかりの寒い日。朝は集団登校をしていたので、お互いに顔見知りだった。だけど、まともに会話したことなんか一度もない。その彼女が声をかけてくるなんてめずらしい。戸惑う僕に彼女は言った。
「あんた、今度の日曜日、ひま?」
なぜそんなことを訊くのだろう。そう思いながら、とくに予定はないと正直に答えると、
「じゃ、日曜日うちに来て」
「え、なんで?」と口ごもる僕に、彼女は「予定ないんでしょ」と詰めよる。僕は弱々しくうなずいた。すると彼女は「昼の一時に。待ってるから」とだけ告げて行ってしまった。返事も聞かずに。
日曜日、約束の時間ぎりぎりまで行くかどうか迷った。外で遊びたかったし、夕方には見たいアニメもある。だけどやっぱり、すっぽかすのはまずいよね。後が怖いし、さっさと行って、さっさと帰ろう。そう決めて、はじめて彼女の家にお邪魔した。
出迎えたのは、なぜかエプロン姿の彼女だった。そして家族の人にあいさつした後、なぜか台所に通された。テーブルの上に調理器具と大きな板チョコレートがあった。
「これからチョコを作るから、手伝って」
ああ、なるほど。そういえばもうすぐバレンタインだ。だから、チョコを作るというのは納得できた。けれど、ひとつ解せないことがある。
なんで僕が手伝わなきゃいけないんだ?
そんな疑問などお構いなしに、彼女はお湯を沸かして包丁でチョコをきざむと、小さなへらを差し出した。
「はい、これ。かき混ぜて」
僕は湯せんでチョコを溶かす仕事をおおせつかった。作業する間、会話はほとんどなかった。ときどき彼女が本を見ながら指示を出して、僕は作業に没頭した。
やがてどろどろになったチョコレートを型に流しこんで、トッピングにカラフルな砂糖をまぶす。あとは冷蔵庫に入れ、冷えて固まるのを待つだけ。
彼女の部屋で待つことになった。そのとき、質問をしてみた。
「誰にあげるの?」
「別に、誰も。クラスの子たちが作ってたから、わたしも作ろうと思っただけ」
僕はますます混乱した。あげる相手もいないのに、なんでわざわざこんな面倒なことをするんだろう。そして、なんで僕が手伝わなきゃいけなかったんだろう。
その後はマンガを読んで過ごした。あいかわらず会話はなかった。
二時間ほどたって台所に戻ると、ハート型のチョコレートが完成していた。それを見て彼女は言った。
「手伝ってくれたから、味見させてあげる」
彼女の手作りチョコ(僕も手伝ったけど)は、ちゃんとチョコレートの味がした。「どう?」と訊かれたので「おいしい」と当たり障りのない返事をした。
「ほんと? じゃあ、もっとあげるから、おみやげに持って帰っていいよ。どうせあげる人もいないから」
こうして生まれてはじめて女子にチョコレートをもらった。義理でも本命でもないチョコレート。彼女はそれを、きれいな紙に包んでくれた。
家に帰って、家族の誰もいないところで、もらったチョコを食べた。なんとなく気恥ずかしかった。それから少し悩んで、包み紙を机の引き出しにしまった。
週が明けてから彼女と顔を合わせても、しゃべることはなかった。どんなふうに声をかければいいかわからなかったし、向こうも話しかけてこなかった。ホワイトデーが来ても、どうすればよいのかわからなくて結局何もしなかった。
三月に卒業して四月に中学生になった彼女は、僕が卒業するより前に、県外に引っ越した。彼女の家でチョコを作った日以来、僕たちは言葉を交わしていない。
それから何年も過ぎた今、僕たちにはもう何の接点もない。なにしろ彼女の名前すら覚えていないのだ。
それでも彼女のことを思い出す。彼女はあの日のチョコ作りの成果を、どこかで発揮できただろうか。そうであればいいのだけど。
引き出しの奥には、まだ包み紙がしまってある。
・女の子の口調がラノベみたい。オッサン作家の「~だわ」「~のよ」「~かしら」女とは別ベクトルで不自然。 ・小学生女子なら父親にあげるだろうし、女の子同士でのやり取り(所...
まだまだワッフルワッフル道には遠いな。 とりあえず、彼女を「妹」に置き換えてから出直してくるといい。