2010-01-31

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上手くいっているとき、たいていの人は「何となく」振る舞う。上手くいっているときには、些細な瑕疵は「結果オーライ」で容認されてしまうから、振る舞いにはある程度の幅が得られる。上手くいっている人は、だから自由に好きなように、「何となく」振る舞って、結果として上手くいく。教科書を何冊読んだところで、「何となく」は、変わらない。教科書に書いてあることは、たしかによくまとまっているのかもしれないけれど、それはその人の振る舞いを言語化したものとは違うから。

何となく上手くいく体験を重ねてきた人が、あるとき高重圧の環境に晒されると、「何となく」を忘れてしまう。研修医が離島に放り出されたときとか、しばしばこんな「何となくの忘却」を体験するんだけれど、その時に教科書を開いたところで、そこに書かれていることは、普段の自分とは全然違ったやりかただから、いきなりそれに従ったところで、上手くいくわけがない。

重圧の高いところで上手くやるためには、だから動作から「何となく」を追放する、上手くいっているときの自分の動作を言語化ないといけない。

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